尾小屋鉄道1   日本に最後まで残った軽便らしい軽便鉄道−−−最初の訪問記[1972(昭和47)年8月]

  尾小屋鉄道1−@

尾小屋 1972.8.23

尾小屋鉄道を最初に訪問したのは、1972(昭和47)年8月23日でした。
まず、新小松から終点の尾小屋まで全線乗車しました。

尾小屋に到着したあと、キハ1号が入換を始めました。
尾小屋駅構内は軽便ファンにしてみれば、聖地みたいなところで、周りの景色も含め、軽便ムードがあふれていました。
左に写っている「をこや」の看板がまた良いですね!
  尾小屋鉄道1−A

尾小屋 1972.8.23

入換をしたキハ1号は、ホハフ8号の前に連結しました。
朝顔型連結器の連結作業です。


下の写真は連結されたホハフ8号です。
 
 
  尾小屋鉄道1−B

金平 1972.8.23

当時は、ほとんどの列車が中間駅の「金平」で交換するダイヤになっていました。
尾小屋からの帰りは、金平で途中下車し、交換した尾小屋行きキハ2号の出発シーンを撮りました。
煙を吐きながら金平を出発していくキハ2号の写真を見ると、「男はつらいよ・柴又慕情」の冒頭シーンを思い出しますね!
ご参考までに↓
http://www.youtube.com/watch?v=zwsDVsqrnY8 (友人から紹介してもらいました)

蛇足ですが、この映画には私のあこがれの吉永小百合さんが登場します。他に京福電鉄永平寺線や東古市駅も登場します。尾小屋鉄道は冒頭だけですが、尾小屋の魅力を凝縮して詰め込んだという感じがするシーンです。私は映画館で見ましたが、近くの観客が「こんなとこがまだ日本にあるんか」という話をしていたのを覚えています。
  尾小屋鉄道1−C

金平 1972.8.23

金平で次の列車まで長い間待ったと思います。
尾小屋で折り返したキハ2号がやってきました。
  尾小屋鉄道1−D

金平 1972.8.23

キハ2号は腕木信号機の横を通過しました。まもなく金平駅です。
  尾小屋鉄道1−E

金平 1972.8.23

この日何度目かの交換風景です。

新小松からのキハ1号が先着し、しばらく停まっていました。
冷房も扇風機もない列車内は、走っているときは風が入ってきてまだ良いですが、停まっていると暑くなってきます。みんな暑そうですね。

この写真を撮ったあと、走って右のキハ2号に乗って大杉谷口まで行きました。
  尾小屋鉄道1−F

大杉谷口 1972.8.23

尾小屋行きの列車が、大杉谷口をでて、尾小屋鉄道最大の鉄橋(梯川橋梁)を渡ります。
夏はドアを開けて走るのが当然だったようです。
当時は、それなりにお客さんが乗っていました。立ち席客もいます。
後方に写っているのが大杉谷口の駅です。
 
  尾小屋鉄道1−G

大杉谷口 1972.8.23

上の写真Fのキハ2号は、金平で新小松行きと交換します。
大杉谷口のホームでしばらく待っていると、キハ1号がやってきました。 
この列車に乗って新小松へ戻ります。
これで第1回目の尾小屋鉄道訪問は終わりました。

   
H新小松 駅のホームに停車中のキハ1号です。 I新小松 駅の末端です。遠くに北陸鉄道小松線の電車が見えます。
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