紀州鉱山鉄道   おまけ

  おまけ@ 1976.1.13

板屋で偶然見かけた三重交通のボンネットバスです。
私達は、新宮から三重交通のバスに乗ってきたのですが、そちらの系統は普通のバスでした。
このボンネットバスは本数の少なかった熊野市経由上木本行きとなっています。 
後ろに板屋選鉱所が写っています。
  おまけA 1976.1.13

板屋の目抜き通りを走るボンネットバスです。
上の写真@を撮ったあと、出発時間が近かったので、ちょっと走ってバスが来るのを待ちました。
今もこの通りは残っていますが、すぐ横に新道ができ、この道をバスは通らなくなりました。 
   紀州鉱山鉄道 板屋駅

1976(昭和51)年1月12・13日に訪問した紀州鉱山鉄道最後の写真です。

充実した2日間(実質1日半)でした。
思い起こせば、この頃(20代前半)が私の鉄道写真全盛期でしたね。

1月13日の11時頃、想い出が詰まった板屋をあとにしました。
  おまけB 1976.1.13

紀勢線阿田和駅です。

板屋から11時頃、新宮行きバスに乗り、阿田和で下車して、国鉄の阿田和駅へ行きました。 
DF50の貨物列車が停まっていて、DF50単機回送が通過しました。
写真の右側に石原産業の鉱石積込設備の跡が残っています。昔は板屋から阿田和まで索道で鉱石を運搬していたようですが、このとき既に廃止になっていました。

阿田和を12:49発の普通列車で熊野市まで出て、急行に乗り換え名古屋に戻りました。




紀州鉱山鉄道訪問記の終了です。

最後までご覧いただきありがとうございました。
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