関西線(名古屋口)の蒸気機関車 3/5       水郷地帯 弥富・永和 のあたり

 関西線(名古屋口)-(32) 弥富 1970(S45).3.28
 この日は、加太越えのD51を撮りに行った帰り、弥富で名鉄電車に乗換ました。弥富まで乗ってきたキハ35です。中線にD51850号。
 関西線(名古屋口)-(33) 永和〜弥富 1970(S45).5.5
 永和駅の少し西に小学校がありましたので校庭から撮りました。
 ポプラ並木越しのDD51客車列車です。

関西線(名古屋口)-(34)

永和〜弥富 1970(S45).5.5

水郷地帯を走る貨物列車です。
子供の日の祝日で、貨物列車も短い編成でした。

永和駅の少し西にある鉄橋で、この川は善太川です。

私の家から永和駅まで地図で調べると約8kmで、直線距離では弥富駅よりも少し近いことになります。

この日は、家から自転車で撮影に行きました。
永和付近で撮影する場合は、よく自転車で出かけました。
運賃(名鉄+国鉄)節約と、関西線の旅客列車本数が少なかったためでした。当時は、旅客列車よりも貨物列車のほうが多かったような印象があります。
関西線(名古屋口)-(35)

永和〜弥富 1970(S45).12.28

永和駅の近くに湿地があったので、逆光で貨物列車を狙いました。
煙が良い感じでした。


寒風の中、自宅から自転車で出掛けました。
関西線(名古屋口)-(36)

永和〜弥富 1970(S45).12.28

永和駅の西の善太川です。
(上の写真(34)の逆方向)

関西線の鉄橋の手前に木橋がまだ現役で使われていました。その木橋を入れて撮りました。
←関西線(名古屋口)-(37)

永和〜弥富 1970(S45).12.28

急行列車はキハ58系でした。
屋根上を見ると、クーラーはグリーン車にしかありません。
→関西線(名古屋口)-(38)

蟹江〜永和 1970(S45).12.28

DD51の客車列車が西日を浴びて永和に近づいてきました。
←関西線(名古屋口)-(39)

蟹江〜永和 1970(S45).12.28

夕日を背にして、D51が永和を出発しました。
日光川を渡るため、勾配を登ります。
前照灯を点けてくれればありがたかったのですが、昔はかなり暗くなるまで点けませんでした。

汽車を待つ間、寒いので近くの尾張温泉まで自転車をこいで行って、建物の中に入り寒さをしのいでいました。
↓関西線(名古屋口)-(40)

永和〜弥富 1970(S45).12.29

永和と弥富の中間あたりにある鉄橋を貨物列車が通ります。

関西線(名古屋口)-(41)

永和〜弥富 1970(S45).12.29

冬の夕暮れの寒々とした風景の中を走る客車列車です。
関西線(名古屋口)-(42)

 弥富 1970(S45).12.29

冬の夕暮れです。
D51の貨物列車が交換待ちしている弥富駅に客車列車が到着します。
関西線(名古屋口)-(43)

 弥富 1970(S45).12.29

上の写真(42)の続きです。
交換待ちしていたD51が威勢良く煙を噴き上げて出発しました。
関西線(名古屋口)-(44)

永和〜弥富 1971(S46).1.25

D51が大量の煙を良い感じにたなびかせ走りました。無風状態だったと思われます。
小さな水路を跨ぐ、小さな木橋がありました。少し高くしてあるのは、この下に小舟(下の写真)を通すためだと思われます。

 
関西線(名古屋口)-(45)

永和〜弥富 1971(S46).3.24

煙(蒸気)で機関車が隠れてしまいました。(伊吹おろしの北西風が吹くとこうなります)

小さな水路には小舟が浮かんでいました。
この頃この地方では、まだ農作業用に小舟を使っていたと思われます。
上の写真(44)の木橋が右端に写っています。
関西線(名古屋口)-(46)

蟹江〜永和 1971(S46).3.2

永和駅の東に日光川の鉄橋があり、そのすぐ東に、写真の釣り堀がありました。 
関西線(名古屋口)-(47)

 弥富 1971(S46).3.24

真っ黒い煙を上げて、これから入換を開始します。
弥富もこの頃は貨物取り扱い駅で、名鉄への貨車受け渡しも行っていました。駅前は今よりもはるかに活気がありました。(今は関西線にも電車が走るようになり便利になり、乗降客もこの頃より増えたと思いますが、駅前は寂れたような感じです)

反対側のホームには名古屋行きのキハ35が停車中で、その隣の奥には、名鉄電車も写っています。

線路沿いの「ハエタタキ」も立派でした。
 Top頁(Home)へ 次の頁(笹島・D512)へ