津島軽便堂写真館

 津島駅・開業120周年   津島駅は1898(明治31)年4月3日開業

『海東郡案内記』1910(明治43)年発行(名鉄資料館所蔵)より
     海東郡は、西尾張にあった郡で、郡役所は津島にあった。1913(大正3)年、海東・海西郡が合併し海部(あま)郡となる。


津島の町は、室町時代から湊町(川湊)として栄え、織田信長を財政面で支えたので「信長の台所」と呼ばれています。また津島神社は、全国に約三千社ある津島神社・天王社の総本社で、昔は津島牛頭天王
(ごずてんのう)社と呼ばれ多くの参拝客を集めました。
明治20年代の後半、津島の有力者は関西鉄道(現:関西線)建設の際、津島を経由するよう働きかけましたが、残念ながら最短ルートで建設されることになりました。そこで西部の弥富~津島~一宮を鉄道でつなぐため、尾西鉄道を設立、本社を海東郡津島町に置きました。関西鉄道の協力を得て弥富~津島間を開通させたのが、ちょうど120年前の1898(明治31)年4月3日でした。名鉄の現路線では最も早く開業した路線です。なお、名鉄の前身「名古屋電気鉄道」が名古屋の市内電車として笹島~県庁前間で開業したのは、この約1ヶ月後の明治31年5月6日でした。
尾西鉄道は、後に名鉄へ吸収合併されましたが、名鉄よりも先に開業し、順次線路を北へ延長、明治33年には弥富~新一宮間が全通しました。
津島駅120年①

明治村 2014(H26).7.6

津島駅を最初に走った機関車です。
米国ブルックス社製の尾西鉄道1号機関車です。
英国に発注した機関車がストの影響で製造が遅れ、開業時はこの1両だけで営業開始、すぐにもう1両(2号-米国ピッツバーグ製)を他から調達したそうです。
尾西鉄道で務めを果たしたあと、新潟県二本木駅の日本曹達の引込線で働いていました。
戦後に、先達のご尽力で名鉄へ里帰りし、1965(昭和40)年の明治村開村から明治村村内で保存展示されています。
津島駅120年②

明治村 2015(H27).1.17

明治村を走る日本の現役最古の蒸気機関車12号です。

尾西鉄道12号機関車は、由緒正しき機関車で、新橋~横浜間が開業した2年後の1874(明治7)年に英国のシャープスチュワート社で製造された鉄道院165号です。
新橋~横浜間を走行したあと、機関車交換により1911(明治44)年に尾西鉄道へやってきて津島駅を拠点に活躍しました。
尾西鉄道電化・名鉄合併後も新一宮駅などの入換用に1957(昭和32)年まで活躍し、保存されました。
津島駅120年③

明治村 2010(H22).12.7

明治村東京駅の転車台に乗る12号です。
この転車台も尾西鉄道弥富駅にあったものを、須ヶ口駅に移設、明治村SL運転開始に伴い、長さを短く改造して搬入されたそうです。
どうやら、日本最古の転車台のようです。
明治村東京駅転車台
参照
津島駅120年④
      津島市立図書館所蔵

尾西鉄道 津島~六輪 1919(T8)夏

SL21号(英国ダブス製・元鉄道院190号)が逆向き運転で、後ろに荷物車と客車を連結して走ります。
この客車は、マッチ箱と呼ばれた長さ約7mの小柄な車体でした。

現在の町方駅付近を津島に向かって走っていると思われます。
左に見える煙突は、尾州毛織物発展の礎を築いた片岡毛織の工場と思われます。
図(1)-1898(明治31)年4月の愛知県内鉄道路線図

尾西鉄道開業時の愛知県内路線図です。弥富~津島間
(赤線)が開業したときには、愛知県内にこれだけの路線しかありませんでした。
【黒線:官設鉄道、青線:関西鉄道(後に国有化)青線:豊川鉄道(後に国有化)
図(2)-1914(大正3)年1月の愛知県内鉄道路線図

名古屋電気鉄道(名鉄の前身)津島線開業時の愛知県内路線図です。
名電は名古屋の市内電車として開業し、市内線の路線網を広げていきました
(桃色線)が、郡部線(郊外線)の将来性に着目し、名古屋市内の押切町から津島・一宮・犬山へ向かう路線を同時に計画(紫線)。一宮・犬山線は1912(大正元)年8月に、津島線はその1年半後に開通しました。
【黒線:鉄道省(省線)、橙線:愛知電気鉄道・瀬戸電気鉄道・西尾鉄道・岡崎電気軌道】
津島駅120年⑤
      津島市立図書館所蔵

