尾小屋鉄道3-1   日本に最後まで残った軽便らしい軽便鉄道−−−3回目の訪問記[1974(昭和49)年1月]

尾小屋鉄道を3回目に訪問したのは、1974(昭和49)年1月3日でした。このときは、仲間4人で尾小屋鉄道を訪問しました。


尾小屋鉄道のダイヤ(1974年1月) 1973年3月のダイヤと同じです。
尾小屋鉄道3−@

新小松 1974.1.3

このときの尾小屋鉄道のダイヤは、前年3月(前回の尾小屋鉄道2)と同じでした(左下の図)。
無茶苦茶早起きをしないと、家(愛知県)を出て、新小松10:40発の尾小屋鉄道の列車に乗れません。次は新小松13:20発ですから、小松にはお昼頃つく列車で来たと思われます。
新小松発13:20の列車が車庫からホームへ出てきました。
ヘッドライトの下にシメ飾りを付けているのが正月らしくて良いですね。
 
花坂駅に掲示して あった時刻表です('74.1.3)
尾小屋鉄道3−A

新小松 1974.1.3

上の写真でポイントを転換していたおじさんが、手回し式の遮断機を上げています。
左奥の国鉄小松駅には客車列車が停車中のようです。
 
尾小屋鉄道3−B

花坂 1974.1.3

先回の尾小屋訪問(1973.3.20)と同様に、花坂で途中下車し、反対から来る列車を待つことにしました。
やがてやってきた列車を見てびっくりです!なんと車掌が荷台に乗っているではありませんか!
車内が超満員のため、車内へ入れず、寒い荷台に乗ってきたと思われます。
花坂では、車掌がお客を無理矢理押し込んで出発していきました。我々がカメラを構えていたので、車掌も超満員の車内に入りました。ちょっと申し訳ないような気分でした。
正月三が日の最終日の午後で、田舎へ帰省していた人たちが町へ戻るため混雑したのでしょうか?
 
尾小屋鉄道3−C(左)、D(上)    花坂 1974.1.3

超満員のお客を乗せて、キハ2号は花坂を出発していきました。
花坂発13:57の列車だと思いますが、これだけ混んでいれば10分程度は遅れていたと思います。
次の新小松行きは約3時間後ですから、いくら混んでいても乗らないわけにはいきません。
←先頭の窓ガラスにお客さんがへばりついています。

↑通り過ぎたキハ2号です。 

この列車が通り過ぎたあとは、次の列車(尾小屋行き)まで約2時間半あります。尾小屋方向に向かって歩きました。
西大野駅は歩いて通り過ぎました。神社の横にありました(左下の写真)。駅には貨車が留置してありました(下の写真)。
 尾小屋鉄道3-E 西大野 1974.1.3  尾小屋鉄道3-F 西大野 1974.1.3
尾小屋鉄道 3−G

大杉谷口〜金野町 1974.1.3

線路はSカーブを描いています。
上の方に写っている駅が大杉谷口です。中央を横切っている黒い帯が梯川です。梯川を渡ってカーブを曲がって尾小屋行きの列車が来ました。2両連結です。
金野町近くの山に登って撮りました。
16:30頃だと思います。
尾小屋鉄道 3−H 大杉谷口〜金野町 1974.1.3
上の写真Gと同じ場所から同じ列車を追って撮りました。
左に曲がると金野町駅です
尾小屋鉄道 3−I 大杉谷口〜金野町 1974.1.3
左の写真Hと同じ場所です。金平で交換した列車で逆(右)へ進みます。 後ろの客車は、左の写真と同じ客車に見えます。金平で切り放され、新小松行きに連結されて戻っていく運用と思われます。
尾小屋鉄道 3−J 金野町 1974.1.3

 上の写真G〜Iを撮ったあと金野町駅も歩いて通り過ぎました。
 駅には灯りがつく時間となりました。
尾小屋鉄道 3−K 金平 1974.1.3
 金平へ到着した頃は日が暮れていました。結局、花坂〜金平を歩いたことになります。金平駅で尾小屋行きを待ちました。新小松行きが先着し停車中です。尾小屋行きが到着しました。17:45頃です。
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