津島軽便堂写真館

新交通システム 桃花台線 1/2   15年余で姿を消した新交通システム   →パンフレット

交通システム桃花台線の路線図です。小牧~桃花台東7.4kmの営業キロでした。(↑桃花台線パンフレット(1988/昭和63年発行)より)
愛知県が昭和40年代に計画した桃花台ニュータウン(上図の桃色部分)は、面積322ha、計画人口54,000人で、通勤・通学客が19,500人/日と想定され、バス輸送では限界があるということで、未来の乗り物として開発された新交通システム(中量ガイドウェイシステム)の導入が計画されました。
その後、ニュータウン計画の遅れや縮小の影響で、新交通システム桃花台線の建設も遅れ、1991(平成3)年3月に開業しました。しかし、接続する名鉄小牧線が上飯田止まりで、名古屋の中心部へ出るには不便だったため、名古屋へ向かうニュータウンの住民は桃花台線に乗らず、バスや車でJR中央線の高蔵寺・春日井駅へ出ました。ニュータウン人口は計画の半分程度で留まり、通勤・通学客は想定を遙かに下回りました。
2003(平成15)年3月に、地下鉄上飯田線が開通して相直運転を開始し小牧線は便利になりましたが、桃花台線の乗客は期待したほど伸びず、赤字が膨らみ、営業開始から15年半後の2006(平成18)年10月1日に廃止されました。運営していた桃花台新交通(株)も解散しました。
私は、会社が設立された直後の1980(昭和55)年から5年間、桃花台新交通(株)へ出向していましたので、複雑な思いがあります。また、1996~2005(平成8~17)年は、名鉄住商(株)の担当として、桃花台線車両の定期検査を請け負い、最後は、桃花台新交通(株)の担当責任者(飲み友達)から頼まれて、桃花台線を延命させるためにどうしたらよいかという会議にも参加していましたが・・・(桃花台より先に名鉄住商が解散してしまいました・・・)
桃花台線も廃止から既に10年経ちました。皆様の記憶から忘れ去られてしまうのが忍びなく、このページを作成しました
「桃花台線建設史」
 愛知県・桃花台新交通株式会社
 1992(平成4)年3月発行より

桃花台線建設史のP60に掲載された計画概要図です。
小牧駅から桃花台・高蔵寺ニュータウンを経由し、高蔵寺駅へ結ぶ計画がありました。愛知環状鉄道とつながって環状路線網を築く予定でしたが・・・

「最初に高蔵寺駅から桃花台ニュータウンをつなぐ路線を建設すべきだった」というごもっともな意見を言われる方がいましたが、桃花台ニュータウンが小牧市にあるため、小牧市が承知するはずがありません!
小牧市としては、この機会に名鉄小牧線の連続立体交差化(小牧駅地下化)・複線化の促進と、名古屋地下鉄上飯田~平安通の早期開通を期待し、愛知県のニュータウン開発に協力したと思われます。
名鉄岩倉支線(岩倉~小牧間5.5km:1964/昭和39年廃止)が残っていれば、違う展開になっていたと思われます。岩倉支線が残っていればなぁ・・・
[ 覆水盆に返らず]ですね!
桃花台線 線路図(勾配・曲線半径・線路配置)  「桃花台線建設史」P146 愛知県・桃花台新交通株式会社 1992(平成4)年3月発行より

桃花台線は、鉄軌道系の輸送機関として日本では珍しい1方向運転で、終点ではループ線で方向転換する方式でした。1方向運転を採用したのは、ピーク時2分30秒おきの無人運転を計画していたためで、転換に時間のかかる分岐装置だと運転余裕がなくなることと、折返し運転がなくなれば正面衝突の危険が減り無人運転の安全性が増すことが、その主な要因でした。(計画当時は、まだ無人運転の実績がありませんでした)
図のように、丘陵地へ向かう路線で勾配区間が多く、最急勾配は60‰、最小曲線半径は、本線で100m、入出庫線で15m、終端のループ線は小牧が18m、桃花台東が20mでした。小牧駅と上末駅付近に側線があり、故障車収容などの目的で作られました。
桃花台線①  Nさん撮影

