尾小屋鉄道2-1   日本に最後まで残った軽便らしい軽便鉄道−−−2回目の訪問記[1973(昭和48)年3月]

尾小屋鉄道を2回目に訪問したのは、1973(昭和48)年3月20日でした。このときは、仲間5人で北陸旅行をした時に尾小屋鉄道を訪問しました。
記録をとる友人と一緒だったので、その記録を参考に綴っていきます。
尾小屋鉄道2−@

新小松 1973.3.20

新小松の待合室です。
新小松10:40発の列車に乗りましたので、これは10時過ぎの光景でしょうか。
改札口右横に時刻表が貼ってあります。拡大して判読すると、
発車時刻は
6:50、8:15、10:40、13.20、16:10、17:20、18:50、20:30です。
到着時刻は
6:44、7:46、9:05、11:30、14:10、17:00、18:10、19:40です。
1日8往復で、尾小屋発の始発と新小松発の最終以外は、途中の金平で交換するダイヤになっていました。
尾小屋鉄道のダイヤ(1973年3月)

新小松の発着時刻を基にダイヤを引くと、左の図になります。
尾小屋鉄道2−A

キハ1車内 1973.3.20

新小松10:40発の列車に乗りました。
キハ1号の車内風景です。
この頃は、ローカル鉄道もそれなりに混んでいました。車掌も乗っていました。
当時の女性は和服姿が多かったんだと、今更ながら思います。
尾小屋鉄道2−B

花坂 1973.3.20

少ない列車を撮るために、花坂で途中下車し、反対から来る列車を待つことにしました。

その前に、乗ってきたキハ1号が花坂を出発していくところです。

尾小屋鉄道2−C

花坂 1973.3.20

花坂駅は林の中のムードがある駅でした。この駅で待っているとキハ3号がやってきました。
元遠州鉄道奥山線のキハ1803で、番号がそのまま残っています。

和服姿のおばあさんが乗り込んでから出発します。
 
尾小屋鉄道2−D

花坂 1973.3.20

花坂駅を出発したキハ3号です。
新小松に向けて25‰勾配を登っていきました。

後ろの運転台にヨソ者が座っていますので、こっちに向かってくるように見えますが違います・・
尾小屋鉄道2−E

キハ3号車内 1973.3.20

花坂で上のBCDの写真を撮って、次の列車を待ちました。
(友人の)記録によると、花坂を出発したのが13:34です。
 
ということはDの写真を撮ってから2時間くらい次の列車をボーッと待っていたことになりますね

再び尾小屋行きに乗り込みました。今度はキハ3の車内風景です
ドアを
あけて走っていましたので、走行感を出そうとスローシャッターを押しました。

尾小屋鉄道2−F 金平                               尾小屋鉄道2−G キハ3号運転台
駅に停車中のキハ3です。本来ここで交換するはずでしたが、反対列車がなかなか来ずに
暫く停まっていました。駅員が電話で何回も連絡を取っていましたが、尾小屋駅から出発予定の列車(キハ1)が故障していたようです。 結局反対列車を待たずに金平を出発しました、 

尾小屋鉄道2−H 沢 (だと思います)
瓶底眼鏡をかけた車掌がミルク缶を降ろします。この車掌さんとは尾小屋訪問のたびにお会いしました。 ホームにいる高校生は、新小松行きの列車が来ないので待ちぼうけです。
尾小屋鉄道2−I 観音下(かながそ)
この駅で新小松行きと交換するようです。普段使わないポイントの錠を開け転換し、キハ3号は側線の方に入りました。車掌が駅舎に入って電話連絡していました。この駅でもしばらく待つことになりました。
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