南部縦貫鉄道 2/2         レールバスが活躍していた昭和48年春の風景です

南部縦貫鉄道J Nさん撮影

 七戸 1973(S48).3.28

後平からレールバス101号に乗り、南部縦貫鉄道の終点・七戸に8:28に到着しました。南部縦貫鉄道完乗!
旅客列車は、このあと13:10まで走りませんが、貨物列車がその間に野辺地まで1往復するようで、ディーゼル機関車が白煙を上げて準備していました。

南部縦貫鉄道K

 七戸 1973(S48).3.28

ホームを通り過ぎたところに止まっているレールバスです。
小荷物を降ろすために移動したのかもしれません。
南部縦貫鉄道L

 七戸 1973(S48).3.28

レールバスは、入換のため上のKの逆方向(野辺地方)へ走っていきました。
ここで折り返して一旦車庫に入ったと思います。


この写真の貨車のすぐ左にバスが小さく写っています。
たぶん、そのバスに乗って十和田市へ向かったと思います。

Nさんの記録によれば、七戸を8:30発のバスに乗っています。列車で到着してわずか2分の絶妙な接続です。この間にJ〜Lの写真を撮ったことになりますが、たぶんバスが少し遅れてくれたおかげで乗換が出来たのだと思います。

十和田観光電鉄 Nさん撮影

三沢付近 1973(S48).3.28


Nさんの記録によれば(私は記録を取っていませんのでNさんに頼るしかありません)十和田市に9:00到着、9:24発の十和田観光電鉄に乗り、9:49に三沢到着です。

2012(H24)年3月末で廃止が決定した十和田観光電鉄です。
当時の東北の私鉄の中では、一番近代化されたイメージでした。

国鉄・野辺地 1973(S48).3.28

雪の舞う野辺地で客車列車どうしの交換です。
こちらのホームに入ってくるのが、これから乗ろうとする11:34発の仙台行きの普通1542列車です。
左に停まっている列車は11:34発の青森行き急行「十和田5号」です。

またまたNさんの記録によれば、三沢10:37発の急行「十和田4号」に乗り、野辺地着が11:00です。
野辺地には早朝5:35に到着し、南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄の2私鉄を乗りつぶして振り出しに戻ったことになります。
野辺地で折り返して、11:34発の普通列車で千曳へ戻り、また南部縦貫鉄道の撮影に向かいます。(三沢から千曳へ向かう普通列車が3時間以上なかったため、急行で一旦野辺地へ出て、折り返しました)
南部縦貫鉄道M Nさん撮影

西千曳〜後平 1973(S48).3.28

国鉄の千曳(11:41着)から南部縦貫の西千曳まで歩きました。
遠かったような気がしますが、前ページの地図で見ると約2kmです。
そこから後平に向けて歩きました。苦労して行った割には天気が悪く、高原のムードも・・・

南部縦貫鉄道 午後の1番列車です。
七戸を13:10に出発してきました。
お客はあまり乗っていないようです。
南部縦貫鉄道N Nさん撮影

西千曳〜後平 1973(S48).3.28

上のMの折返し、野辺地14:10発の列車です。
Nさんは雪の中を歩いて行って撮りました。
南部縦貫鉄道O

西千曳〜後平 1973(S48).3.28

上のNと同じ野辺地折返しの列車です。
私はNさんとは別の場所で撮りました。
Sカーブの後方に霞んでいる家並みは、千曳の集落と思われます。
南部縦貫鉄道P

西千曳〜後平 1973(S48).3.28

上のOの写真を撮ったあと、線路へ駆け下り、走り去る列車を撮りました。

上のN(Nさん撮影)は、このチョット先の風景と思われます。
南部縦貫鉄道Q

野辺地 1973(S48).3.28

西千曳〜後平で列車を1往復M〜Pを撮ったあと、西千曳15:51発のレールバス・101号に乗り、野辺地に戻りました。
この日3度目の野辺地訪問ということになります。


ホーム停車中のキハ101号を撮って、南部縦貫鉄道をあとにしました。

南部縦貫鉄道は、私が1973(S48)年に訪問した私鉄の中で、真っ先に廃止になると思っていましたが、その後24年も存続しました。結局私は再訪することなく廃止となってしまいました。
しかし、レールバスと七戸駅構内は、南部縦貫レールバス愛好会により保存・整備されています。
詳細は「思い出のレールバス」をご覧ください。
 Top頁(Home)へ  前の頁(南部縦貫鉄道1)へ戻る