津島軽便堂写真館

西鉄 福岡市内線 1/2   博多駅前、天神~姪の浜       福岡市内線2

西鉄福岡市内線の路線図です。全線で29.2kmありまして、ほとんど複線でしたが室見橋~姪の浜1.9kmは単線で通票閉塞でした。貝塚線は、宮地嶽線の新博多(西鉄博多→千鳥橋)~西鉄多々良(→貝塚)3.3kmを改軌・複線化して市内線に組み込まれましたが、法規上は鉄道線のままでした。詳細はWikipedia西鉄福岡市内線をご覧ください。 私は残念ながら最後の頃しか撮っておらず、railbusさんとNさんの写真を中心にご覧ください。
福岡市内線① railbusさん撮影

博多駅前 1968(S43).3.29

昭和43年の博多駅前です!
駅前が広々としていますね。そしてダブルルーフの市内電車も走っています。
48年前の博多駅前は、こんな風景だったのですね…



railbusさん学生時代の福岡市内線です。
福岡市内線② railbusさん撮影

博多駅前 1968(S43).3.29

上の写真の少し前です。大勢のお客さんが二重屋根の116号に乗ろうとしています。



西鉄101形116号

西鉄北九州線の前身である九州電気軌道の最初の電車・1形のモデルチェンジ(窓が2枚1組×5になった)の35形電車(1914~1921(大正3~10)年に31両製造)です。1950(昭和25)年以降に1形と共に福岡市内線へ転属となり101形となりました。
詳細は
Wiki九州電気軌道1形電車参照
福岡市内線③ railbusさん撮影

博多駅前 1968(S43).3.29

戦時中の輸送力増強のため1944(昭和19)年から30両製造されました。

詳細は
Wiki福岡市内線500形参照
福岡市内線④ railbusさん撮影

博多駅前 1968(S43).3.29

上の写真②の木造ボギー車100形の代替用に製造されました。
連接車の1000形に準じた車体形状の電車です。
305号は1964(昭和39)年製で、この当時の新型車両でした。

詳細は
→Wiki西鉄300形参照
福岡市内線⑤ railbusさん撮影

博多駅前 1974(S49).5.4

駅前に並んだ「博多どんたく」の花電車です!
上の写真①~④の6年後です。
上の写真で工事中だった駅前に立派なビルが建ち並びました。


花電車に使われたのは事業用の20形20~22号で、21号は4年後の1978(S53)年に長崎電軌へ譲渡(87号へ)、20・22号は1978~79年に鹿児島市交通局へ譲渡され花1・花2号となりました。
福岡市内線⑥ railbusさん撮影

博多駅前 1974(S49).5.4

花電車が博多駅前を出発していきました。
福岡市内線⑦ railbusさん撮影

博多駅前 1974(S49).5.4

上の写真⑥の続きです。
2両目・3両目の花電車が出発しました。
福岡市内線⑧  Nさん撮影

 天神  1974(S49).3.30

Nさんも福岡市内線を訪問しました。

福岡の中心地・天神です。

天神電停の南方向を見て撮りました。
写真右側が西鉄福岡(天神)駅です。

551号は、500形の系列ですが、551形(551~560)と呼ばれることもあるようです。
福岡市内線⑨  Nさん撮影

 天神  1974(S49).3.30

天神電停から北を見ました。
市内線の十字路の天神交叉点を東西に電車が走っています。

この写真左側が西鉄福岡(天神)駅です。

561~608号は500形の流れをくむ561形です。
福岡市内線⑩  Nさん撮影

 天神  1974(S49).3.30

上の写真⑨と同じ場所で、電車が4両も写っています。
福岡市内線⑪  Nさん撮影

 天神  1974(S49).3.30

天神交叉点の西から東を見た風景です。
福岡市街を東西に貫く1系統の557号が、天神電停に停車中です。
福岡市内線⑫  Nさん撮影

 大手門  1974(S49).3.30

天神の少し西の大手門です。
500形508号がお濠の横を走っています。
右の方に、福岡城跡の潮見櫓が見えます。
福岡市内線⑬  Nさん撮影

 大手門  1974(S49).3.30

花壇の向こうを300形トップナンバー301号が走ります。

後ろの方に、旧・西鉄ライオンズのホームグラウンド平和台球場の照明灯もありました!


