津島軽便堂写真館
国土地理院1/20万「名古屋」S41.8..30発行より
尾西線を青線
三興製紙専用線を
赤線で記入

名鉄尾西線貨物列車   名鉄最古の路線の貨物列車   尾西線のパノラマカーへ

名鉄尾西線の弥富~津島間は、尾西鉄道により、1898(明治31)年4月3日に開通しました。
名鉄の前身:名古屋電気鉄道の開業(笹島~県庁前:M31/5/6開通)よりも約1ヶ月前で、国有化されなかった私鉄の中では、愛知県で最古の私鉄路線です。
名鉄の現存路線で最古の歴史を誇るのですが、地味な路線で、あまり話題になることがありません。
地元津島に住むものとして、それでは少し寂しいので、その歴史を調べると下記の通りです。
西部の中心都市であった津島町は、関西鉄道(現:関西線)敷設の際、津島を経由するよう働きかけましたが、残念ながら最短ルートで建設されることになりました。そこで弥富~津島~一宮を鉄道でつなぐため、尾西鉄道が設立され、本社を海東郡津島町に置きました。
関西鉄道の協力を得て弥富~津島間を開通させた後、順次線路を北へ延長、明治33年には新一宮まで開通しました。
しかし、名古屋電気鉄道が郡部線として1914(大正3)年1月23日に津島線を開通させたので、尾西鉄道は津島のお客を奪われ、結局1925(大正14)年に名鉄に合併されてしまいました。
尾西線①②

 津島駅 1974(S49).12

昭和49年の年末に、津島駅を通過する尾西線貨物列車です。
昭和43年に津島駅が高架化され、両側に急勾配が出来たので、それ以降は大型のデキ600形が主に使用されたということです。

尾西線の弥富~森上間では、昭和53年まで貨物列車が走っていました。
昭和49年のダイヤで調べると、定期貨物1往復+不定期貨物1~2往復でした。
貨物取扱駅は、森上(三興製紙専用線)と日比野の2駅で、森上は昭和53年、日比野は58年に貨物取扱を廃止し、尾西線から貨物列車が消えました。
昔は当然津島駅でも貨物扱いをしていたのですが、昭和39年、津島駅高架化工事に伴い廃止となり、日比野駅に集約(日比野駅の貨物線増設)と記録にはあります。
↑昭和49年9月17日改正の津島線・尾西線ダイヤの一部です。
青線が定期貨物列車です。森上~蒲郡間に特急列車が1時間に1往復運転され、赤線のスジでパノラマカーが運転されていました。
尾西線③

森上・三興製紙専用線 1974(S49).12

森上駅で降りて、北の方にある三興製紙専用線を見たら、専用線入口にディーゼル機関車+貨車3両が待機していました。尾西線の貨物列車の到着を待っています。

森上駅から三興製紙の工場まで、専用線が出ていました。上の地図で見れば約2.5kmの距離です。
参考図書「尾西線の100年」に「三興引込線の思い出」というコーナーがあり、引込線の機関士を務めた方の思い出話と、写真が掲載されています。それによれば、元は三興醸成燃料という軍用工場で、トウモロコシ等から航空機燃料のアルコールを製造していたということです。その輸送用に戦争末期の昭和20年に引込線が造られ、機関車が導入されるまでの4日ほどは貨車を手押しで、その後は名鉄沿線で使われていたSLが投入されました。戦後、製紙工場となり、昭和20年代後半に自社発注の蒸機C351号が導入されました。サンコー1号機の語呂合わせで351になったとのことです。昭和39年にDL化されました。
尾西線④

 森上 1974(S49).12

貨物列車が森上駅1番線に到着しました。これから貨車入換を開始します。

隣の2番線に停まっている3800系電車は、たぶん私が乗ってきた森上行きの特急で、折返して蒲郡行きの特急になります。
右の貨物側線には貨物ホームもありましたが、この当時は既に森上駅での貨物取扱いは終了していて、三興製紙専用線への中継だけが行われていました。


森上駅の入換の模様を下の図で説明いたします。
森上入換(1) 1974(S49).12

津島方面から1番線に貨物列車が到着したところです。
青色がデキ、黄色が到着貨車、灰色がワフ(車掌車)、茶色がDL、緑色が出発貨車です。
森上入換(2) 1974(S49).12

まず、デキを切り放し、貨物側線へ逃がします。そのあと、三興製紙専用線で待機していたDL+出発貨車が森上駅へ入ってきます。その途中で貨車を切り放し、DLだけが到着貨車に近づきます。
森上入換(3) 1974(S49).12

DLは到着貨車に連結。貨物側線に逃げていたデキが、三興線入口にいた出発貨車を連結し、また貨物側線に逃げます。
森上入換(4) 1974(S49).12

DLが、到着した貨車を連結して三興製紙の工場に向けて出発します。
その途中で一旦停止しワフを切り放しました。
森上入換(5) 1974(S49).12

貨物側線に逃げていたデキ+出発貨車がワフを最後尾に連結し、1番線に転線しました。出発準備完了です。
尾西線⑤

 森上 1974(S49).12

到着した貨車を切り放したデキ603号です。
これから向こう側の貨物側線に逃げます。
尾西線⑥

 森上 1974(S49).12

デキが貨物側線に逃げた後、三興線に待機していたDB71+出発貨車3両が森上駅に入ってきました。
この直ぐ後に、貨車を切り放しました。
尾西線⑦

 森上 1974(S49).12

出発貨車を切り放したDB71号は、到着貨車を連結しに行きます。
ロッド式のディーゼル機関車でした。
ボンネットの先頭に三興製紙のマークを付けていました。
尾西線⑧

