津島軽便堂写真館

岳南鉄道 1/2   貨物列車が主体の路線でしたが、貨物は廃止されました   岳南鉄道2

岳南(がくなん)鉄道は、その名の通り富(富士山)の真を走る鉄道です。吉原~岳南江尾:9.2km
この鉄道の開業は、私鉄の中では遅い方で、戦後の1949(昭和24)年に、東海道線の鈴川(現・吉原)~吉原本町が開通しました。半分以上は日産の専用線を転用したとのことです。それから順次線路を延伸し、岳南江尾まで全線開通したのは1951(昭和26)年になってからです。
開業後、沿線に製紙工場などの工場進出が進み、最近まで貨物輸送に支えられて頑張ってきました。
2012(平成24)年3月に頼みの綱の貨物輸送が廃止となり、収支が悪化したため、その1年後に経営を岳南電車に移管しました。厳しい状況の中、現在もなんとか頑張っています。
国土地理院1/20万「静岡」S43.3.30発行より私が訪ねた昭和50年の全駅名を記入しました。現在、日産前→ジヤトコ前に駅名変更
岳南鉄道①

 吉原 1975(S50).11.2

東海道線のホームから見た岳南鉄道です。
モハ1106号+クハ2105号のオレンジ色に白帯を巻いた岳南江尾行きが停車中です。
その左に、松本電鉄から来たED403号がいて、更にその左には貨車がゴロゴロしていました。

このときが、私の初めての岳南鉄道訪問でした。
岳南鉄道②

 吉原 1975(S50).11.2

日車標準車体の1106号です。
昭和30年代に地方私鉄の老朽化した木造車などの車体更新用に日本車輌で製造されました。
この1106号は、1963(昭和38)年に製造されました。1981(昭和58)年に東急から青蛙の5000系が入線し不要となり、近江鉄道へ譲渡され、モハ103号として1996(平成8)年まで使用されたということです。
岳南鉄道1100形参照

左に「岳南鉄道のりかえ」の看板が少し写っていますが、私も国鉄から岳南鉄道に乗り換え、この電車に乗り終点の岳南江尾に向かいました。
岳南鉄道③

岳南江尾 1975(S50).11.2

終点岳南江尾の40年前の風景です。
駅の南側に何もなかったんですね。
新幹線の高架橋を背にして撮りました。
岳南鉄道④

岳南江尾 1975(S50).11.2

乗ってきた電車クハ2105+モハ1106が折り返し岳南江尾を出発しました。
先頭のクハ2105号は、元小田急のデハ1216号の車体を譲り受けた電車です。
駅の横で見送りました。
岳南鉄道⑤

岳南江尾 1975(S50).11.2

上の写真④の続きです。
岳南江尾を出発した電車は、すぐに新幹線の下をくぐりました。

この当時、新幹線に防音壁はなく、スッキリとしたコラボ写真が撮れたはずですが、なかなか思うようには・・・
また、この右方向に富士山があるはずですが、全然見えませんでした。
岳南鉄道⑥

岳南江尾 1975(S50).11.2

次の電車が岳南江尾に到着しました。
モハ1601号は、元小田急のデハ1604号の車体を譲り受けた電車です。
岳南鉄道⑦

岳南江尾 1975(S50).11.2

私が撮った、岳南+新幹線の唯一のコラボ写真です。
私の技術(反射神経のなさ)では、高速新幹線の先頭車を画面に入れることが出来ませんでした・・・

この写真を撮ったあと、この電車で車庫のある岳南富士岡駅へ向かいました。
岳南鉄道⑧

岳南富士岡 1975(S50).11.2

車庫前に停車しているED103号は、大井川鉄道から1970(昭和45)年に譲渡された日立製の機関車です。
この当時は主力機として使用されていましたが、1984(昭和59)1986(昭和61)年に大井川へ返却され、元のE103に戻りました。(ご覧になった方からご指摘があり青字部分を修正しました。2020/R2.4.11)

左の近代的な姿のED402号は、梓川のダム建設のために松本電鉄へ導入された機関車ですが、ダム建設終了後、1971(昭和46)年に岳南へ譲渡されました。
岳南鉄道⑨

岳南富士岡 1975(S50).11.2

ステンレス車の1105号です。
1960(昭和35)年に汽車会社で製造された、中小私鉄用初のステンレス電車だと思います(同年に新潟鐵工で日本初のステンレス気動車として茨城交通ケハ601が製造されましたが)。1981(昭和58)年に旧東急5000系入線により大井川鉄道へ譲渡されました。
この当時、岳南鉄道の車両は、甲種輸送で貨物列車に併結し、刈谷経由名鉄・鳴海へ輸送され、名鉄住商鳴海工場で定期検査を実施していました。ステンレス車が珍しい時代で、この車両が鳴海工場へ入ったときは皆が興味津々でした。しかしコルゲート(凹凸)に鉄粉等の汚れが固着し、それを手作業で磨くのに非常に手間がかかるため、塗装車のほうがよっぽど楽だ(塗れば全て隠れる)と車体整備関係者は嘆いていました。
この当時のステンレス車は、溶接の歪み防止のためコルゲート付でしたが、溶接技術の進歩により、現在はフラットになりました。
岳南鉄道⑩

