津島軽便堂写真館

弘南鉄道  旧型車両が活躍していた頃の大鰐線・弘南線

弘南鉄道は、青森県に残された私鉄として津軽鉄道と共に頑張っています。
弘南線:弘前~黒石16.8km(左図赤線)
大鰐線:大鰐~中央弘前13.9km(左図青線)

国鉄黒石線(左図緑線)を1984(S59).11.1に譲り受け、川部~黒石6.2kmが弘南鉄道黒石線となりましたが、1998(H10).4.1に廃止されました。
国土地理院1/20万 地形図「弘前」S48.12発行に加筆
弘南鉄道の起終点と撮影地の最寄駅を記入しました。
国鉄黒石駅 1970(S45).10.17 Nさん撮影

赤字ローカル線対策で1984(S59).11.1に国鉄黒石線は弘南鉄道に転換され、黒石駅は0.4km手前右側にあった弘南黒石駅に統合されました。(川部~黒石間6.6→6.2kmに短縮)
弘南鉄道①

弘南大鰐 1972(S47).3.17

大鰐線は、弘前電気鉄道が1952(昭和27)年に開業した路線で、1970(昭和45)年に弘南鉄道へ吸収合併されました。
大鰐線の終点・弘南大鰐(現・大鰐)に停車中の電車です。
国鉄の貨物側線には冷蔵車がたくさん止まっていました。

国鉄奥羽線で大鰐に到着し、弘南鉄道への乗換跨線橋から停車中の電車を撮りました。
手前の電車は、元・小田急のクハ201です。
弘南鉄道②

弘南大鰐 1972(S47).3.17

モハ106です。
秩父鉄道から譲渡された電車です。

モハ106-クハ201の編成でした。
弘南鉄道③

弘南大鰐 1972(S47).3.17

上の写真②の反対側から撮りました。元小田急のクハ201です。

この電車に乗り中央弘前まで行きました。
弘南鉄道④

中央弘前 1972(S47).3.17

大鰐線のターミナル・中央弘前です。

中央弘前では、この1枚だけ撮り、再び電車に乗り車庫のある津軽大沢へ折返しました。
弘南鉄道⑤

津軽大沢 1972(S47).3.17

大鰐行きの電車が車庫のある津軽大沢を出発して行きました。
降りたお客が改札口に向かいます。保線係も作業していました。

左手前にはクハニ203が停車していました。
弘南鉄道⑥

津軽大沢 1972(S47).3.17

タブレットを交換した中央弘前行きのモハ2250形2250です。
モハ2250形は、1928(昭和3)年に富士身延鉄道(現・身延線)用に製造された電車で、1957(昭和32)年に弘南鉄道へ譲渡されました。
リベットがゴツゴツした感じが良いですね!
弘南鉄道⑦

津軽大沢 1972(S47).3.17

木造車のモハ102-クハニ203です。

大鰐線は、弘前電気鉄道が1952(昭和27)年に開業した路線で、1970(昭和45)年に弘南鉄道へ吸収合併されました。
両車とも、弘前電鉄の開業時から活躍している電車ですが、モハ102は元秩父鉄道、クハニ203は元国電です。
弘南鉄道⑧

