津島軽便堂写真館
この図右の中央自動車道沿いの紫色の部分全体が車庫予定地で広い面積がありました。

新交通システム 桃花台線 2/2       →桃花台線1(写真)

↓1981(昭和56)年3月発行の桃花台線パンフレットです。四つ折り(観音折り)B5版のパンフレットをスキャナで取り込みました。
 この当時、車両はまだデザインが決まっておらず、日本車輌で開発していたVONAのイメージで描かれています。
 桃花台ニュータウンの計画が始まってから10年経過し、計画人口が 54,000→47,000人に縮小されました。
↑私が桃花台新交通へ出向して約1年後にできたパンフレットです。私も制作のお手伝いをしたはず(当時は一番の若造)ですが、全く覚えていません。桃花台新交通の最初の仕事は、愛知県交通対策室と共同作業で運輸省・建設省の工事施行認可をもらうことでした。道路上に建設するため軌道法が適用され、運輸・建設両省の認可が必要で、申請図書作成や折衝がかなり面倒でした。一般の鉄道と異なるため、車両限界・建築限界から定める必要があり、その設定根拠を説明する資料が難しく・・・。生まれて初めて本省を訪問し説明したときはもの凄く緊張し震えました。急いで認可をもらわないと工事に着手できないといわれ、上司と一緒に1日中運輸省の部屋に立っていたこともあります(運輸省の担当者に無言のプレッシャーを与え早く認可してもらうためでしたが、効果があったかどうか不明です)。急いで認可をもらったものの、ニュータウン計画の遅れなどで工事は遅々として進まず、開発メーカーの日本車輌・三菱重工(JV)との打ち合わせしながら、、いつになった新交通は出来るんだろうと愚痴を言いつつ年月が過ぎていきました。やっと橋脚が立ち並び始め、仕事が忙しくなり始めた頃(1985/昭和60年)に私は桃花台を離れ、鳴海工場〔新工場(現・舞木検査場)建設プロジェクト〕へ異動となりました(新工場も当初計画からかなり遅れました。私の担当した仕事は何故か遅れることが多かった!)。
鉄道とバスの中間の輸送機関として中量軌道輸送システムが開発され、その第1陣として桃花台線は計画されましたが、その後の計画の遅れにより、開業は神戸ボートアイランド線(1981/昭和56年開業)、大阪ポートタウン線(1981/昭和56年開業)に先を越されてしまいました(周回遅れ!)。
↓1988(昭和63)年3月発行の桃花台線パンフレットです。同じ四つ折り(観音折り)B5版のパンフレットです。
 上のパンフレットから7年が経過、工事がだいぶ進捗して、この3年後に開業を迎えました。ニュータウンの計画人口は40,000人まで縮小し、桃花台線もコストダウンのため、無人運転を諦めワンマン運転に変更となりました。
↓1990(平成2)年8月に制作された桃花台線100系(ピーチライナー)のパンフレットです。四つ折り(観音折り)A4版をスキャナで取り込みました。
 翌年3月の開業を控え、導入された新車は車庫内で足慣らし運転をしたあと、桃花台線で試運転を繰り返し開業に備えました。
 車両の仕様については下記パンフレットをご覧ください。
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↓ここから下はオマケです。
 1981(昭和56)年8月発行の桃花台ニュータウンのパンフレットです。

 3段目の全体計画図の右側の中央自動車道沿いの
紫色の部分全体が車庫予定地で広い面積がありました。計画の縮小で車庫用地も縮小されました。
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