1972(昭和47)年の福井鉄道には、田原町・福井駅前〜武生新の福武線(現存:左の地図・水色の線)の他に、 ・鯖浦線(青線)水落〜織田、 ・南越線(赤線)社武生〜粟田部 が走っていました。 南越線(赤線)は、国鉄の武生駅に隣り合った、社武生駅から戸ノ口まで、14.3kmの路線でしたが、私が訪れる1年前の1971(昭和46)年に粟田部〜戸ノ口が廃止になりました。 残りの社武生〜粟田部も1981(昭和56)年に廃止となり、南越線は全線廃止となりました。 私は、1972・73(昭和47・48)年の2回訪問しましたので、そのときの写真をご覧ください。 左の地図は、国土地理院1:200,000「岐阜」昭和43年2月28日発行より 撮影場所に○を付け、駅名を青字で記入しました。 鯖浦線(青線)はこちらを |
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南越線 @ 社武生 1972(S47)年8月21日 国鉄の武生駅の東に隣接していた「社武生」駅です。 社武生に停車中の、南越線の車両たちです。 この南越線と、福井鉄道の本線に相当する福武線とは、線路が直接はつながっておらず、国鉄の武生駅を挟む形で、東側に社武生駅、西北側に武生新駅がありました。 (両線とも貨物を扱っていましたので、国鉄の武生駅と線路はつながっていました) |
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南越線 A 社武生 1972(S47).8.21 上の写真@の奥の方です。 左側の電車は、いかにも元名鉄電車というスタイルです。 Wikipediaによれば、元名鉄のク2315号ですが、あまり使われなかったようです。 右側のおでこの広い電車は、電気機関車の代用もしていました。 この当時、南越線に貨物列車が走っていましたが、機関車が配置されておらず、電車が機関車の代用をしていました。その後、福武線から電気機関車が転属してきました。 |
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南越線 B 社武生 1972(S47).8.21 上の写真Aの逆方向から見た写真です。 左端に駅舎が写っており「しゃたけふ」と書いた看板が見えます。 |
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南越線 C Nさん撮影 社武生 1973(S48).3.18 南越線の主力電車130形です。 両運転台の小型車両で2両いました。 チョット汚れています。 |
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南越線 D Nさん撮影 北府〜村国 1973(S48).3.18 日野川を渡る南越線の電車です。 通常は130形ですが、珍しく111号が走っていました。 |
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南越線 E 村国 1973(S48).3.18 村国駅には廃車体が待合室代わりに置いてありました。 Wikipediaで調べると、南海電鉄から譲り受けた車両の車体ということでした。 |
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南越線 F Nさん撮影 村国 1973(S48).3.18 村国駅へ、武生方向から電車が到着しました。 こちら側の線路は撤去されていました。 使われなくなったホーム上にあった廃車体は、待合室としての役目も終えていました。 |