蒲原鉄道 1/3  蒲原鉄道主要区間:五泉〜村松の風景です。混合列車も走っていました。

蒲原鉄道の地図 新潟県を走っていた蒲原鉄道は、磐越西線の五泉から村松を通って信越線の加茂まで21.9kmを結ぶ600Vの電気鉄道でした。(左の地図の赤線)
中蒲原郡の中心地:村松町と国鉄の駅を結ぶための鉄道でした。

1985(昭和60)年に加茂〜村松が廃止になり、1999(平成11)年に残った村松〜五泉が廃止になり、全線廃止となりました。

私は蒲原鉄道を3回訪問しています。
1回目は1972(S47).3.20-21
2回目は1973(S48).3.24
そして最後は1981(S56).11.15です。

Nさんは2回訪問しています。
1回目は私と一緒に1973(S48).3.24
2回目は1999(H11).3.21で、全線廃止の約半年前でした。

その当時の写真をご覧ください




左の地図は、1/20万「新潟」S44.10.20国土地理院発行より
蒲原鉄道線を赤くなぞり、撮影した最寄り駅にを付け青字で駅名を記入しました。
蒲原鉄道@

 五泉 1972(S47).3.20

郡山から6:05発の磐越西線の客車列車に乗車し、中山宿のスイッチバックを通り過ぎ、途中の川桁では見たことのない沼尻の軽便の面影を求めながら、会津若松で進行方向が逆になり、10:39に五泉で下車しました。延々と4時間半も同じ列車に乗っていたことになります。

五泉で降りて、初めて蒲原鉄道の電車に出会った時の写真です。

五泉に停車中のモハ71号です。この電車に乗って村松に向かいました。
蒲原鉄道A

 五泉 1981(S56).11.15

磐越西線の新津・新潟方面に向かうホームから見た蒲原鉄道のホームです。
国鉄からの乗換客が蒲原鉄道のホームに急いでいます。


私が最後に見た蒲原鉄道です。
蒲原鉄道B 蒲原鉄道の1972(昭和47)年の時刻表

この時刻表を見ると、蒲原鉄道は村松のための鉄道であったことが分かります。特に、五泉〜村松は列車本数が多く便利でした。
蒲原鉄道C 村松〜今泉 1972(S47).3.20
10::55五泉発の電車に乗り、村松へ着くと貨車が何両か留置してありました。駅員にいつ運び出すか聞いたところ、次とその次の五泉行きの電車が牽引して走ると言われたので、あわてて撮影に向かいました。
蒲原鉄道D

村松〜今泉 1972(S47).3.20

走って田んぼの中へ行き、上の写真Cを撮り、その続きでやや後ろから撮りました。

電車+貨車の混合列車は、私がずっとあこがれてたローカル私鉄の風物詩でしたが、このとき初めて目にすることができ、興奮しながら撮りました。
この列車は左上の時刻表によれば、村松11:45発の列車です。
蒲原鉄道E 村松〜今泉 1972(S47).3.20
 上の写真Dの次の五泉行きも貨車1両を牽引する混合列車でした。
 上の時刻表から、村松12:25発の列車です。
蒲原鉄道F 村松〜今泉 1972(S47).3.20
 左の写真Eと同じ列車で、続きです
蒲原鉄道G

村松〜今泉 1972(S47).3.20

村松行きの混合列車です。
線路の突きあたりが村松の車庫で、電車は一旦左に曲がり、そのあと右へ回ると村松駅のホームに到着します。そこから向こう側が村松の町並みです。

上の写真Fの折返しの列車でした。
五泉〜村松は、蒲原鉄道の主要区間で、列車本数が多く、混合列車もたくさん走っていましたが、上の地図のとおり、ほとんどの区間が道路に沿っており景色はよくありませんでした。
 
蒲原鉄道H

村松〜今泉 1972(S47).3.21

上の写真の翌日です。

この日も混合列車を撮るために蒲原鉄道を訪問しました。

混合列車は、ほんの一部の列車で、大多数の列車はこんな感じでした。

今泉駅の近くでハザ木を入れて撮りました。前日と同じモハ71号です。
蒲原鉄道I

五泉〜今泉 1972(S47).3.21

あこがれの混合列車がやってきました。

五泉を出てカーブを曲がってすぐの所です。
ここにもハザ木がありました。
 
蒲原鉄道J

五泉〜今泉 1972(S47).3.21

上の写真Iと同じ場所です。逆向きの五泉行きの混合列車です。

混合列車を中心に撮影していますが混合列車の走った区間(前日も当日も)が五泉〜村松のあまり景色のよくない区間ばかりでしたので、同じような写真になってしまいました。
上の写真はお昼頃に撮りました。そのあとは夕方まで混合列車が走らないと聞いたので、別の場所(高松付近)へ移動し、混合列車の走る時間に、またここへ戻ってきました。
本当は真横から撮るつもりでしたが、ちょっと出遅れ、そこまで行く途中に混合列車が走ってくるのが見えたので、慌てて同じ場所で撮りました。

蒲原鉄道K 五泉〜今泉 1972(S47).3.21

上の写真Jの続きで、同じ場所で通り過ぎる同じ列車を撮ったものです。
警報機のない踏切で待っている少女たちは、混合列車を見てもあまり感動していないようでした。
蒲原鉄道L 五泉〜今泉 1972(S47).3.21

左の写真Kの続きで、その後ろ姿です。カーブを曲がると五泉駅です。
蒲原鉄道M

五泉〜今泉 1972(S47).3.21

夕方になったので、左(五泉)側に1両増結しました。元気動車のクハ10号です。

上の写真I〜Lのすぐ近くです。
蒲原鉄道N  Nさん撮影

今泉〜村松 1999(H11).3.21

全線廃止の約半年前でした。
景色のよい山間部の区間(村松〜加茂)は既に廃止になっており、残った五泉〜村松のほとんどの区間は、写真のように目障りな道路が横を走っていました。

上の写真の27年後ですが、相変わらずモハ71号が活躍していました。
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参考図書:
  「新・消えた轍5上信越-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.2.28発行
  鉄道ピクトリアル編集部編「私鉄車両めぐり特輯・第T輯」 鉄道図書刊行会S52.7.1発行