津島軽便堂写真館

名鉄尾西線パノラマカーなど   7000系・6800系・3400系    尾西線の貨物列車へ

尾西線(22)

 森上 1974(S49).12

森上駅1番線に到着したパノラマカーです。
この当時(昭和49年)、1番線ホームの奥には貨物側線がありましたので、パノラマカーは1両分くらいしかホームに掛かっていません・・・
まあ、お客さんもそれほど乗っていないので、一番手前の車両のドアだけ開ければ楽々降りることが出来たと思いますが。

下のダイヤによれば、13時少し前の森上駅です。
↓(再掲)昭和49年9月17日改正の津島線・尾西線ダイヤの一部です。
赤線のスジでパノラマカーが運転されていました。
尾西線(23)

 森上 1974(S49).12

森上発蒲郡行きの特急をアップで撮りました。
よくよく見れば、植木鉢がヘッドライト&油圧緩衝器の上で日なたぼっこしています。
パノラマカーは、上のダイヤによれば、森上駅に36分停車します。
ホームは日陰になっていますので、日当たりのよい油圧緩衝器の上で日なたぼっこですね!のどかなローカル駅で、駅員さんの心遣いです。

昔は、植木鉢が乗っている所に子供を座らせて記念写真を撮っている人も時々見かけました。
尾西線(24)

上丸渕~森上 2008(H20).11.16

久しぶりに尾西線の津島~森上間にパノラマカーが入りました。
上の写真から34年後です。
この約1ヶ月前に7011編成に白帯が復活しました。
(白帯特急は、有料特急の差別化を図るため1982/昭和57年にパノラマカーの内装を改良して白帯を巻いたものです。後継特急専用車の登場により1999/平成11年に白帯車は特急運用を離脱、白帯を外しました)

パノラマカーは、この年の年末に定期運行を終え、翌年8月末に最後の営業運転を行いました。
この年は、パノラマカーのイベント列車がいろんな所に走り、森上にもやってきました。
尾西線(25)

 森上 2008(H20).11.16

森上駅で撮影会が行われました。
貨物扱いを、とっくの昔にやめていましたので、貨物側線の上に1番ホームを延長し、4両編成が停まれるようになっていました。
尾西線(26)

 森上 2008(H20).11.16

森上駅を反対側から見ました。
新一宮ではなく、名鉄一宮行きの電車(6000系)が出発しました。

尾西線の山崎・森上付近は銀杏(ギンナン)の産地で、イチョウの木がたくさんあります。
パノラマカーの系統板も黄色の「いちょう号」です。

折角ですから、イチョウに彩られた尾西線の写真を4枚、下に続けます。
尾西線(27)

 山崎 2011(H23).12.8

上の写真(26)の3年後です。
黄葉したイチョウ並木の先の踏切を赤い電車が通ります。
この踏切の直ぐ左が山崎駅です。
尾西線(28)

山崎~玉野 2011(H23).12.8

イチョウの落ち葉を強調して撮ってみました。
山崎駅のすぐ北側です。
尾西線(29)

 山崎 2012(H24).11.30

山崎駅に到着する津島行きです。
この日は、名鉄沿線ハイキングが開催されていて、ハイカーが大勢いました。
上の(27・28)の1年後です。

ギンナン生産日本一の稲沢市祖父江町では毎年「そぶえイチョウ黄葉まつり」が山崎駅周辺で開催されます↓
新聞にも航空写真が掲載されます。本当は↓こんな写真を撮りたいのですが・・・電車の右後ろが山崎駅です。北の方から撮った航空写真ですね↓(中日新聞社提供と小さく書いてありました。平成25年版のパンフレットです)


←尾西線(30)

 山崎 2012(H24).11.30

森上から来た電車が、山崎に到着するところです。

イチョウ黄葉の写真は以上で終わり、また森上駅パノラマカーに戻ります。
尾西線(31)

 森上 2008(H20).11.16

森上駅での撮影会です。
ファンサービスで、津島号の緑系統板を付けてくれました。
山崎駅方から撮りました。

このアングルは、前ページ⑧の写真とほぼ同じです。
貨物側線があったところにホームができています。
尾西線(32)

 森上 2008(H20).11.16

上の写真(31)の逆方向、上丸渕駅方の踏切から撮りました。

森上駅がこんなに賑わったのは、昭和43(1968)年の名古屋直通特急運転開始以来でしょうか?
尾西線の電車の変遷を見守ってきた木造駅舎は既に取り壊され、左端には新築駅舎が写っています。
尾西線(33)

