鹿児島交通 1/2   南国鹿児島に走っていた鹿児島交通南薩線、昭和45・46・53年の記録です。

南薩鉄道は、1914(大正3)年に一部区間が開業した歴史ある鉄道です。
 ・南薩線:伊集院〜枕崎 49.6km 1984(昭和59)年廃止
 ・万世線:加世田〜薩摩万世 2.5km 1962(昭和37)年廃止
 ・知覧線:阿多〜知覧 16.3km 1965(昭和40)年廃止
上記3路線(1067mm・非電化)を所有し、1964(昭和39)年に鹿児島交通と社名変更しました。

最後に残ったのが左地図の青線:南薩線です。

私が最初に鹿児島交通の車両を見たのは、1970(昭和45)年の夏でした。A先輩に引率され、Nさん達と一緒に九州の蒸気機関車巡りをしたときでした。鹿児島本線の熊本以南は電化を間近に控えていて、蒸気機関車が活躍していました。鹿児島交通は見ただけで乗っていません。
その翌年1971(昭和46)年夏に、再びNさんと九州蒸気機関車巡りをし、そのときは鹿児島交通に乗りました。

左の地図は、国土地理院発行1/20万
 「鹿児島」 S47.2.2(上4/5)、「開聞岳」S46.9.30(下1/5)より
↓鹿児島交通@AB 伊集院 1970(S45).8.3

最初の九州旅行のときに、鹿児島本線の蒸気機関車を撮るために伊集院で降りました。
@C60の荷物列車が伊集院を出発し鹿児島に向かいます。遙か彼方に鹿児島交通の気動車が写っています。
A鹿児島交通の荷物車がいました。
B鹿児島交通のディーゼル機関車も入換で顔を出しました。

鹿児島交通C Nさん撮影

伊集院〜薩摩松元 1970(S45).8.3

Nさんと一緒に、この場所で蒸気機関車を待っていたら、鹿児島本線に乗り入れている鹿児島交通の気動車が通りました。
鹿児島交通D

伊集院〜薩摩松元 1970(S45).8.3

D51が引っ張る鹿児島行きの客車列車も走りました。

第1回目の九州旅行では、鹿児島交通を見ただけで終わりました。
←鹿児島交通E 指宿枕崎線・山川 1971(S46).8.2
2度目の九州旅行では、鹿児島交通に乗るため、まずは指宿枕崎線で枕崎を目指しました。途中、山川で乗り継ぎのときC12が停まっていました。
↓鹿児島交通FG 枕崎 1971(S46).8.2 枕崎に到着しました。
駅前に、指宿枕崎線廃止反対の看板がありましたが、指宿枕崎線はまだ残っています。代わりに鹿児島交通が廃止になってしまいました。

鹿児島交通H

 枕崎 1971(S46).8.2

枕崎で長いこと待っていたような気がします。
時間があったので駅前のパチンコ屋へ入ったら、百円札がまだ現役で使われていてビックリした覚えがあります。名古屋付近ではだいぶ前に姿を消していました。そんなどうでも良いことだけ覚えています。
時間が余っていたんなら、なぜ枕崎駅舎を撮らなかったんだ!

たぶんパチンコで負けて、枕崎駅まで戻ると、伊集院方面からキハ301号が到着しました。
鹿児島交通I

 枕崎 1971(S46).8.2

枕崎に到着した301号から、大勢のお客さんが降りました。右の駅舎の方へ歩いています。

手前側の線路が、加世田・伊集院方面につながる本線路ですが、草ボウボウです。
 
鹿児島交通I 枕崎 1971(S46).8.2

 301号に、油か水を補給しています。
鹿児島交通J 枕崎 1971(S46).8.2

 出発時間が近づいたようです。私もこの列車に乗り、伊集院に向かいました。

鹿児島交通K

加世田 1971(S46).8.2

伊集院行きの301号が加世田に到着しました。
窓から顔を出すと、国鉄キハ07タイプの100形ディーゼルカーと機関車が停まっていました。
鹿児島交通L

加世田 1971(S46).8.2

加世田で1両増結するようです。
後ろから105号が近づいてきました。
↓M 連結作業です。

加世田の車庫には、古い蒸気機関車が保存されていることは知っていましたが、途中下車せず、連結作業中にホームへ降りただけで、そのまま伊集院に向かいました。
私の鹿児島交通はこれで終わりました。
次ページはNさんの写真です。
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参考図書:
  私鉄紀行「南の空,小さな列車(上)」rail No.25 湯口 徹著 プレスアイゼンバーン1989.10.31発行
  RM LIBRARY 108・109 「鹿児島交通南薩線」 高井薫平・田尻弘行著 ネコ・パブリッシング 2008.8.1&9.1発行
  「新・消えた轍10 九州・四国-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.7.30発行