津島軽便堂写真館

松本電鉄   松本駅から上高地へ行く登山客を乗せて島々まで走っていました。

松本電鉄上高地線の地図です。
上高地へ向かう観光客は、終点の島々でバスに乗り換えていましたが、新島々にバスターミナルができ、水害で新島々~島々間が廃止されましたので、現在は新島々で乗り換えです。
詳細は→Wiki上高地線

昔は、松本駅から浅間温泉に向かう路面電車の浅間線もありましたが、1964(S39)年に廃止されました。私とNさんが中学生の頃で、写真はありません。
浅間線の写真は→地方私鉄1960年代の回想
をご覧ください。

松本電鉄は、2011(H23)年にグループのバス会社を合併し「アルピコ交通」と社名変更しました。
松本電鉄①  Nさん撮影

 松本 1970(S45).4.13

松本駅に停車中のモハ10形の島々行きです。隣のホームには大糸線の水色の旧型国電が停まっています。

松本電鉄は、1986(昭和61)年に架線電圧を1500Vに昇圧しました。
それまでの標準車両モハ10形です。
いわゆる日車標準車体の電車で、老朽化した木造電車の車体だけ1958~64(昭和33~39)年に新造されました。
この仲間は、岳南鉄道や新潟交通にもいました。名鉄のHL車3700系も片運転台ですが同じ仲間でした(木造車の車体更新車)。
松本電鉄②  Nさん撮影

 島々 1978(S53).9.26

こぢんまりとした終着駅でした。
モハ10形の2連が静かに折り返し発車を待っていました。

1983(S58)年9月の台風による土砂災害で新島々~島々間が運転休止となり、そのまま1985(S60)年1月に廃止されました。
松本電鉄③  Nさん撮影

 渕東 1978(S53).9.26

黄金色の田圃の向こうをモハ10形2連が走り去ります。
渕東で途中下車し、島々行きの電車を撮りました。
松本電鉄④  Nさん撮影

 渕東 1978(S53).9.26

渕東駅に到着した電車です。
松本電鉄⑤  Nさん撮影

 渕東 1978(S53).9.26

稲刈りが終わり、稲架に干してある稲の向こうを、モハ10形2連が走りました。
手前の田圃は、稲刈り前の黄金色でした。

Nさんが撮ったモハ10形最後の写真です。
松本電鉄⑥

 新村 1984(S59).5.12

私は、このとき以前に松本電鉄上高地線を乗りつぶしましたが、写真がなかったので再訪しました。
車庫のある新村駅で下車しました。


この当時は、国電の元祖といわれた甲武鉄道(中央線の前身)の初期の電車が車庫の奥に保存されていましたが、そんな知識はなくて、見ていません・・・(現在、鉄道博物館に「デ968」(ハニフ1)として展示されています。)
ハニフ1号については
汽車・電車1971~をご覧ください。
松本電鉄⑦

北新~新村 1984(S59).5.12

北アルプスの山並みを背景に、モハ10形2連が走ります。

残雪の山並みを背景にできる場所を探し、新村で降り、北新に向けて歩きました。
松本電鉄⑧

北新~新村 1984(S59).5.12

上の写真⑦の続きです。
手前の田圃では、小型の田植機を使って田植えを行っていました。
松本電鉄⑨

北新~下新 1984(S59).5.12

モハ10形2連を順光で捉えました。
カーブを曲がって、間もなく北新へ到着です。
松本電鉄⑩

 北新 1984(S59).5.12

上の写真⑨の続きです。
北新を出発した新島々行き電車の後ろ姿です。
松本電鉄⑪

 北新 1984(S59).5.12

北新のホームから松本行きの電車を撮りました。
この電車に乗り、松本に向かい、特急「しなの」に乗り換え、家に帰りました。
松本電鉄⑫

 新島々 2012(H24).7.26

現在の終点、新島々です。
開業時は赤松駅でしたが、1966(S41)年10月に新島々と改称しました。
電車は1986(S61)年の昇圧時に東急5000系に置き換えられましたが、現在は全て京王3000系になっています。
駅前にバスターミナルがあり、上高地、乗鞍、白骨温泉、高山方面は、ここでバスに乗り換えです(写真左側)。

梓川流域のダム建設のための資材輸送が昭和40年代前半(1966~)に国鉄・松本電鉄を使って行われました。
松本電鉄渚
(なぎさ)駅に貨物ヤードを建設、そこまでは国鉄のD51が貨物列車を牽引して乗り入れ、渚~新島々間を松本電鉄の電気機関車が牽引しました。この輸送用に導入されたのがED40形2両で、ダム資材輸送終了により、岳南鉄道へ譲渡されました。
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参考図書: 「世界の鉄道'74」 朝日新聞社 1973(昭和48)年10月発行