 小牧  2006(H18).7.30

桃花台線を、小牧駅から桃花台東に向かってご紹介します。
まずは小牧駅へ到着する100系です。
桃花台線の車両は、開業から廃止まで、この100系1形式(4車種)のみでした。ピーチライナーという愛称が付けられました。
廃止2ヶ月前に、Nさんは慌てて撮りに行きました。

昭和40年代(1965~74)には各メーカーで新交通システムの開発競争が行われ、桃花台線は地元の日本車輌と三菱重工が開発していた中央案内式を採用しました。中央案内式はごく少数派でした・・・
システムのトータルデザインは、県立芸術大学にも協力してもらい、デザイン検討会議を立ち上げて決めてもらいました。(さすがは愛知県!と当時思いました)
桃花台線②  Nさん撮影

 小牧  2006(H18).7.30

小牧駅の奥にあったR=18mのループ線を走ります。
1方向運転のため、編成の先頭と後端では車体形状が異なり、運転台も先頭側にしかありません。その昔、軽便鉄道で使われていた単端式気動車に通ずるものがあります
(桃花台線の車両後端側には入換用の簡易運転台がありましたが)

桃花台線③

 小牧  2006(H18).8.28

廃止約1ヶ月前の小牧駅です。
私も慌てて撮りに行き、駅横の駐車場から狙いました。
名鉄小牧駅も、桃花台線建設に合わせて約150m東へ移転し、この駐車場&小牧ホテルの地下へ1989(平成元)年に新装オープンしました。


ニュータウン計画が縮小されてしまったので、頻繁運転が不要になり、コストダウンのため無人運転からワンマン運転に計画変更されました。
桃花台線④

 小牧  2006(H18).8.28

上の写真③と同じ場所から撮りました。開業前に、この4両編成が5本製造され、廃止まで同じ陣容でした。
1方向ループ運転で、駅は全部島式ホームのため、車両のドアも片側面のみで、正面・側面形状が前後・左右で異なりました。
↓後ろ側にも入換用の簡易運転台があるためヘッドライト・ワイパーがついています。
桃花台線⑤

 小牧  2001(H13).3.25

小牧駅で開催された「桃花台線開業10周年」記念のくす玉割りです。

開業の頃は、別の仕事を担当し、そちらが忙しくて式典を見に行く余裕がありませんでした。
10周年の頃は、桃花台線の仕事を下請けで受注していたので、撮りに行きました。

しかし、この写真を撮ってから5年あまりで廃止になるとは・・・ 夢にも思いませんでした。

桃花台線⑥  小牧原 2006(H18).7.30  Nさん撮影

名鉄小牧線と並行区間です。両方の電車が並びました!

この付近の線形は特異で、小牧を出た桃花台線は、東名高速道路の下を潜るため、一旦地上に降りて急勾配で小牧原駅に上ります。小牧原駅を出て、更に高架化された名鉄小牧線小牧原駅の上を越すため、また60‰の急勾配を上ります。
小牧へ向かう列車(左写真)は急勾配を降りてすぐに駅があるので、雨の日などは慎重な運転が必要でした。



↓桃花台線⑦ 小牧原  2006(H18).9.30

桃花台東に向かう列車の後ろ姿です。後ろ側は、あまりデザインにこだわっていないような形状でした。
桃花台線⑧

 小牧原  2006(H18).9.30

小牧原を出発した小牧行き列車が60‰を下ります。

桃花台線の営業最終日に撮影&お名残乗車に行きました。
さすがに、この日ばかりは桃花台線もお名残乗車で混雑していました。
桃花台線⑨  Nさん撮影

東田中~上末 1991(H3).8.18

この頁で唯一、開業して間もない頃の写真です。
東田中を出発し桃花台東に向かう列車の先頭から、すれ違う列車を撮りました。
桃花台線⑩ 東田中~上末 2006(H18).7.30  Nさん撮影

少し向こうに上末駅のホームが見えます。その手前の線路が膨らんでいるところに中線があり、非常時用の留置線でした。
桃花台線⑪  上末~桃花台西 2006(H18).9.30

