津島軽便堂写真館

明延鉱山 明神電車 1/2     現役時代の明神電車       明神電車2へ

明延(あけのべ)鉱山と神子畑(みこばた)選鉱所を結んでいた鉱石輸送用の電気軌道は「明神(めいしん)電車」と呼ばれました。
自動車が未発達の時代、山奥の鉱山町・明延の人々が都会へ出るためには、この明神電車に便乗し神子畑へ、バスで新井駅へ、そこで播但線の列車に乗換えるのが最短ルートでした。
明神電車の便乗料金が、わずか1円であったことから「一円電車」とマスコミにとりあげられ、一躍有名になりました。
私も一円電車のことは知っていたのですが、残念なことに訪問せずに終わってしまい、いまだに悔やんでいます…。同窓の友人、Kaさん、一路順風!さんが数人で訪問し、その写真を提供してもらいましたのでアップします。
←国土地理院1/20万「姫路」S49.6発行より
明延実行委員会発行「絵葉書・鉱石の道」添付の説明書

明神電車の沿革がよくわかります。

明延鉱山のことは
 →日本一の錫の鉱山
 参照
明神電車のことは
 →Wiki明神電車
 参照

もっと詳しく知りたい人は↓この本を
 (写真や図面が豊富です)
明神電車① Kaさん撮影

神子畑 1977(S52).7.20

明神電車の待合所に掲出されていた時刻表です。
平日は5往復、会社休業日は4往復の旅客列車(一円電車)が走っていました。
明神電車② 一路順風!さん撮影

神子畑付近 1977(S52).7.20

神子畑の近くで、明延から来る列車を撮りました。
明延~神子畑間はほとんどがトンネル区間ですが、その長いトンネルを抜けて、No.15機関車を先頭にした客車列車が来ました。
軌間762mmの2'6"ナローですが、車体が小さいので、線路幅が広く見えます。

上の時刻表からすれば、明延13:00発の列車と思われます。
明神電車③ Kaさん撮影

神子畑付近 1977(S52).7.20

上の写真②の列車の通り過ぎた後ろ姿です。
後ろにも機関車No18を連結していましたが、写真をよく見るとパンタが架線から離れています。
後ろの機関車は、折返し駅で機廻し入換を省略するために連結されていると思われます。
明神電車④ 一路順風!さん撮影

神子畑付近 1977(S52).7.20

上の写真②③の続きです。
後ろの機関車No.18は青い色でした。

向こうの方が神子畑で、20分で折返し明延行きになります。
それに乗るために、急いで駅に向かいました。
明神電車⑤  一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延へ到着した一円電車です。

電気機関車No.18の後ろに物置小屋のような貨車を連結していますが、参考図書「一円電車と明延鉱山」を読むと、「荷物車」と呼ばれたそうです。
明延~神子畑間で、書類などの運搬用に使われたようです。
明神電車⑥ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延へ到着した荷物車に、おばさんが近づき扉を開けようとしています。
この荷物車で、生活物資なども運んでいたのかもしれません。

向こう側に、車庫と明延鉱山(鉱業所)の中心部が見えます。
明神電車⑦ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延で折返しを待つ一円電車です。

一円電車の乗降場は、明延の広い構内の入口に位置し、ここから北の方(写真右奥側)に、明延鉱山(鉱業所)の中心部がありました。

手前側が神子畑で、機関車
No.15+客車(くろがね)+客車(わかば)+荷物車+機関車No.18です。
客車の扉は片側のみで、こちら側に扉はありません。
明神電車⑧ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

真横から見た電気機関車No.18です。
No.18は最後まで「一円電車」を牽引した機関車ということで、現在、あけのべ憩いの家(旧明延振興館)前に保存展示されています。
明神電車⑨ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

軌間500mmの鉱車です。明延の構内には、軌間762mmと500mmが混在していました。昔は全部500mmだったのが、鉱石輸送力増強のため、明延~神子畑間の幹線などが762mmに改軌されたということです。
明神電車⑩ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

