津島軽便堂写真館

鹿島臨海鉄道 貨物輸送用の鉄道で旅客輸送も開始

鹿島臨海鉄道は、鹿島臨海工業地帯への貨物輸送を目的に1970(昭和45)年に北鹿島~奥野谷浜間で開業した貨物鉄道でした。(なお、鹿島神宮~北鹿島間は国鉄の貨物線で、同時期に開業)
1978(昭和53)年に成田空港へのジェット燃料暫定輸送(貨物列車)を始めたとき、地元への見返りとして、北鹿島~鹿島港南で旅客営業を開始しました(鹿島神宮~北鹿島間の国鉄貨物線へ、鹿島臨海の旅客列車が直通乗入れ)。
1日3往復の旅客列車が走りましたが、1983(昭和58)年にジェット燃料輸送廃止(パイプライン完成)と同時に旅客輸送も廃止されました。
わずか5年間しか営業されなかった鹿島神宮~鹿島港南の旅客列車の写真をご覧ください。
Yahoo!地図より、 

鹿島臨海鉄道の旅客列車が走った鹿島神宮~鹿島港南を赤く塗り、駅を記入しました。北鹿島でスイッチバックしていました。
鹿島臨海鉄道① 鹿島神宮 1980(S55).8

国鉄の鹿島神宮駅に乗り入れてきた鹿島臨海鉄道キハ1000形です。国鉄のキハ10形を2両譲り受け(使用は1両)て旅客営業を開始しました。
鹿島臨海鉄道②

 鹿島神宮 1980(S55).8

特急「あやめ」と並びました。
鹿島神宮8:38発の1番列車に乗るため、東京6:45→鹿島神宮8:35の「あやめ1号」に乗りました。
そのため名古屋21:25→東京4:40の大垣夜行344Mに乗りました。

「あやめ」から鹿島臨海鉄道に乗り換えるときに撮りました。

↓1980(S55)年7月JTB時刻表より
 鹿島臨海鉄道の時刻表
 1日3往復でした。
鹿島臨海鉄道③

 鹿島港南 1980(S55).8

旅客列車終点の鹿島港南です。
周りに何もない駅で、どうしてここに駅を作ったのか不思議でした。
駅を降りたら、列車はそのまま先に進んで行ってしまいました。
一人取り残されて、駅舎?だけ撮りました。
鹿島臨海鉄道④

 鹿島港南 1980(S55).8

駅の周りをウロウロしていたら、突然列車が戻ってきました。
右から左へ戻る列車を、慌てて撮りました。(慌てたので先頭が切れてしまいましたが…)

鹿島港南は線路1本の何もない駅で閉塞区間の途中にあったので、閉塞の切れ目の知手駅まで行って、列車を折り返す必要があったようです。
鹿島臨海鉄道⑤

鹿島港南~神栖 1980(S55).8

上の写真④の続きです。列車が通り過ぎた所を後追いで撮りました。
これで撮影終了です。

このあと、戻る列車がない(約3時間待ち)ので、バス停を探して、バスで銚子へ向かいました。
鹿島臨海鉄道⑥ Nさん撮影

鹿島神宮 1979(S54).4.30

Nさんは、旅客営業開始の翌年(私より1年前)に鹿島臨海鉄道を訪問しました。
キハ1000形(元国鉄キハ10形)で、鹿島港南に向かいました。

東京6:45→鹿島神宮8:35の「あやめ1号」から、鹿島神宮8:38発の鹿島港南行きの列車に乗り継ぎました。
(これが鹿島臨海鉄道を乗り潰すには一番便利でした)
鹿島臨海鉄道⑦ Nさん撮影

神栖 1979(S54).4.30

神栖駅停車中に、出発を待ってもらい1枚撮りました。

北鹿島でスイッチバックしたので、上の⑥と先頭部が逆になっています。
鹿島臨海鉄道⑧ Nさん撮影

鹿島港南 1979(S54).4.30

旅客列車終点の鹿島港南で降り、その先に走り去る回送列車の後ろ姿を撮りました。

閉塞(通票)の切れ目の知手駅まで行って、列車を折り返します。
鹿島臨海鉄道⑧ Nさん撮影

鹿島港南 1979(S54).4.30

知手駅で折り返した回送列車が、車庫のある神栖駅へ戻るため、再び鹿島港南駅を通りました。
Nさんはそれを知っていたようで、待ち構えて撮りました。

ホームに立っている人は?
この列車は回送列車で乗れません!次の鹿島神宮行きまでは、3時間くらい待つ必要があります。
(きっと、鹿島臨海鉄道を乗り潰しに来た乗り鉄さんですね…)