岳南富士岡 1975(S50).11.2

岳南富士岡駅の構内を比奈方から見ました。

手前にED28 1号がいました。
元小田急ED1021号で、1930(昭和5)年に川崎造船で製造されました。船のような丸窓(側面)が特徴の機関車です。1969(昭和44)年に岳南へ譲渡され、主に入換用として使われ、1988(昭和63)年に廃車されました。

中央やや左にいるのが、ステンレス車の1105号です。
岳南鉄道⑪

岳南富士岡 1975(S50).11.2

ED281号を上の写真の反対側から撮りました。
岳南鉄道⑫

岳南富士岡~比奈 1975(S50).11.2

上の写真⑪と下の写真⑬の間に撮っていますので、岳南富士岡と比奈の間です。歩いていたら電車が来たので慌てて撮ったような写真です。
岳南鉄道⑬

 比奈 1975(S50).11.2

ED29 1号です。
1927(昭和2)年に豊川鉄道デキ52形として日本車輌で製造されました。豊川鉄道が国有化され、この機関車も国鉄機関車となり、戦後ED29形となりました。
1959(昭和34)年に国鉄で廃車となり、岳南鉄道へ譲渡されました。
岳南鉄道⑭

 比奈 1975(S50).11.2

比奈から吉原に向かう電車の窓から撮りました。
元名鉄のデキ501号です。
私が岳南鉄道で一番撮りたかった車両ですが、このときはこの写真が撮れただけです。
岳南鉄道⑮ Nさん撮影

 吉原 1993(H5).5.16

上の写真①~⑭の18年後、Nさんが訪問しました。
東海道線のホームから岳南鉄道を見ました。
オレンジ色の電車は、1981(昭和56)年に東急から譲渡された5000系です。
2両×4編成導入され、旧型電車を全て淘汰しました。
Wikipedia岳南5000系参照
岳南鉄道⑮ Nさん撮影

岳南江尾 1993(H5).5.16

元東急5000系→岳南5000系が2本並びました。
この時代(1981~1996(S56~H8))の岳南鉄道の電車は5000系(2両×4本)に統一されていました。

我々の年代のファン(昭和20年代生まれ)にとって、東急の電車と言えばこの顔が頭に浮かびます。

現役時代の東急5000系は、すぐ下の写真です。
岳南鉄道⑮N  Nさん撮影

東急東横線 1970(S45).12.26

現役時代の東急5000系です。
青蛙という愛称がピッタリの外観でした。
1954(昭和29)年に登場した東急の高性能車5000系は、1977~1986(昭和52~61)年の間に、長野・松本・岳南・熊本等の中小私鉄へ大量に譲渡されました。

Wikipedia東急5000系参照
岳南鉄道⑯ Nさん撮影

須津~神谷 1993(H5).5.16

5000系が走り去りました。カーブの向こうが神谷駅です。

この左に富士山があるはずですが、見えなかったと思います。
岳南鉄道⑰ Nさん撮影

岳南富士岡 1993(H5).5.16

豊川鉄道→国鉄→岳南ED29形です。
(上の写真⑬参照)

この当時、現役で使用されていたかどうか不明です。
なお、休車となってからは、この場所に永らく保存されています。
岳南鉄道⑱ Nさん撮影

 比奈 1993(H5).5.16

私の好きな凸形のED50 1号です。
1928(昭和3)年に上田温泉電軌(後の上田丸子電鉄・上田交通)デロ300形301として川崎造船で製造されました。しかし、上田では重量・出力が過大でもてあまし、1940(昭和15)年に名古屋鉄道へ譲渡、名鉄のデキ500形501となりました。
1969(昭和44)年に岳南鉄道は600V→1500Vへ昇圧。そのとき機関車が不足したので名鉄から501号を借用。その翌年(1970/S45)に譲渡を受け、岳南鉄道ED50形ED501号となりましたが、501の車体表記は名鉄時代のままです。
Wikipedia上田温泉電軌300形参照
 2015(H27).7.7up
津島軽便堂Topページへ戻る  次の頁(岳南鉄道2)へ

参考図書:「世界の鉄道'76」 1975(S50).10月14日 朝日新聞社発行
       「私鉄車両めぐり特輯[第1輯]」岳南鉄道 1977(S52).7月 鉄道図書刊行会発行