蹴上の桜     桜の名所「京都」の中でも、蹴上の桜は素敵な電車を見守っていました。

蹴上の桜@ 1983(S58).4.8

桜の季節になると、思い出す鉄道風景がいろいろあります。

京阪京津線の蹴上もその一つです。
桜の綺麗な場所はたくさんありましたが、そこを走る電車も魅力的だった所はそんなに数多くはありませんでした。

京都の東山を走る、この京阪80形は私が大好きな電車でした。
この電車を撮るために、桜の咲く頃に出掛けました。
29年前、1983(昭和58)年の春でした。
蹴上の桜A 1983(S58).4.8

蹴上のホームに停まる、80形93号の四宮行きです。

インクラインの堤防の桜が良い感じでした。

インターネットで調べると、1983(昭和58)年4月8日は金曜日でした。
近くの高校で入学式が行われたようです。地図で調べると東山高校が蹴上から一番近い高校でした。
蹴上の桜B 1983(S58).4.8

蹴上を通過する準急の浜大津行きです。
桜満開の都ホテルの前を走ります。
蹴上の桜C 1983(S58).4.8

九条山から坂を下ってきた505号です。
三条と浜大津を結んでいた京阪京津線は、併用軌道と専用軌道の区間があり、急勾配、急曲線の連続する変化に富んだ路線でした(今でも御陵〜浜大津は残っていますが)。

1997(平成9)年10月に、京都市営地下鉄東西線が開通して、並行する京津線の三条〜御陵が廃止になりました。
それにより、蹴上の桜の花の下を走る電車は見られなくなりました。
 
蹴上の桜D 1983(S58).4.8

入学式が終わったようで、ホームには高校新1年生と保護者があふれています。
この頃は、昼間に前照灯を点ける習慣はなかったのですが、505号は注意喚起のため、蹴上を通過する少し前から通過し終わるまで警笛を鳴らし、前照灯を点けました。
蹴上の桜E 1983(S58).4.8

「ミシガン」のヘッドマーク付きの302号です。

Wikipediaで調べると、琵琶湖に外輪船「ミシガン」が就航したのは1982(昭和57)年4月26日ということで、この写真を撮った約1年前になります。

ミシガンクルーズへ、浜大津で連絡する列車には「ミシガン」のヘッドマークを付けていたと思われます。
蹴上の桜F 1983(S58).4.8

九条山から坂を下ってきた80形の三条行きです。

蹴上の桜G 1983(S58).4.8

301号が、三条から蹴上までの併用軌道を間もなく抜け、九条山の坂を登っていきます。
蹴上の桜H 1983(S58).4.8

蹴上に停車する80形89号です。
この日、蹴上で撮った最後の写真です。
蹴上の桜は満開でしたが、このあと叡電の八瀬遊園へ行ったら五分咲きで、鞍馬は蕾の状態でした。
夕方近くに行った嵐電の鳴滝は満開でした。
京都は桜の季節も長いですね!
蹴上の桜I 1994(H6).4.10
         Nさん撮影

上の写真@〜Hの11年後、1994(平成6)年の春です。

Nさんと一緒に京都へ桜+電車を撮りに行きました。
午前中は嵐電の鳴滝〜高雄口へ行き、午後から蹴上に移動しました。
この日はパソコンで調べると日曜日で、蹴上は花見客で大混雑でした。


11年前に比べると微妙に電車の色が異なるような気がしますが・・・こちらの方が綺麗です。
一番大きな違いは、屋根上にクーラーが付いたことです。
上の@〜Hの写真に写っている電車は、全て非冷房でした。
蹴上の桜J 1994(H6).4.10
         Nさん撮影

蹴上の坂を登る80形90号です。
この頃は、前照灯を点灯する習慣ができたのでしょうか?
蹴上の桜K 1994(H6).4.10
 Nさんと一緒に写した600形です。
 11年前にはいなかった電車で、最初からクーラー付きで登場しました。
蹴上の桜L 1994(H6).4.10
 左の写真の右に写っているインクラインです。ナローの線路が真ん中に写っているように見えますが、超広軌の複線でした。
インクライン跡というのが正しく、インクライン(貨物用ケーブルカー)の役目は既に終わっていました。
蹴上M 1997(H9).9.28
 蹴上の地上部分を走る電車が廃止になったのは1997(H9).10.12でした。名残の80形の写真を撮りに出掛けたついでに、インクライン跡を一番上まで登りました。船を載せた貨車?が置いてありました。
蹴上N 1997(H9).9.28
 琵琶湖からトンネルを抜けてきた疏水です。
 左の写真Mの反対側を向いて撮った写真です。琵琶湖と京都市内の水運がインクラインによりつながっていました。
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