津島軽便堂写真館

広島電鉄 宮島線  高床車がいた頃の宮島線        広島市内線

広島電鉄宮島線は、普通の電車が走る鉄道線でしたが、1962(昭和37)年に通常運行で市内線の電車が直通運転されるようになりました。(その前年に宮島線の全駅に低床ホームが完成)

床の低い市内電車に対し、従来の電車は高床車と呼ばれました。駅のホームも高床車用と低床車用の両方が並んでありました。
1991(平成3)年に、宮島線専用の高床車が廃止され、路面電車タイプに統一されました。
高床車が元気に活躍していた昭和50年代の写真をご覧ください。


左の地図は、国土地理院1/20万「広島」S45.9.30発行より。 
宮島線を赤でなぞり、撮影最寄り駅を記入

なお駅名は撮影当時のもの
広電・宮島線①

広電宮島 1977(S52).5.1

約40年前の広島電鉄の終点、広電宮島駅の全景です。
この当時ホームは3本で、一番左の高床車が停まっている1番線は、高・低床車が1両ずつ停まれるホームで、路面電車が停まっている2番線は低床ホーム、その右は高床ホームでした。

この当時は広電宮島駅でしたが、2001(平成13)年に広電宮島口に改称されました。
広電・宮島線②

広電宮島 1977(S52).5.1

上の写真右端に停まっていた1053号です。

元は京阪神急行京阪線(現・京阪)の電車で、1953(昭和28)年に車体更新された1050形です。
前窓上の通気口がチャームポイントです。
詳細は→Wiki広電1050形参照
広電・宮島線③

広電宮島 1977(S52).5.1

宮島駅の留置線には1030形1033号も停まっていました。

この電車は、広島瓦斯電軌時代に製造された電車です。
詳細は→Wiki広島瓦斯電軌H形
広電・宮島線③

 阿品 1977(S52).5.1

阿品駅の高床ホームを出発した1060形1061号です。
この電車は、宮島線専用に製造された最後の電車です。
詳細は→Wiki広電1060形参照

宮島線の各駅は、写真のように高床ホームと低床ホームが並んでありました。
写真の駅は、この当時、阿品駅でしたが、2001(平成13)年に阿品東駅へ改称されました。

後方に見える海の中のジェットコースターは「広島ナタリー」遊園地です。現在、遊園地はなくなりマンションなどが建ち並んでいます。
広電・宮島線④

 阿品 1977(S52).5.1

上の写真③を撮った場所から振り返り、通り過ぎた1061号を撮りました。
広電・宮島線⑤

 阿品 1977(S52).5.1

宮島行きの1050形1054号が近づいて来ました。
車内は結構混んでいます。
カレンダーで調べると、この日は日曜日で、宮島観光に向かう人々が大勢乗っていました。

当時、並行する国鉄山陽本線の電車は、20~60分おきでした。
広電・宮島線⑥

 阿品 1977(S52).5.1

路面電車タイプの2500形連接車の2510号です。
1964(昭和39)年に自社工場で製造された電車ということです。
詳細は→Wiki広電2500形参照

屋根上を見ると、この時代はまだ全車非冷房だったことが分かります。
広電・宮島線⑦ 阿品 1977(S52).5.1

阿品駅の向こうで、高床車同士のすれ違いです。左が1050形、右の2両連結は1070形です。
広電・宮島線⑧ 阿品 1977(S52).5.1

2500形の2512号です。上の写真⑥と同じ2500形ですが、この電車以降の2編成は大阪市電1601形を連接車に改造したもので、見た感じがかなり違います。
広電・宮島線⑨

広電廿日市~宮内 1977(S52).5.1

宮島線で唯一のトンネル・串戸トンネルです。
高床車の1070形がトンネルに向かって走り去りました。

1070形は元阪急宝塚線500形で、2両×4本が宮島線で活躍していました。
詳細は→Wiki広電1070形参照


現在は、トンネルのこちら側(廿日市方)に廿日市市役所前[平良]駅が出来たので、撮影場所は廿日市市役所前[平良]~宮内間になります。
広電・宮島線⑩

広電廿日市~宮内 1977(S52).5.1

トンネルを出てきた市内線直通の2000形2007号です。
2000形は、当初は単行運用でしたが、輸送力増強のため2001号を除き2両連結化改造されました。
パンタを2個上げてます。
9両製造され、2004号以降は自社製の電車でした。
詳細は→Wiki広電2000形参照
広電・宮島線⑪