津島線 藤浪付近 1918(T7).8

津島線を最初に走った電車・デシ500形です。
新津島発の電車は、押切町から市内線に乗り入れ、柳橋まで52分で走っていました。
(サボは「ナゴヤゆき」)
20分毎の運転で、通常は1両で運転されましたが、写真のように貨車を連結することもあったようです。
この電車は、名古屋電気鉄道が郡部線(一宮・犬山・津島線)開業に備えて38両製造した車体長約10mの大型4輪単車です。
最初は市内線電車(1~167)の連番で、168~205号でしたが、市内線にも後に同じ番号の電車が登場したので
1918(大正7)年に501~538号に改番されました。
(郡部線の単車が500番台、ボギー車が1500番台、市内線のボギー車が1000番台となった。)
津島駅120年⑥ 津島駅と新津島駅  1926(大正15)年の年末に撮影 (津島市立図書館所蔵写真に加筆)

新津島駅と津島駅が写った貴重な航空写真
(津島駅東上空から西方向を見る)です。尾西鉄道津島駅開業16年後の1914(大正3)年1月23日に、名古屋電気鉄道津島線が開業し、新津島駅ができました。
当時の尾西鉄道は蒸気機関車の列車が1~2時間おきに走っていましたが、名古屋電気鉄道は電車が20分おきに走り名古屋市内(柳橋)へ直通しました。新津島駅(名電)は、津島駅(尾西鉄道)のお客の大部分を奪い取ってしまい、尾西鉄道は苦境に陥りました。
1925(大正14)年に、尾西鉄道は名古屋鉄道に吸収合併され、同じ名鉄に津島駅と新津島駅の2駅が存在することになりました。両駅は200mくらい離れていたので、便宜を図るため、(尾西線)津島駅の隣に、津島線の乗換用ホームができました。それが一目でわかるのが大正15年末に撮影されたこの写真です。この時代の津島線の電車は、新津島駅と津島駅の両方の駅に停車していました。
合併の時から、両駅を統合する方向で動き始め、1931(昭和6)年に移転統合されました。建設中だった駅前通り(天王通)が津島神社まで全通したのが1930(昭和5)年なので、津島の都市計画と一体で駅の移転統合が行われたものと思われます。

1914(大正3)年に開業した新津島駅は、1931(昭和6)年に津島駅へ統合されましたので、17年くらいしか存在しなかった幻の駅です。
2014(平成26)年1月に津島線開通100周年を迎えました。当時私は名鉄資料館に勤務していたので、「津島線開通100周年記念展」を企画し、新津島駅の写真を名鉄資料館内で探しましたが、1枚もありませんでした! 津島市立図書館を訪問し、副館長(現館長)さんが収集された写真の中に写っているのを発見し、感激して借用しました!
  →津島市立図書館発行「歴史写真集 津島」第1輯に収録      →名鉄資料館「津島線開通100周年記念展」
参照
津島駅の変遷
図(3)-明治31年の津島駅です。 尾西鉄道開業前に作成された「津島停車場設計図」-明治31年1月・主任技術者・深山孫一郎-(名鉄資料館所蔵)を元に加筆し、線路部分を黒く強調しました。図の上側が東で、上の写真⑥の逆方向から見ています(図(3)~(6)共通)
尾西鉄道の機関庫と客車庫は津島駅にできましたが、転車台は設置されませんでした(弥富と新一宮に設置)。
図(4)-大正15年の津島・新津島駅です。 名古屋電気鉄道津島線が1914(大正3)年1月23日に開通し、新津島駅が開業しました。謎に包まれた新津島駅ですが、上の写真⑥を拡大して見ながら(判別できない部分は想像して)配線図(青線)を書いてみました。間違いがあるかもしれません…。新津島駅開業時からこの線路配置だったと思われますが、津島線(青線)の津島駅ホームができたのは1925(大正14)年の名鉄・尾西鉄道合併以後です。
図(5)-昭和6年に統合された津島駅です。  1943(昭和18)年の名鉄配線略図(名鉄資料館所蔵)と、昭和30年代後半の航空写真(下の⑧)を元に作成しました。駅舎は新設の駅前通りの正面になるよう南方向(図の右側)へ移動し、駅全体が津島線寄りの東方向(図の上側)へ移動しました。これは駅前広場を広くするためと思われます。尾西線の一宮方は線路の付け替えが行われました。1968(昭和43)年に津島駅が高架化されましたが、その工事が始まるまでは、この線路配置でした。
図(6)-昭和43年に高架化された津島駅です。  既存の地上駅の東側(図の上側)に高架駅ができました。
1967(S42).12.17に津島線と尾西線(津島以南)が高架化
(同時に津島~佐屋間を複線化)。1968(S43).5.6尾西線(津島以北)を高架化し津島駅付近1.6kmの高架化が完成。1968(S43).9.3津島駅新駅舎・駅ビル完成。
現在もこの線路配置で、地上時代の津島駅と比較すると線路と分岐器が極端に減りました。津島線と尾西線(一宮方面)の乗換駅なので、もう1本は線路+ホームが必要ですね。
津島駅120年⑦ 高架化と駅ビル工事が竣工直後の津島駅 1968(S43).9  名鉄資料館所蔵写真に旧駅舎の位置などを加筆