津軽大沢 1972(S47).3.17

ホーム側から見たモハ102-クハニ203です。
弘南鉄道⑨

津軽大沢 1972(S47).3.17

車庫の全景です。
右がクハニ203、真ん中がモハ108、左が電装解除後のモハ2251と思われます。
弘南鉄道⑩

津軽大沢 1972(S47).3.17

津軽大沢から少し歩いて走行写真を撮りました。
モハ106-クハ201の編成です。
弘南鉄道⑪

津軽大沢 1972(S47).3.17

電車から降りたお客が改札口に向かいます。
女性の駅員が出迎えます。
弘南鉄道⑫

津軽大沢 1972(S47).3.17

雪山を背景に真横から撮りました。
左からクハ201-モハ106の編成です。
弘南鉄道⑬

津軽大沢 1972(S47).3.17

右からモハ2250-クハニ1282の編成です。
弘南鉄道⑭

津軽大沢 1972(S47).3.17

同上
上の写真⑬の続きです。
弘南鉄道⑮ Nさん撮影

新石川~津軽大沢 1972(S47).4.7

国鉄奥羽線を跨ぐための高架橋を走ります。
手前はクハ201です。
弘南鉄道⑯ Nさん撮影

新石川~津軽大沢 1973(S48).3.30

奥羽線との交差部付近です。
右手前のコンクリート電柱が奥羽線の電柱です。
夕方ラッシュ用に4両編成で走っていました。遠くの山並み(南東方向)が綺麗に見えました。


大鰐線の写真は以上です。
この下に、弘南線の写真が続きます。
弘南鉄道⑰

弘南弘前 1972(S47).3.17

弘南線の起点・弘南弘前(現・弘前)駅です。国鉄弘前駅の端に弘南線のホームがありました。
モハ2230形2233の4両編成が停車中です。
モハ2230形は、西武鉄道から譲渡された元武蔵野鉄道のモハ231形です。
弘南鉄道⑱

弘南弘前 1972(S47).3.17

上の写真⑰の反対側から見ました。
手前がクハ1266です。
これも西武鉄道から譲渡された車両です。

写真を見るとクハ1266形-モハ2230形を2本つないだ4連です。
弘南鉄道⑲ Nさん撮影

弘南弘前 1972(S47).4.7

弘南弘前(現・弘前)を出発したモハ2250形の後ろ姿です。
横にはED333の貨物列車が停車中です。
ED333は西武鉄道から譲渡された機関車です。
弘南鉄道⑳

弘南黒石 1973(S48).3.29

雪覆い用の屋根が付いた弘南黒石(現・黒石)のホームです。

手前は元西武のモハ2232ですが、パンタが撤去されています。(クハとして使われていたのか?)
弘南鉄道(21)

弘南黒石 1973(S48).3.29

上の写真⑳の反対側から見ました。
モハ2250形です。
弘南鉄道(22) Nさん撮影

新里~館田 1973(S48).3.30

平川の鉄橋を渡る4両編成です。

窓配置から推定すると、左から2両目がモハ2230形、その他3両がモハ2250形と思われます。左から2・4両目の屋根上を拡大すると、パンタが撤去されたように見えます。
弘南鉄道(23) Nさん撮影

新里~館田 1973(S48).3.30

津軽富士の岩木山をバックに平川の鉄橋を渡ります、

上の写真(22)と同じ編成です。弘前で折り返してくる列車を対岸で待ち構えました。
弘南鉄道(24) Nさん撮影

新里~館田 1973(S48).3.30

館田を出発して平川の鉄橋に向かう5両編成です。
旧型国電を譲り受けたクハ16形が先頭です。
弘南鉄道(25) Nさん撮影

新里~館田 1973(S48).3.30

上の写真(24)の続きです。通り過ぎた列車を後追いで撮りました。
岩木山が良い感じでした。
弘南鉄道(26) Nさん撮影

新里~館田 1973(S48).3.30

正面が電柱に掛かりましたが、手前がモハ108です。
この車両は、京浜急行の車体を改造して西武所沢工場で製造されました。
弘南鉄道(27) Nさん撮影

黒石 1997(H9).11.22

上の写真から24年後の黒石駅の風景です。
車両は全て置き換わり、東急から譲渡されたステンレス車が活躍するようになりました(右ホーム)。
その右の留置線に停車中の緑濃淡の車両は南海からの譲渡車です。

国鉄黒石線を1984(S59).11.1に譲り受け弘南鉄道黒石線(非電化)となり、(国鉄)黒石駅は弘南線の黒石駅に統合されました。
左のホームが黒石線用で、右側に国鉄から譲渡されたキハ22形、その左に小坂鉄道から譲渡されたキハ2100形が停車中。
弘南鉄道(28) Nさん撮影

黒石 1997(H9).11.21

駅舎側から見た黒石線ホーム。
上の写真(27)の逆方向です。

黒石線は4番線から発着。左の3番線は留置用として使われました。

4番線停車中のキハ2100形は、元小坂鉄道の気動車で、同社の旅客営業廃止(1994.10.1)に伴い、弘南鉄道へ譲渡されました。
弘南鉄道(29) Nさん撮影

前田屋敷 1997(H9).11.22

黒石線の中間駅・前田屋敷付近を走るキハ2100形です。

国鉄から引き継いだ黒石線は、この写真撮影から約半年後の1998(H10).4.1に廃止されました。
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参考図書: RM LIBRARY 132・133 「弘南鉄道(上・下)」 高井薫平著 ネコ・パブリッシング 2010.8.1-9.1発行