丘陵地を上る最長・最急勾配(60‰)区間から振り返って、上末駅方向を見ました。左端に小牧山が見えました。
桃花台線⑫  Nさん撮影

桃花台西~桃花台センター

   2006(H18).7.30

調整池の横のカーブを曲がる列車を俯瞰しました。
桃花台線⑬  2006(H18).8.28

桃花台西~桃花台センター

電車がいる場所は上の写真⑫とほぼ同じです。
桃花台線と道路を跨ぐ歩道橋の上から撮りました。
桃花台線⑭  2006(H18).8.28

桃花台西~桃花台センター

上の写真⑬の続きです。
列車が近づいてきました。
桃花台線⑮  2006(H18).8.28

桃花台西~桃花台センター

桃花台センター駅を出発した小牧行き列車です。
センター駅は、向こう側のトンネルを入ってすぐの所でした。右はショッピングセンターです。
桃花台線⑯

桃花台センター  2006(H18).9.30

桃花台センター駅ホームから、到着する列車を見ました。
上の写真⑮の逆方向から見ました。
営業最終日のセンター駅です。
桃花台線⑰

桃花台センター  2006(H18).9.30

桃花台ニュータウンの中心にあった桃花台センター駅舎です。
桃花台線⑱  2006(H18).9.30

桃花台センター~桃花台東

センター駅の東側に、トンネルに挟まれた擁壁掘り割り区間がありました。
桃花台線⑲  2006(H18).9.30

桃花台センター~桃花台東

桃花台線の車内から撮った車庫全景です。
手前の屋根付き洗車台の向こう側の薄茶色の建物が桃花台新交通(株)の本社でした。
この本社で打ち合わせするときは、なるべく桃花台線に乗って出かけましたが、急いでいるときは中央線を利用し高蔵寺駅からバスに乗るか、名鉄バスセンターから高速バスに乗りました。この写真すぐ右側に中央自動車道の桃花台バスストップがあり、飯田行きなどの高速バスが停車しました。

この車庫は、当初計画では14編成を留置する留置線が敷設できるスペースがあり、入庫線と出庫線が別々に計画されていました。しかし計画縮小により、留置線スペースの一部は住宅用へ転用、残りは駐車場になりました。出庫線もなくなり、入庫線で入出庫兼用になりました。
桃花台線⑳  Nさん撮影

 桃花台東 2006(H18).7.30

終点の桃花台東駅です。
この左側に中央自動車道が走っており、その上を越してすぐに終点の桃花台東駅でした。
駅が出来たのが、バリアフリー時代の前だったので、駅舎からホームまで結構長い階段がありました。
桃花台線(21)  Nさん撮影

 桃花台
東 2006(H18).7.30

終点の桃花台東ループです。曲線半径20m+55‰勾配でした。
将来、高蔵寺方面へ延伸するため、ループ線を持ち上げ、その下を高蔵寺延長線が下り勾配で通過する予定でした。分岐装置が入るように準備工事もしてありました。
桃花台線(22)  Nさん撮影

 桃花台東 2006(H18).7.30

上の写真(22)の逆方向からループ線を見上げました。
桃花台線(23)

 桃花台東  2006(H18).8.28

ピーチライナーの先頭車110形の車内です。
1方向運転の利点を生かして、全席前向きの固定クロスシートでした。
ドアが片側なので、ドアのない側には座席が並んでいて、座席定員は先頭車20人、その他24人でした。
(ピーチライナー100系新造時のパンフレットは次頁に掲載しています)
桃花台線(24)

 桃花台東  2006(H18).9.30

最後尾車140形の車内です。
後ろ側を向いて撮りました。




なお、桃花台最後の日の様子は、一緒にプロジェクトに関わった愛知県OBのKさんのHP
(伊那谷・四季折々の小さな風景)にも掲載されています。
桃花台線最後の日
をご覧ください。
桃花台線(25)

 桃花台東  2006(H18).9.30

車内の窓上の広告スペースには

「16年間ありがとうございました」

仕事でお世話になり、何度も訪問した桃花台ですが、残念ながら写真をあまり撮っていません。毎度のことですが深く反省しています。

次のページには、
桃花台線を紹介するパンフレット(開業前に制作)を2種類と、ピーチライナー100系のパンフレット、更にはおまけで桃花台ニュータウンのパンフレットをスキャナで読み込み掲出しました。
  2016(H28).11.26up
津島軽便堂Topページへ戻る  桃花台線2(パンフレット)

参考図書: 「桃花台線建設史」 愛知県・桃花台新交通株式会社 1992(平成4)年3月発行