駅ビルには名鉄ストアが入店し、名鉄バスの津島営業所が駅ビルに隣接してできました。駅前から名鉄バスセンター・給父・立田役場・富吉・一宮方面のバスが発着していました。この当時は、電車からバスに乗り継ぐお客さんも大勢いて、交通の結節点になっていました。東海大橋が開通した頃は津島~お千代保稲荷のバスも、岐阜バスと共通運行されました。
現在、名鉄ストア(→名鉄パレ)は閉店、バス路線も大幅縮小され、バス営業所も1997(H9)年に大坪へ移転しました。
この写真で建設中の高架下には飲食店やパチンコ店等の店舗が並びましたが、現在、郵便局と交番を残して他は全て撤退し、寂しい状況です。

津島駅120年⑧ 津島駅空撮 1960(S35)年頃 津島市立図書館所蔵

津島駅の南上空から撮られた写真です。ホームは右から1~4番線で、右の1・2番線が4両ホームで名古屋方面、3番線が弥富方面、4番線が一宮方面行きでした。伊勢湾台風の時(1959/昭和34年)の写真を見ると、3・4番線は2両ホームでしたが、この写真では3番線が4両に延伸されていますので、それ以後に撮られた写真だということがわかります。
一番左には貨物ホームがありました。津島駅の貨物営業は、高架化工事を始めるため1964(昭和39)年に廃止され、貨物は日比野駅に貨物線を増設して集約されました。
(日比野駅の貨物扱いも1983/昭和58年に廃止)
 →尾西線の貨物列車参照
↓津島駅120年⑨ 津島駅舎 1966(S41)12.10 名鉄資料館所蔵

1931(昭和6)年に建設された風格のある津島駅舎です。
奥の方では高架化工事の橋脚作りが始まっており、この駅舎の最後の頃です。
津島駅120年⑩

津島 1972(S47).10.19

津島駅に停車中の850系「なまず」です。この当時は、ホームには売店があり、津島名物「あかだ・くつわ」も売ってました。


私は高校から名古屋へ通いましたので、1966(昭和41)年4月から毎日津島駅を利用しました。従って、地上時代の津島駅もよく覚えていますが、高校生時代は写真を撮らなかったので、地上時代の津島駅の写真は1枚もありません…
大学へ入った1969(昭和44)年から鉄道写真を撮り始めましたが、津島駅ではほとんど撮っていません…。この日は名古屋へ行こうと電車を待っていたら、反対ホームに850系佐屋行きが到着しましたので、慌てて撮りました。
津島駅120年⑪

津島 1972(S47).10.19

上の写真⑩の続きです。
津島を出発した850系佐屋行きです。
↓光学読取り式の定期券
  (穴の位置を読み取る方式)
定期券印刷発行機で、穴開け・印刷し駅員が使用者の氏名を記入、それをラミネート加工(パウチ)してお客様に渡していました。
 (私が卒業まで使った通学定期です)
津島駅120年⑫
     津島市立図書館所蔵