西鉄ライオンズは、1950年代後半(S31~33日本一)は黄金時代でしたが、1973(S48)年に身売りされ太平洋クラブライオンズとなり、1977(S52)年にはクラウンライターライオンズ、1978年10月には西武に買収され西武ライオンズとなり、本拠地が埼玉県所沢に移転しました。その10年後に南海ホークスがダイエーに買収され、福岡ダイエーホークスの本拠地として再び平和台球場は脚光を浴びましたが、1993(H5)年からは福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)へ移転、その後解体されたということです。なお、ホークスは2005(H17)年から福岡ソフトバンクホークスになりました。
福岡市内線⑭  Nさん撮影

 室見橋  1974(S49).3.30

福岡市内線西の端、室見橋~姪の浜間は単線でした。
室見橋電停から、姪の浜方向を見ています。
200形の広告電車が到着します。
福岡市内線⑮  Nさん撮影

 室見橋  1974(S49).3.30

室見橋電停です。
1系統九大前行きの557号が停車中ですが、手前の乗降口に、係員が白い通票を肩に掛けて反対列車を待っていました。
福岡市内線⑯  Nさん撮影

 室見橋  1974(S49).3.30

反対列車が到着したので、係員が姪の浜行きホームへ移動します。
赤い通票を持っていますが、右肩には白い通票も掛けているようです。
時間帯によって2閉塞区間を統合していたと思われます。
(赤い通票が室見橋~愛宕下間、白い通票が愛宕下~竹の山四丁目間の通行手形と思われます)
名鉄美濃町線でも、時間帯によって閉塞区間を統合したり分割したりしていました。
福岡市内線⑰  Nさん撮影

竹の山四丁目  1974(S49).3.30

竹の山四丁目での列車交換です。
どこの電停か分からなかったのですが、写真を拡大したら電柱に電停名が書いてありました。
福岡市内線⑱  Nさん撮影

 姪の浜  1974(S49).3.30

終点・姪の浜電停です。
終端駅ですが、途中の交換駅(上の⑰)と同じ線路配置でした。
手前が竹の山四丁目方で、福岡市街に向かう車が繋がっています。
姪の浜電停は、国鉄筑肥線姪浜駅の約400m北の位置にあり、少し離れていました。この写真の左方向に進むと国鉄駅でした。


写真の200形は、大牟田市内線、福島線で活躍した後、福岡市内線へやってきました。
詳細は→Wiki西鉄200形参照
福岡市内線⑲⑳ 室見橋~姪の浜 1974(S49).3.30 Nさん撮影

単線区間の運転士同士の通票交換です。↑が竹の山四丁目、↗が愛宕下と思われます。
福岡市内線(21) railbusさん撮影

 姪の浜 1974(S49).5.4

終点・姪の浜電停です。
上の写真⑱と逆方向、終端側から見ています。
2両停車中ですので、続行運転が行われていたことがわかります。
↑姪浜 1986(S61).5.18 Nさん撮影
市内線の姪の浜電停が1975(昭和50)年に廃止、その8年後に市内線代替の福岡地下鉄が国鉄筑肥線姪浜駅まで延伸、国鉄との相互直通運転が開始されました。

姪の浜電停と姪浜駅は離れていました。


福岡市内線(22) railbusさん撮影

 姪の浜 1974(S49).5.4

「博多どんたく」の花電車が到着しました。
福岡市内線(23) railbusさん撮影

 姪の浜 1974(S49).5.4

花電車の孫悟空号が機回しして反対線に移動しました。
続行運転で200形210号も到着しました。
そろそろ花電車も出発の時間です。


続きは次のページです。
railbusさんのHPは

昭和40年代の蒸機「煙の出るアルバム」、名古屋市電、海外の路面電車、中国のトロリーバスなどを、ぜひご覧ください。
2016(H28).8.30up
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参考図書: 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行
        「日本鉄道旅行地図帳12号・九州沖縄」 新潮社 2009(平成21)年4月発行