鉱石輸送の主力電気機関車No.1です。無線操縦用のアンテナが付いていました。
明神電車⑪ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

ライト付きの珍しい鉱車だと思って参考図書を調べたら、無線操縦装置搭載車ということで、機関車の次位に連結されていました。
明神電車⑫ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

二軸客車「わかば号」です。現在、神子畑精錬所跡地に保存展示されています。
明神電車⑬ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

「くろがね号」です。明神電車で最大の車両で、唯一のボギー客車でした。現在、明延に動態(牽引されて動くだけですが)保存されています。
明神電車⑭ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

凸型の人気者「白金号」です。
非常に魅力的なスタイルでした。

現在、あけのべ憩いの家(旧明延振興館)前に保存展示されています。
明神電車⑮ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

車庫の前です。
白金号は、上の写真⑩の逆方向から見ています。
明神電車⑯ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

鉱業所の奥です。
線路は500mmと762mmデュアルゲージになっていました。
左の切り欠きの下の方へインクライン(貨物用ケーブルカー)が延びていました(下の写真⑰)
明神電車⑰ Kaさん撮影

明延 1977(S52).7.20

インクラインを上から見下ろしました。
下の方にも軌道があるのが見えました。

このインクラインの軌道は現存しており、道路から見上げることができます。
明神電車⑱ 明延 1977(S52).7.20 一路順風!さん撮影

動いているインクラインを下から見上げました。この写真の右上の方から下を見ると、右の写真⑲です。
明神電車⑲ 明延 1977(S52).7.20 Kaさん撮影

鉱業所から下を見た風景です。500mmの軌道がありました。上のトンネルを潜ると、世谷通洞坑(現・探検坑道入口)につながっていました。

明神電車⑳ 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

下の方には製材工場があり、バッテリー機関車が運材貨車をつないで入換をしていました。


参考図書を読むと、明延鉱山中心部の地上部の軌道は、上・中・下段に分かれており、中段に鉱山の主要設備が集中してありました。

この写真⑲⑳は中段から下段を俯瞰しました。
明神電車(21) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延鉱業所の奥の方です。
正面の建物が、明延鉱山総合事務所です。
明神電車(22) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

上の写真(21)の位置から逆方向(南)を見ました。
明神電車(23) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

左奥が粗砕場(選鉱場)です。
北から南を見ています。
(上の写真22の南側で撮ってます)
明神電車(24) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延鉱業所の中を北に向かってバッテリー機関車が走っています。
明神電車(25) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

明延で出発を待つ一円電車です。
明神電車(26) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

神子畑に向かう鉱石輸送列車です。
電気機関車No.4が牽引していました。
鉱石輸送用の貨車は、グランビー鉱車と呼ばれるものです。
ゆっくり走行しながら積荷を下ろすことができる構造の貨車で、大量輸送する場合には効率的です。
明神電車(27) 一路順風!さん撮影

明延 1977(S52).7.20

上の写真(26)の続きで、鉱石輸送列車の後ろ姿を、同じ場所から振り返って撮りました。
後ろにも機関車を連結した鉱石輸送列車は、トンネルの中に消えていきました。




一路順風!さんは、このときがナロー鉱山鉄道デビューでした。その後、はるばる中国までナローの鉱山鉄道を撮りに行った記録は、
你好,小火车
をご覧ください。
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 保存された明神電車
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参考図書:「一円電車と明延鉱山」-ヤマのトロッコ鉄道物語- 岡本憲之著 2012(H24).11.21 神戸新聞総合出版センター発行
     「あけのべの一円電車」
-命脈つきた鉱山鉄道の記録- 1988(S63).5.31 レイルロード発行
     「全国鉱山鉄道」
-鉄道の原点"ヤマ"軌道をもとめて- 岡本憲之著 2001(H13)10.1 JTBキャンブックス発行