津島 1969(S44)年頃

高架化翌年の1969(S44).6.1に、津島駅で名鉄初の定期券自動改札機が使用開始されました。光学読取り式の機械で定期券専用でした。定期券は上の写真のとおりで、大きさは現在のICカードとほぼ同じでした。
この自動改札機は、翌年11月に新岐阜駅へも導入されましたが、その後の技術革新で磁気式自動改札が主流になり、光学読取り式は結局2駅に導入されただけで終わり、昭和50年代に撤去されました。

(津島駅は高架化の少しあとから地盤沈下が始まりだし、改札口付近で傾斜がひどくなったので、自動改札機の故障が多発しました)
津島駅120年⑬

津島 1994(H6).8.6

津島駅へ到着する3400系「いもむし」です。

3400系は、この前年に鉄道友の会からエバーグリーン賞を受賞し、それを機に登場時の色に復元されました。そしてこの平成6年に冷房改造を行いました。
冷房改造後、名鉄創業100周年を記念して、通常は3400系が走らない路線を走り、津島駅にもやってきました。
津島駅120年⑭

津島 1994(H6).8.6

上の写真⑫の30分後です。

3400系は、弥富で折返し、碧南行きになりました。
夏休み・土曜日の昼頃ですが、それなりの乗降客がありました。
津島駅120年⑮

津島 1999(H11).5.3

津島駅に到着する全車指定席特急の吉良吉田行きです。この当時は1時間に1本の座席指定特急が運転されていました。出発時間帯にはホームで座席指定券を売っていました(写真左)
ホームの行灯
(あんどん)式行先案内も、今となっては懐かしいですね。

白帯のパノラマカーは、有料特急(座席指定車)の差別化を図るために、内装を改良して1982(S57)年に登場しました。その後1000・1600系の登場により1999(H11).5.10のダイヤ改正で白帯車は特急運用を離脱することになり、その1週間前に慌てて撮った写真です。
津島駅120年⑯

津島 2014(H26).1.26

津島線開通100周年を記念して、この日の朝、津島駅で発車式が行われました。
(100周年該当日の1月23日は平日だったので、直近の日曜日に開催)



記念列車は、6000系に記念系統板を付けただけでしたが…
もっとも、系統板を取り付け可能な電車は、当時(現在も)6000系だけなので、車両運用面での配慮は必要だったと思いますが。
津島駅120年⑰

津島 2018(H30).4.3

2018(平成30)年4月3日、開業120周年を迎えた津島駅の改札口です。
津島駅は、佐屋駅と共に名鉄で一番最初に開業した駅です。その駅が120周年を迎えたのに、何のイベントも行われず寂しい限りです。

少し前に駅構内の内装を綺麗にしていたので120周年記念行事が行われるかと期待したのですが、空振りに終わりました…
津島駅120年⑱

津島 2018(H30).4.3

ひっそりした津島駅前です。
津島駅も高架化されて、今年で50年になります。
50年前と比べると、駅前は寂しくなりました。
駅ビル内の店舗・喫茶店は撤退し、あとからできた観光案内所も撤退、コンビニだけが営業中です。
津島駅120年⑲ 津島駅ビル2F 2011(H23).12.10

がらんどうになって久しい駅ビル2階ですが、年に1回だけ使われています。毎年12月に津島駅ビル2階を会場に「鉄道部品即売会&オークション」が開催されています。写真は7年前の即売会で、この頃は売るものがたくさんありましたが、最近は寂しくなってきました…
津島駅120年⑳ 津島 2018(H30).4.3

ちょうど開業120年目の津島駅です。
右の駅ビルも高架下も店舗が撤退し、寂しい限りです。電車を降りて食事処を探すのも一苦労です。
再び賑やかな駅前風景が戻ってくることを願っています!
津島軽便堂Topページへ戻る 津島駅開業からちょうど120年!→ 2018(H30).4.3up

参考図書:「歴史写真集 津島」第1~3輯 2012~13(H24~25)年 園田俊介編著・津島市立図書館発行
       「鉄道ピクトリアルNo.372・373」1980(S55).2・3月号-幻の尾西鉄道・神田 功著
       「鉄道ファンNo.427・428・429」1996.11~1997.1月号-尾西鉄道の記録-清水 武著
       「尾西線の100年」 清水 武・神田年浩解説 1999(H11)年3月 郷土出版社発行
       「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行