 森上 1974(S49).12

DBが到着貨車に連結しました。
デキは、出発貨物を引き取りに右へ走ります。

2番線にいた蒲郡行きの特急は、新一宮行きの電車に道を譲るため、3番線に転線されました。
尾西線⑨

 森上 1974(S49).12

出発貨車に連結したデキ603号です。
このあと、また貨物側線に戻ります。
尾西線⑩

 森上 1974(S49).12

DB71号が到着貨車5両とワフを連結し、三興製紙の工場に向けて出発しました。直ぐに一旦停止し、ワフを切り放し、そのまま専用線へ消えて行きました。

この少し前に、三興製紙の専用線を歩きましたが、その日は貨物運休で写真が撮れませんでした。せめて沿線風景や終点の工場のフェンスから中を見た写真を撮っておればと悔やんでいます。
結局、三興製紙の機関車を撮ったのは、これが最初で最後でした。
尾西線⑪

 森上 1974(S49).12

貨物側線に一旦引き上げていたデキ603号+出発貨車3両を推進し、最後尾にワフを連結します。このあと1番線に戻り、出発準備完了です。
尾西線⑫

 森上 1974(S49).12

木造の森上駅舎です。
この駅舎は2007(平成19年)頃まで健在でしたが、その翌年、パノラマカーの尾西線さよなら運転で白帯の7011Fが入線したときにはありませんでした。
尾西線に限らず、昔懐かしい木造駅舎は、数少なくなっていましたが、駅のトランパス(プリペイドカード)化・自動改札機導入でトドメを刺されたという感じです。
尾西線⑬

森上~上丸渕 1974(S49).12

蒲郡行きの特急が出発しました。
上のダイヤでは1340列車です。
途中の停車駅は、丸渕、六輪、津島、須ヶ口、新名古屋、金山橋、神宮前、知立、新安城、南安城、碧海桜井、米津、西尾、上横須賀、吉良吉田、西幡豆、西浦、形原です。12:27に森上を出発し、14:40に蒲郡へ到着します。

津島~森上間は昭和49年3月に複線化されましたが、森上駅の手前のこの区間は単線のまま残りました。今でも単線のままです。
尾西線⑭

森上~上丸渕 1974(S49).12

特急の後は、佐屋行きの1290列車です。
尾西線の主だったHL車3730系でした。
枕木を使った柵や、未舗装道路がローカルムードを盛り上げます。
尾西線⑮

森上~上丸渕 1974(S49).12

いよいよ本命の貨物列車です。
上のダイヤでは86列車で、途中日比野で貨車を増結して弥富に向かいます。
尾西線⑯

森上~上丸渕 1974(S49).12

上の写真⑮の続きで、貨物列車の後ろ姿です。
最後尾にはワフを連結していました。
もう少し行くと複線になり、そこで森上行き特急1241列車とすれ違います。
その1241列車が森上に到着した写真が次のコマに写っていました。なんとパノラマカーでした。(上の⑬のAL2両の特急と雲泥の差です!)


そのパノラマカーの写真は次ページに掲載するとして、貨物列車の写真を続けます。
尾西線⑰

 日比野 1974(S49).6

日比野駅に停泊するデキと貨車です。
尾西線の津島~新一宮間の電車も、折返しのため日比野まで回送でやってきました。
高架化された津島駅ホームは津島・尾西線合わせて2線しかなく、留置線もないためです。昔の津島駅は立派だったのに・・・

上の写真の①~⑯の半年前です。
森上発の貨物列車は、この日比野で貨車を解結し、弥富に運び、そのあと日比野に戻ってきます。(不定期貨物が無い日)→そのまま日比野で1泊。(不定期貨物がある日)→森上まで1往復後日比野で1泊。いずれにしても日比野でパンタを下ろして夜を過ごしました。
尾西線⑱

 日比野 1974(S49).6

日比野で停泊するデキ603とワフ51です。
尾西線の貨物列車を牽引していたデキの常駐場所は日比野駅でした。
時々、検査のために新川検車(須ヶ口駅)まで単機回送されました。そのときは津島線でもデキの走行が見られました。
尾西線⑲

 日比野 1970(S45).12

日比野駅に停泊するデキ600形と貨車です。
上の写真⑰⑱の3年半前です。
かなりたくさんの貨車が留置されています。
津島駅付近の高架化工事が始まる前に、日比野駅の貨物線を増設し、津島駅の貨物扱いを移転しました。
そのため、日比野駅の貨物扱い量が増えました。
尾西線⑳

弥富~弥富口 1982(S57).3.6

1978(昭和53)年7月23日に森上の三興製紙専用線の貨物輸送が廃止になり、尾西線の貨物列車は、弥富~日比野間だけになりました。

この写真は、貨物輸送末期の状況です。車掌車の連結もやめています。
尾西線(21)

 弥富 1982(S57).4.3

弥富駅で出発を待つ貨物列車です。
名古屋から関西線に乗ったときに、電車の窓から撮りました。
弥富駅の一番名古屋寄りのところで、名鉄尾西線は逆に左側が新名古屋方面になります。

尾西線で唯一残った日比野駅の貨物扱いも1983(昭和58)年5月31日に廃止され、尾西線から貨物列車が姿を消しました。
これが、私が尾西線の貨物列車を撮った最後の写真です。
自宅から一番近いところを走っていた貨物列車でしたが、私が撮ったのはこれだけしかありません・・・
毎度のことですが、もっと撮っておけばよかったと悔やんでいます。
  2014(H26).3.17up
津島軽便堂Topページへ戻る  尾西線のパノラマカー

参考図書: 「鉄道ピクトリアルNo.372・373」1980(S55).2・3月号-幻の尾西鉄道・神田 功著
       「尾西線の100年」 清水 武・神田年浩解説 1999(H11)年3月 郷土出版社発行
       「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行