津島軽便堂写真館

大分鉱業    3両の電気機関車でブッシュブル運転をしていました

津久見付近の地図
この地図は、国土地理院 1:50,000 「臼杵」S50.10発行の一部です。青い線が、大分鉱業の石灰石運搬線でした。
津久見その2

石灰石とセメントの町、大分県の津久見には、石灰石輸送用の鉄道がありました。

「全国鉱山鉄道」岡本憲之著・JTBキャンブックス・2001.10発行によれば、
大分鉱業には
・上部運搬線 4km(軌間762mm)
・下部運搬線 2.4km(軌間1067mm)
共に直流600Vで電化されており、下部運搬線(左図の青線)は2000(H12)年に廃止されコンベア化されたと書いてあります。

日鉄鉱業・津久見(左図の赤線)を訪問しようと、地図を買ったら、もう1本鉄道らしき線が書いてありましたので、行きがけの駄賃で訪問しました。
大分鉱業専用線の略図 当時書いた大分鉱業専用線の略図です。
鉱山・港の両端部分と、列車交換所を除けば、ほとんどトンネルの中を走る路線でした。

数字は撮影場所です。
下の写真番号に該当します。
 (NOは推定です)
大分鉱業@
   1976(昭和51)年11月4日

1976(昭和51)年11月4日、名古屋を7:03の「ひかり41」号に乗り、小倉で乗り換えて、津久見には14:38に到着しました。
地図を頼りに、上図赤線の日鉄鉱業を後回しにして、青線終点の鉱山に向かいました。
近づくと線路の上に架線が張ってあり驚きました。当時は情報量が非常に少なく、まさかこんな所に電化路線があるとは夢にも思いませんでした。
鉱山の駅にたどり着くと、立派な凸型電気機関車が水浴びをしていました。
この大分鉱業(下部運搬線)には、電気機関車が3両いました。
3枚窓の黒HゴムはED202号です。
←大分鉱業A  1976(S51)11.4

鉱山の電気機関車です。上の@と同じ機関車です。
石灰石の山があり、その左(電気機関車の真上あたり)に上部軌道が見えています。人工構造物の一番上の部分です。
下の写真Bは、上部軌道を望遠で拡大したものです。
ちょうど列車が写っています。お分かりになりますでしょうか?

上部軌道は、軌間762mmの600V電化路線だったようですが、あまりにも高いところを走っていましたので訪れませんでした。
上部軌道で運んだ石灰石を、コンベアラインで下部軌道の積込設備へ運び、下部軌道で港まで運搬していました。
↓大分鉱業B  1976(S51)11.4

  左の写真の位置から、上部軌道を狙って望遠で撮りました。
  上部軌道の列車が左の方へ走っていきます。
  写真中央やや右が荷下ろし場のように見えます。

←大分鉱業C  1976(S51)11.4

高所に張り巡らされたコンベアラインと、それを支える高い鉄塔を背景に、電気機関車が鉄橋を渡ります。
この鉄橋の左側には防音壁のようなものが張ってあります。

機関車の少し前のレールの所から噴水のように水が噴き出ています。当時は車輪を洗浄するためと思っていましたが、騒音防止のためだったようです。車輪とレールの間に潤滑剤になる水が介在すると、急曲線部でのキシリ音を減らすことが出来ます。また車輪・レールの摩耗防止にも効果があるようです。雨の日に騒音が少なかったので、その状況を作り出すため噴水を付けたと思われます。
↓大分鉱業D  1976(S51)11.4 

 左のCの鉄橋を横から見るとこんな感じです。
 このすぐ左側を急カーブで曲がって、港方向へ進みます。
大分鉱業E  1976(S51)11.4

上のCDの鉄橋の鉱山側にある踏切です。
大分鉱業F  1976(S51)11.4

貨物列車の一番鉱山側に連結された貨車です。
私が初めて見た、運転台付きの貨車です!
大分鉱業G
     1976(S51)11.4

貨物列車が3本並んでいます。
この路線には、上の略図のように列車交換所が2箇所ありました。
ここは、鉱山に近い交換所です。
貨物列車は、港側に電気機関車を、鉱山側に運転台付き貨車を連結し、終点に着いても機回し入換をせず、そのまま折り返しました。
プッシュプル運転という、日本では非常に珍しい運行方式でした。
その後、嵯峨野観光鉄道などで出来たトロッコ列車(実際はトロッコ列車でなくオープン客車列車)は、機回し入換を省略するため、貨車・客車を改造し運転台付きにして機関車を制御するプッシュプル運転になりました。
電気機関車を発見し、大満足してこの日の撮影は終了し、バスで津久見駅に戻り、駅前旅館に泊まりました。
大分鉱業H
     1976(S51)11.5

上の写真の翌日です。
津久見駅からバスに乗って港近くへ行きました。

港に近い列車交換所です。
電気機関車が写っていますので、交換所の港側から鉱山側を見て撮った写真です。
(なお、背景に写っている鉱山らしき構築物は、この運搬鉄道とは無関係で、津久見にはいろんな所に石灰石鉱山があったわけです)

どちらの機関車もヘッドライトを付けていますが、左の列車は推進運転で向こう側(鉱山)へ進む列車です。
大分鉱業I

     1976(S51)11.5

港に近い列車交換所です。この交換所では、いつも列車交換をしていました。

上の写真Hと違う機関車の組み合わせです。
左が2枚窓のED201号
右が3枚窓白HゴムのED203号

3列車全部が運用に着いていたことになます。
時間帯により、3列車運用のときと2列車運用のときがあったようです。
大分鉱業J

     1976(S51)11.5

これも、港に近い列車交換所です。
鉱山に近い方の分岐です。
大分鉱業K

     1976(S51)11.5

これまた、港に近い交換所です。
港に近い方の分岐です。
大分鉱業L  1976(S51)11.5

港のすぐ近くで、右方向が港です。この右側が右の写真になります。
大分鉱業M  1976(S51)11.5

港の荷下ろし場です。上の真ん中あたりに電気機関車がいます。
この左方向が鉱山です。

大分鉱業N

     1976(S51)11.5
 
鉱山・港の両端部分と、列車交換所を除いた数少ない明かり部分です。

どのあたりで撮ったか記憶が定かではありませんが、トンネルとトンネルの間で撮りました。
大分鉱業O

     1976(S51)11.5

この写真も上のNの近くだと思いますが、逆方向から撮りましたので、逆光写真です。
背景に石灰石の山が写っています。

  
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