大分交通 耶馬溪線 2/2

大分交通P

 野路 1975(S50).8.8

「せきれい」104号は、当時の終点の野路に到着しました。

終点方から見た野路駅です。

途中何ヶ所か立派な駅があったので、野路駅にも期待していたら、待合室があるだけの質素な駅でした。

終着駅というより停留所という感じでしたが、元々線路・ホーム1本の中間駅だったから仕方ありません。
地図で見ると、ここから先は耶馬溪沿いを山間へ分け入り人家が少なくなるので、全線廃止までのしばらくの間、ここが終着駅になったと思われます。
大分交通Q

 野路 1975(S50).8.8

中津方から見た野路駅です。
松の木が印象的です。

この列車は 11:51に到着し、5分停車で折り返しました。

私も、野路滞在5分でこの列車に乗り折り返しました。
大分交通R

 真坂 1975(S50).8.8

野路の一つ手前の真坂駅です。
帰りはこの駅で途中下車しました。

車掌が笛を吹いて出発しようとしています。
終点の野路より、こちらのほうが立派な駅でした。昔は交換可能駅だった面影が残っていました。
写真左側に線路班の詰所のようなものが写っています。
ちょうどお昼で、保線係員が詰所に向かいます。
ホームでは子供たちが遊んでいました。
 大分交通S 真坂 1975(S50).8.8
 「せきれい」は真坂を出発しました。子供たちはまだ遊んでいます。
 大分交通(21) 真坂 1975(S50).8.8
  真坂を出発し、通り過ぎたところです。
大分交通(22)

諫山〜真坂 1975(S50).8.8

真坂から諫山に向けて歩き、次の野路行きを撮りました。

お馴染みになった104号が、向こう側の野路方向へ走り去りました。
大分交通(23)

諫山〜真坂 1975(S50).8.8

諫山のホームから、到着する中津行きを撮りました。

この列車に乗り中津へ戻ります。
大分交通(24)

諫山〜真坂 1975(S50).8.8

中津行き列車が諫山に到着しました。

おばさんが乗り込もうとしています。おかげで通過される心配なく、この写真が撮れました。

おばさんのあと、私は乗り込みました。
大分交通(25)

 中津 1975(S50).8.8

中津車庫の全景です。

上の列車で中津まで戻りましたが、小倉方面へ向かう列車まで間がありましたので、また中津の車庫へ行き撮りました。

蒸気機関車時代を偲ばせる遺物(給水塔・石炭台など)がありました。 
大分交通(26)

 中津 1975(S50).8.8

大分交通耶馬溪線最後の写真は、 601号「やまびこ」です。



このあとの行程は記録がないので定かではありません。
当時の時刻表から推定すると、中津を14:51発博多行き急行「ゆのか6号」に乗れば、戸畑着が15:49です。若戸連絡船に乗り、若松へ渡り、若松市電の夕方の貨物列車を撮り、小倉から新幹線で名古屋へ帰ったと思います。

大分交通(27) 別大線

大分駅前 1970(S45).7.31

大分交通別大線の写真も見つかりましたので添付します。
耶馬溪線訪問の5年前の写真です。


大学の先輩引率で、最初の九州蒸気機関車撮影旅行に連れて行ってもらった時に写したものです。
大分機関区へD60を撮りに行き、大分駅に戻り、久大線の列車に乗るまでの待ち時間に駅前で撮りました。

大分交通(28) 別大線

大分駅前 1970(S45).7.31

歩道橋の上から撮りました。

大分交通別大線は、大分駅前から別府駅前を通り、亀川駅前まで18.4kmを結んでいた路面電車で、1972(S47)年に廃止となりました。

この写真を撮ったころは、蒸気機関車に夢中で、別大線の写真はこの2枚しかありません。
もっと私鉄に目を向ければよかったと反省しています。

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