野上電鉄 2/2 元阪神の小型電車が活躍するローカル私鉄でした
野上電鉄K Nさん撮影 登山口 1973(S48).1..27 野上電鉄の終点・登山口です。 停車中の電車は32号です。 |
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野上電鉄L 登山口 1972(S47).5.3 登山口駅の駅舎内です。 改札口の上の「当駅発車時刻表」を拡大して読むと、毎時2本の列車が運転されていました。(基本は17分、47分発) |
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野上電鉄M 動木〜竜光寺前 1972(S47).5.3 動木(とどろき)駅を出発してすぐの場所です。切り通しになっていました。 写真の右手前が動木駅で、向こう側が登山口方面です。 手前の分岐は側線用のものでしたが、長い間使われた形跡がありませんでした。 |
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野上電鉄N 動木〜紀伊野上 1972(S47).5.3 写真の左側が動木(とどろき)駅です。 山の斜面に登って家並みの瓦屋根と電車を俯瞰しました。 逆光でしたが、瓦屋根は良い感じに写りました。 こんな電車が貨車1両引っ張って混合列車で走れば、私の理想とするローカル私鉄なんですが・・・貨物(=混合列車)は前年に廃止になったようです。 流れる川は、貴志川の上流で、この川下に南海貴志川線の貴志駅がありました。 南海貴志川線は廃止を検討されましたが、和歌山電鐵があとを引き継ぎ、貴志駅は猫の「たま駅長」で有名になりました。→Wikipedia参照 |
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野上電鉄O 竜光寺前 1972(S47).5.3 日方行きの電車が竜光寺前に到着します。 |
←野上電鉄P 竜光寺前〜動木 1972(S47).5.3 上の写真Oの続きで、竜光寺前を出発した日方行きの電車を、後追いで撮りました。 |
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↓野上電鉄Q 動木〜竜光寺前 1972(S47).5.3 動木(とどろき)駅を出発した電車です。後ろに動木駅のホームが写っています。上の写真Mの逆方向から撮った写真です。 |
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野上電鉄R Nさん撮影 日方(連絡口) 1993(H5).10.24 前頁と上の写真から20年以上経過した野上電鉄です。 奇跡的に生き延びた野上電鉄も、1994(H6)年3月末限りで廃止になることが決まりました。 廃止の約半年前の情景です。 電車の色が変更されていました。クリーム色とオレンジ色のツートンで、ローカル私鉄に似合った色です。 電車の色は綺麗になり、一部の電車は置き換えられていましたが、それ以外は20年前(前頁F)とほとんど変わっていません。 |
野上電鉄S 日方(連絡口) 1993(H5).9.28 連絡口の駅舎です。 電車の前照灯が通路を照らす照明灯として使われていました(左上) |
野上電鉄(21) 日方(連絡口) 1993(H5).9.28 廃止半年前の待合室の風景です。 改札口横には「構内・線路敷地内で写真撮影厳禁」の張り紙が・・・ |
野上電鉄(22) 日方(連絡口) 1993(H5).9.28 登山口行きの25号です。 車体はだいぶ傷んでいましたが、とんがり帽子の尾灯は健在でした。 |
野上電鉄(23) 25号の車内 1993(H5).9.28 モハ25号の車内、運転台付近です。 運転台の仕切扉が無く、オープンな感じでした。 |
野上電鉄(24) Nさん撮影 動木〜紀伊野上 1993(H5).10.24 廃止になった富山地鉄射水線から譲り受けたデ10形が、貴志川沿いを走ります。 |
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野上電鉄(25) 下佐々付近 1993(H5).9.28 前回の訪問では見なかったデ10形です。 富山地鉄からやってきて、1976(昭和51)年から野上電鉄で3両が活躍しました。 野上電鉄末期の主役でした。 半年後に廃止されるということで、彼岸花もそろそろ終わりかけた頃に再訪しました。 |
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野上電鉄(26) 下佐々付近 1993(H5).9.28 線路際に彼岸花が咲き、稲穂が実り手前には秋桜の花が咲いてます。 最後の秋の野上電鉄です。 モハ25号が通り過ぎました。 |
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野上電鉄(27) 登山口 1993(H5).9.28 終点に停車中の25号です。 上の写真(22)と比べると、尾灯の形が違います。 日方寄りの尾灯は、とんがり帽子ではなく、普通の形でした。 |
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野上電鉄(28) 日方 1993(H5).9.28 最後は日方駅です。 駅舎は昔のままですが、周りが少し小綺麗になり、邪魔なコンクリート柱が立っていました。 魅力的な前面5枚窓の24号は、明治アーモンドチョコボールの広告電車になっていました。 私が撮った野上電鉄最後の写真です。 前のページへ戻る |
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