Nさんは、この後バスに乗り、銚子に向かいました。
←Yahoo!地図より  大洗鹿島線を赤く塗り、主要駅・撮影駅を記入しました。
鹿島臨海鉄道は、北鹿島~鹿島港南の旅客輸送を1983(昭和58)年12月に廃止した後も、貨物専用鉄道として存続していました。
国鉄鹿島線の延長線として建設していた北鹿島~水戸間を、国鉄赤字線対策で、鹿島臨海鉄道が引き受けることになり、大洗鹿島線として1985(昭和60)年3月に開業しました。列車は国鉄の鹿島神宮~北鹿島間へ直通乗入れし、鹿島神宮~水戸間を直通運転しています。
鹿島臨海鉄道⑨ 鹿島神宮  1986(S61).7.20 Nさん撮影

鹿島神宮駅で国鉄113系と並んだ、鹿島臨海鉄道2000形(元国鉄キハ20形)です。再び鹿島臨海鉄道の車両が乗り入れるようになりました。
鹿島臨海鉄道⑩

北浦湖畔~新鉾田 1985(S60).7.8

開業間もない頃の大洗鹿島線です。
3両編成の列車が、間もなく北浦湖畔駅に到着します。
この当時の時刻表を調べると、水戸~鹿島神宮間の日中の列車は、ほぼ2時間おき(現在は、ほぼ1時間おき)でした。なお、当時も現在も水戸~大洗間には区間運転列車があります。


このときは、鹿島鉄道(石岡~鉾田)を乗車し、終点の鉾田駅(2007/H19年廃止-
左上地図旧・鉾田駅)からタクシーで北浦湖畔まで来て、高台から鹿島神宮行きの列車を撮りました。
鹿島臨海鉄道⑪

北浦湖畔~新鉾田 1985(S60).7.8

上の写真⑩の続きです。もうすぐ北浦湖畔駅です。

3両編成で、前(左)2両が2000形、後ろ1両が6000形です。
2000形は元国鉄キハ20形で、6000形は大洗鹿島線開業用に製造された新車です。
鹿島臨海鉄道⑫

北浦湖畔 1985(S60).7.8

上の写真⑩⑪の続きです。
北浦湖畔駅に到着しました。
鹿島臨海鉄道⑬

北浦湖畔 1985(S60).7.8

北浦湖畔駅に到着する水戸行きの列車です。
先頭は新車の6000形(6006)でした。

上の写真⑩~⑫を撮った後、水戸へ向かうため、ホーム端で待ちました。
鹿島臨海鉄道⑭

北浦湖畔 1985(S60).7.8

北浦湖畔駅に到着した水戸行きの列車(後ろ姿)です。
上の写真⑬を撮った後、振り返って撮りました。後ろに連結していたのは元国鉄キハ20形の2000形(2004)でした。
この列車に乗って水戸へ向かいました。
鹿島臨海鉄道⑮

 新鉾田 1985(S60).7.8

新鉾田停車中に降りて撮り、また乗りました。

鹿島鉄道(関東鉄道鉾田線)の終点・鉾田駅とは1km以上離れていました。

 →関東鉄道鉾田線
鹿島臨海鉄道⑯

 大洗 1985(S60).7.8

大洗は沿線で一番の主要駅です。
大洗では、大勢のお客が乗り込みました。


その昔は、大洗から水戸市内へ路面電車が走っていましたが、1966(昭和41)年に廃止されました。
→地方私鉄1960年代の回想
  茨城交通水浜線
鹿島臨海鉄道⑰

 水戸 1985(S60).7.8

終点・水戸駅に到着し、大勢のお客が降り、乗り込むお客も多く、乗降口が混雑していました。

国鉄水戸駅の8番線が、鹿島臨海鉄道の発着ホームでした。(国鉄がJR化された現在も同じ)

隣の貨物側線ではDE10が入換をしていました。この当時は水戸駅でも貨物扱いをしていて広い構内でした。
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参考図書:RM LIBRARY 63 「茨城交通水浜線」 中川浩一著 ネコ・パブリッシング 2004(H16).11.1発行
       日本鉄道旅行地図帳3号「関東1」 今尾恵介監修 新潮社 2008(H20).7.18発行
       国鉄監修「時刻表」1980(S55)年7月号 日本交通公社発行