森上~上丸渕 2008(H20).11.16

森上駅で撮影会を終えたパノラマカーが回送で戻っていきます。
尾西線を走行する最後のパノラマカーです。

折角天候も回復して、薄日が差してきたのに、行先が白幕で回送表示では寂しいですネ!
そこで、チョットPhotoshop Elementsで手を加えてみました。
マウスカーソルを写真の上に持っていってください。小富士の表示器が撮影会のものに切り替わります。
尾西線(34)

 森上 2007(H19).3.4

森上の木造駅舎の最後の頃です。

上の写真(32)の1年半前ですが、まだ木造駅舎でした。
この年に、木造駅舎は取り壊されてしまいました。
尾西線(35)

 森上 2007(H19).3.4

森上駅の交換風景です。

休日は、左端の1番線に6000系が1日留置されていました。

尾西線は2011(平成23)年3月26日からワンマン化され、電車は6800系に統一されましたが、それ以前も6800系が主力であったことが分かります。
尾西線(36)

玉野~萩原 2012(H24).4.13

春の尾西線です。
日光川の鉄橋を渡る6800系です。

私の親戚が玉野にあった関係で、子どもの頃は親に連れられて津島~玉野を一番よく乗りました。(名古屋へは滅多に行きませんでした)
玉野の親戚へ行くと、従兄に連れられて、この日光川の鉄橋まで電車を見に来ていました。
この写真の50年以上前の話です。
尾西線(37)

玉野~萩原 2012(H24).4.13

桜満開の萬葉公園の横を走る6800系です。
我が家から一番近い桜+電車の撮影地です。
桜+電車の撮影地はいろいろありますが、尾西線の写真はあまり見かけません。隠れた撮影地です。

最近では毎年訪問しています。
尾西線がワンマン化されたため、赤い電車6800系だけが走ってくれます。やはり桜には赤い電車が良く合います。1時間に上下合わせて8本も通りますのでありがたいです。
尾西線(38)

玉野~萩原 2011(H23).4.12

萬葉公園の中から撮りました。
この付近の花見の名所で、提灯の飾り付けもありました。
散り初め状態で、桜色のじゅうたんになっています。
尾西線(39)

玉野~萩原 2012(H24).4.13

萬葉公園の中にある住吉社の参道です。
赤い椿も散っていて、赤と桜色のじゅうたんが、なかなか良い感じです。
尾西線(40)

玉野~萩原 2012(H24).4.13

萬葉公園横の踏切です。
それなりのスピードで通過しますので、シャッターチャンスは一瞬です。
しかし、列車本数が多く、撮り直しがきくので気楽にシャッターが押せます。
尾西線(41)

玉野~萩原 2012(H24).4.13

萬葉公園の門柱です。
公園の中では花見の宴が開かれています。平日なのでこぢんまりとしていますが。
尾西線(42)

 萩原 1994(H6).10.30

萩原駅に停車中の3400系です。
萩原の駅舎も立派でしたが、森上駅と同時期(2007/H19年)にトランパス化のため解体されました。
萩原駅といえば、我々の年代の大スター「舟木一夫」の出生地です。

3400系は、この前年(平成5年)に鉄道友の会からエバーグリーン賞を受賞し、それを機に登場時の塗色が復元されました。そしてこの平成6年に冷房改造を行いました。
冷房改造後、名鉄創業100周年を記念して、通常は3400系が走らない路線を走り、尾西線にも入線しました。
尾西線(43)

玉ノ井~奥町 1994(H6).8.27

ノコギリ屋根の並ぶ、尾西線の終点・玉ノ井駅付近です。
昔は、この先の木曽川橋駅まで旅客列車が走り、更にその先の木曽川港駅まで貨物列車が走りました。

名鉄(初代)と美濃電軌が合併し、名岐鉄道が誕生した当時(1930/昭和5年)は、この路線が名岐ルートでした。
新一宮から木曽川橋駅まで電車に乗り、当時木造の木曽川橋(道路橋)を徒歩で渡り、その先の笠松駅(旧)から岐阜まで電車に乗るルートでした。
昭和10年に名岐線の新一宮~新笠松が開通し、この路線は名岐ルートから外れました。そのため奥町~木曽川橋は戦時中に不要不急路線として休止になりました。
1951(昭和26)年に奥町~玉ノ井間は復活しましたが、玉ノ井から先はそのまま廃止されました。 
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参考図書: 「鉄道ピクトリアルNo.372・373」1980(S55).2・3月号-幻の尾西鉄道・神田 功著
       「尾西線の100年」 清水 武・神田年浩解説 1999(H11)年3月 郷土出版社発行
       「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行