筑波鉄道+ケーブルカー 筑波山麓を走っていた気動車の記録です。
この地図は国土地理院1/20万「水戸」S43.4.30発行より。 筑波鉄道を赤くなぞり、起終点と撮影最寄り駅を青字で記入しました。また、筑波山鋼索鉄道(ケーブルカー)を青くなぞりました。 |
筑波山麓を走っていた筑波鉄道は1987(昭和62)年に廃止となりました。 常磐線の土浦から、水戸線の岩瀬を結ぶ40.1km(左図の赤線)の長大な非電化路線でした。 この鉄道の歴史は古く ・1918(大正7)年−筑波鉄道開業 ・1945(昭和20)年−常総鉄道と合併し常総筑波鉄道の筑波線となる ・1965(昭和40)年−鹿島参宮鉄道と合併し、関東鉄道の筑波線となる ・1979(昭和54)年−関東鉄道から分離、再び筑波鉄道となる ・1987(昭和62)年−筑波鉄道全線廃止 私が訪問したのは1980(昭和55)年8月で、筑波線が関東鉄道から分離され、筑波鉄道になってから1年後でした。Nさんは1978(昭和53)年4月に訪問していますので、その当時は関東鉄道筑波線でした。 その頃の写真をご覧ください。 |
↑筑波鉄道@ 筑波 1980(S55).8 筑波駅に停車中の461号です。元国鉄のキハ04形で、遠州鉄道・北陸鉄道を経て関東鉄道筑波線にやってきました。現在、大宮の鉄道博物館に保存されています。 この気動車に土浦から乗車し、筑波で降りて撮りました。ここからバスで筑波山のケーブルに向かいました。 |
筑波鉄道A 1980(S55).8 筑波山ケーブルカー 筑波山中腹の筑波山神社拝殿脇の宮脇駅から筑波山頂まで1.6kmのケーブルカーです。 このケーブルカーの特徴は、架線が無いことです。ケーブルカーは山上の巻き上げ機でケーブルを動かすので車両に動力は不要ですが、一般のケーブルカーは車内灯など車内電源用に架線から集電しています。 近隣に気象庁地磁気観測所があるため、架線を張らずに蓄電池により車内電源をまかなっているということです。→Wikipedia 関東鉄道が電化できないのも、常磐線が取手から北が交流電化なのも地磁気観測所のおかげ?です。 |
B 筑波山ケーブルカー 1978(S53).4.7 Nさん撮影 宮脇駅の近くから上の方を見上げると、つつじ号が降りてきました。 |
C 筑波山ケーブルカー 1978(S53).4.7 Nさん撮影 中間点で、もみじ号とすれ違いました。 |
筑波鉄道D Nさん撮影 (関東鉄道筑波線) 筑波〜常陸北条 1978(S53).4.7 春の筑波山麓です。 クッキリハッキリ姿を現した筑波山をバックに763号が土浦に向かいます。 この760形は、元北海道の雄別鉄道の気動車でした。 当時のこの路線は、関東鉄道筑波線でした。 この翌年の1979(昭和54)年に、関東鉄道から不採算路線の筑波線と鉾田線が分離されました。筑波線は筑波鉄道に、鉾田線は鹿島鉄道になりました。 |
|
筑波鉄道E Nさん撮影 (関東鉄道筑波線) 筑波 1978(S53).4.7 筑波駅の交換風景です。 ナローファンには嬉しい762号です。 (一般の人向けに解説すると、ナローゲージの線路幅は762mmが主流でした。蛇足!!。 でも、この762号の線路幅は1067mmです) 762号も、左の811号も、元雄別鉄道の気動車です。 |
|
筑波鉄道F 筑波〜常陸北条 1980(S55).8 夏の筑波山麓です。 上のAの写真の筑波山ケーブルカーに乗ったあと、筑波山麓で筑波鉄道の写真を撮りました。 |
|
筑波鉄道G 筑波〜常陸北条 1980(S55).8 筑波山をバックに元国鉄キハ04形の461号が走ります。 実は、こんな旧型気動車がこの時代まで走っていたことを知りませんでした。たまたま土浦から筑波まで乗ったのが、この461号でした(上の写真@)。 こんな幸運に巡り会ったのなら走行写真をぜひ撮らねばならんと思い、時刻表から岩瀬で折り返して筑波に戻ってくる時間を推定して待ち構えました。(その間に筑波山ケーブルカーを急いで乗りに行きましたが・・・) 写真右端に写っている山の中腹の赤い鳥居付近にケーブルカーの乗り場(宮脇駅)がありました。 |
|
筑波鉄道H 筑波〜常陸北条 1980(S55).8 上の写真Gの続きです。 キハ04形が通り過ぎたところを振り向いて撮りました。 |
|
筑波鉄道I 筑波〜常陸北条 1980(S55).8 次の列車を撮ろうと、線路脇を歩いていたら、珍しいものが通りました。 (エンジン付き)軌道自転車です! 6人も乗っていました! この日一日の仕事が終わって保線区詰所へ戻っていくのでしょうね。 |
|
筑波鉄道J 筑波〜常陸北条 1980(S55).8 夏の筑波山麓を単行の気動車が走ります。筑波山に映った雲の影が良い感じでした。 Nさんが撮った写真(上のD)と同じ場所です。 番号を拡大して読むと821号で、元国鉄キハ10形気動車でした。 |
|
筑波鉄道K 真壁 1980(S55).8 筑波から岩瀬まで、この504号に乗りました。 真壁でしばらく停車していましたので、降りて撮りました。 いかにも日車製という外観で、筑波鉄道の代表車両でした。 |
|
筑波鉄道L Nさん撮影 (関東鉄道筑波線) 岩瀬 1978(S53).4.6 筑波線の終点で、国鉄水戸線の接続駅・岩瀬に停車中の504号です。 |
|
関東鉄道鉾田線へ | |
津島軽便堂 | 2012(H24).11.9up |
参考図書: 「新・消えた轍4関東-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.7.30発行