広電廿日市~宮内 1977(S52).5.1

2500形のトップナンバーです。
1961(昭和36)年にナニワ工機で製造されました。
上の写真⑥と比べると、ヘッドライトの形が違いが目につきます。
広電・宮島線⑫

広電廿日市~宮内 1977(S52).5.1

トンネルを出てきた高床車1070形です。
撮った写真を見てみると、高床車と低床車が交互に走っていたような感じです。
広電・宮島線⑬

広電廿日市~宮内 1977(S52).5.1

トンネルへ入っていく2000形の後ろ姿です。
手前の踏切には警報器もなかったようです。
広電・宮島線⑭ Nさん撮影

鈴峯女子大前 1978(S53).4.29

上の写真①~⑬の1年後です。
Nさんが宮島線を訪問しました。

八幡川の鉄橋を渡る、連結車2000形です。パンタを2個上げて走っていました。

この鉄橋のすぐ右側が鈴峰女子大前駅です。
広電・宮島線⑮ Nさん撮影

鈴峯女子大前 1978(S53).4.29

八幡川の鉄橋を渡り、高床車が駅に到着します。

この駅は2015(平成27)年に、修大付属鈴峯前と名前を変えました。
広電・宮島線⑯

 荒手車庫 1986(S61).8.18

西ドイツのドルトムントで走っていた3車体連接車です。
2編成搬入され、1982(昭和57)年から宮島線直通用として使用開始されましたが、使い勝手が悪く、新車が増備されると、あまり使用されなくなったとのことです。
詳細は→Wiki広電70形参照

この電車が見たくて、荒手車庫を訪問しました。
広電・宮島線⑰

 荒手車庫 1986(S61).8.18

旧ドルトムント市電が2本並びました。
左が標準塗装の77号、右がドイツの地ビール広告塗装のまま来た76号です。
大きなパンタグラフですね!
広電・宮島線⑱

 荒手車庫 1986(S61).8.18

ドルトムント電車の車内です。
木製の椅子が並んでいました。
広電・宮島線⑲

 荒手車庫 1986(S61).8.18

宮島線越しに荒手車庫を見ました。
ドルトムントのビール広告電車も顔を出してくれました。
広電・宮島線⑳

 荒手車庫 1986(S61).8.18

ピットに並んだ低床車と高床車です。

一番右の3000形は、元西鉄福岡市内線の1200形でした。
左は自社製造の2510号で、真ん中の高床車1070形は元阪急宝塚線500形でした。宮島線で2両×4本が活躍し、1078号がラストナンバーでした。
広電・宮島線(21) Nさん撮影

広電西広島 1978(S53).4.29

1070形は、宮島線に来て、ドアが写真のように2両で3扉に改造されました。
ドアの配置は、連結部を中心とした点対称でした。
広電・宮島線(22) Nさん撮影

広電西広島 1978(S53).4.29

西広島の留置線で休む1050形+αです。
広電・宮島線(23) Nさん撮影

広電西広島 1978(S53).4.29

宮島線の改札口です。
頭端ホームに高床車1050形・1060形が停車中でした。

1~4番線が高床車用のホームでした。
広電・宮島線(24) Nさん撮影

広電西広島 1978(S53).4.29

上の写真(23)の左側です。

5番線は市内線~宮島線直通車用の低床ホームでした。
宮島線へ直通する電車は、写真の位置から右へ分岐し、5番線に停車します。市内線の電車は、左の留置線へ入り、右手前へ折り返します。

市内線の乗降場(己斐)はこの写真の背面側(下の写真)でした。
広電・宮島線(25)

己斐(西広島) 1986(S61).8.17

上の写真の手前(道路側)から撮った写真です。
右側のビルが宮島線の起点・西広島駅で、路面電車が停まっている市内線の終点は「己斐」電停でした。
己斐電停は、現在、西広島駅に統合されました。
左の宮島直通2000形は、屋根上にクーラーが取り付けられ、ヘッドライトが窓下2灯に変更されました。
2016(H28).10.1up
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参考図書: 「日本鉄道旅行地図帳11号・中国四国」 新潮社 2009(平成21)年3月発行