加悦鉄道(かやてつどう)1/3 丹後ちりめんの産地・加悦谷を走っていたローカル私鉄
加悦鉄道は、天橋立の近くの国鉄丹後山田駅から、丹後ちりめんの産地加悦(かや)まで5.7kmを結んでいた私鉄(左図の赤線)で、1985(昭和60)年5月1日に廃止されました。 丹後山田駅から岩滝工場まで、日本冶金工業の専用線(2.9km・左図の青線)があり、その運行も加悦鉄道が行っていましたが、専用線も同時に廃止されました。 加悦鉄道終点の加悦駅の南には、かつて大江山ニッケル鉱山があり、加悦〜大江山2.5kmの専用線が引かれましたが、終戦と同時に鉱山も専用線も廃止されたそうです。 加悦駅構内には、古典的な蒸気機関車や客車が保存展示してありました。 1978(S53)年からは加悦SL広場という名前になりました。 鉄道廃止後も、加悦SL広場は残り、その後、加悦駅の南にあった鉱山駅跡に移転し、蒸気機関車6両、内燃機関車5両、内燃動車4両、客車6両、その他6両の、計27両もの車両が保存展示されていました。 残念ながら、加悦SL広場は2020(R2)年3月末で閉園されました。(2024.8追記) |
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加悦鉄道1-@ 丹後山田 1971(S46)年4月1日 私は加悦鉄道を2回訪問しました。 最初の訪問は1971(昭和46)年の春でした。 宮津線で丹後山田に到着し、加悦鉄道のホームで列車を待っていると、小さなディーゼル機関車が緑の客車を引っ張って到着しました。見ていると、機関車(DB201号)は客車を切り放し、入換を開始しました。 ホームの外れになぜか小さな2軸客車が停まっており(左写真の中央)、その客車を連結しに行くようです。右側には、日本冶金専用線の貨物列車(DC351号)が到着しました。左側が国鉄のホームで、気動車が停まっています。 |
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加悦鉄道1-A 丹後山田 1971(S46).4.1 連結作業中です。 DB201号は、駅に留置してあった木造2軸客車「ハ21」号を推進し、向こう側の3扉の緑色の客車(旧東急のサハ3104号)に連結しています。 写真向こう側が加悦方向です。 |
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加悦鉄道1-B 丹後山田 1971(S46).4.1 加悦に向けて出発準備が整った列車です。 DB201号+サハ3104号+ハ21号の珍編成です。 後ろに連結した「ハ21」号には、丹後山田から加悦まで、私一人貸切状態で乗りました。 ↓C「ハ21」号の車内 |
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↑加悦鉄道1-D 丹後四辻 1971(S46).4.1 貸切状態の客車から後方を展望しながら撮りました。 ホームに給水塔があるのは、沿線ほぼ中間の丹後四辻駅です。 |
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←加悦鉄道1-E 丹後四辻〜三河内 1971(S46).4.1 列車が通り過ぎたあと、子供が線路に耳をあて、レールの響きを聞いてます。 このような光景は予想外だったので、ちょっと撮るタイミングが遅れてしまいました。 |
加悦鉄道1-F 丹後三河内 1971(S46).4.1 三河内(みごうち)出発直後、列車が通り過ぎるのを待つ子供たちがいました。 左上のEと同じ行動をするのではないかと期待しながら、カメラを準備して待ちました。 期待通り、線路に耳をあてレールの響きを聞いてくれました。 |
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加悦鉄道1-G 加悦 1971(S46).4.1 加悦へ到着した客車列車の入換風景です。 このDB201号は、蒸気機関車の足回りを利用して、森製作所で造られたディーゼル機関車で「森ブタ」という愛称があるそうです。 客車に書いてある文字を拡大すると、 形式 サハ3100、東京急行という文字が読めました。東急で廃車になった電車を客車として使っていました。 |
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加悦鉄道1-H 加悦 1971(S46).4.1 役目を終えたDB201号は、車庫近くの給水塔の横で一休みです。 左隣には「ハブ3」号が停まっていました。 その奥の立派な建物が、加悦の駅舎です。 |
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加悦鉄道1-I 加悦 1971(S46).4.1 車庫の中と外に荷台付きのディーゼルカーがいました。 車庫の中にいるのがキハ51号で何か修理中のようです。 車庫の横にいるのはキハ101号です。 |
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加悦鉄道1-J 加悦 1971(S46).4.1 上の写真Iの逆方向から撮った車庫の風景です。 |
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加悦鉄道1-K 加悦 1971(S46).4.1 カラーでも少し撮りました。 加悦駅の全景です。 北側から撮っています。 駅舎の横の山が大江山でしょうか? 中央に写っている緑色の客車が、旧東急のサハ3104号です。 この客車の陰に隠れる位置にSLが保存展示されていました。 次のページをご覧ください。 |
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2011(H23).9.4up | |
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参考図書
「新・消えた轍8近畿-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.10.30発行