津島軽便堂写真館

北陸線1  余呉・新疋田 ボンネット型特急が走っていた時代


 ↑北陸線木ノ本~敦賀の地図です。国土地理院1/20万「岐阜」S43.2発行に加筆
北陸線は米原~直江津間353.9kmの路線でしたが、北陸新幹線の開業により並行区間が第三セクターの鉄道会社4社(4県にまたがるため)に移管され、現在は米原~敦賀間45.9kmだけになりました。
1889(明治22).7.1の東海道線新橋~神戸間全通と同時に、米原~敦賀間も全通したという古い歴史があります。
開業時の木ノ本~敦賀間は左図青線の柳ヶ瀬隧道を経由するルートでした。柳ヶ瀬隧道は1884(明治17)年に開通した全長1352mの当時日本最長のトンネルでした。敦賀方向から隧道出口の雁ヶ谷に向かって25‰の連続上り勾配で、1928(昭和3)年にはSL牽引貨物列車がトンネル内で空転し、機関士・機関助士が窒息死する事故が発生、新線建設のきっかけとなったということです。
1957(昭和32).10.1に木ノ本~余呉~深坂隧道(5170m)~近江塩津~新疋田の新線が開通しました。同時にこの区間を含む田村~敦賀間が交流電化されました。
旧線は、しばらく柳ヶ瀬線として残り、鳩原信号場で北陸線に合流し敦賀まで走行していましたが、北陸線複線化の際に敦賀→新疋田の上り線を勾配緩和のためループ線で建設したので、既存路線(鳩原信号場~敦賀)が下り列車専用となって柳ヶ瀬線列車の乗入れができなくなり、1963.10.1に疋田~鳩原信号場を休止し、敦賀~疋田間はバス代行になりました。そして1964(S39).5.11に柳ヶ瀬線は全線廃止されました。

ボンネット型特急が活躍していた時代の北陸線 余呉・新疋田付近で撮った写真をご覧ください。
北陸線1-01

余呉~木ノ本 1970(S45).8

余呉に到着する下り客車列車です。交流用EF70形1次形(前照灯1灯)が牽引する長大編成でした。

当時の時刻表では、余呉発の昼間の下り列車は、10:30、12:22、15:29の3本しかないので、15:29の米原→糸魚川行きの249列車と思われます。
北陸線1-02

余呉~木ノ本 1970(S45).8

EF70形2次形(前照灯2灯)が牽引する長大編成の貨物列車です。
北陸線1-03

余呉~木ノ本 1970(S45).8

ボンネット型特急「雷鳥」です。
北陸線の特急用に製造された交直両用の481系11連です。

国鉄特急と言えば、この色、この形ですね!
「こだま形」には子供の頃から憧れていました。


この日、余呉で撮った写真は以上です。すぐ近くに余呉湖があったのに余呉湖を入れた写真がなかったことに気付き、すぐ後にもう一度出かけました(下の写真)
北陸線1-04

 余呉 1970(S45).8

余呉湖と賤ヶ岳を背景にED70形牽引の客車列車です。
ED70形は、北陸線田村~敦賀間の交流電化(1957.10.1)に合わせて製造された日本初の量産型交流用電気機関車です。

手前の田圃には稲架(はざ)掛け用の木がたくさんありました。
天気が良いと逆光になりますが、曇ってて良かったのかな?
北陸線1-05

 余呉 1970(S45).8

EF70形重連の貨物列車です。
北陸線1-06

 余呉 1970(S45).8

私の好きなボンネット型特急電車です。「雷鳥」or「しらさぎ」?
北陸線1-07

 余呉 1982(S57).10.11

上の写真06の12年後の余呉湖畔を走る特急です。
485系の後期形で、このタイプの電車が主力になり、ボンネット型は数を減らしていました。

湖西線が1974(S49)年に開通し、京都・大阪方面の列車はここを通らなくなりました。
従って、この列車は「しらさぎ」or「加越」です。
北陸線1-08

 余呉 1982(S57).10.11

キラキラ光る余呉湖をバックに、EF70形が牽引する米原行き上り客車列車です。米原側に2両の郵便車(オユ10形?)を連結していました。
北陸線1-09

 余呉 1982(S57).10.11

トンネルを出て、ススキの中を走る上り貨物列車です。
北陸線1-10

 新疋田 1982(S57).5.28

EF70形が12系客車12両の臨時列車を牽引し、新疋田を通過しました。


会社の鉄道同好者30名ほどで貸切バスを使って1泊の撮影ツアーが計画され、私も参加しました。撮影の達人の案内で、私は初めて撮影名所の新疋田を訪問しました。
北陸線1-11

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

新疋田のお立ち台でした。
上下線の間隔が開き、高低差もあったので、上り列車を撮るには最適でした。

まずは583系の下り特急「雷鳥9号」金沢行き(敦賀着11:45)
この日は珍しくメモをしていたので、列車名が分かり、それを元に時刻表で時刻を調べました。
北陸線1-12

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

上の写真11と同じ場所です。
上り特急「しらさぎ4号」名古屋行き(敦賀発11:35)です。

この当時の北陸線の特急には食堂車(サシ)が連結されていました。
調べると1985(S60).3.14のダイヤ改正から食堂車の連結をやめています。
北陸線1-13

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

憧れのボンネット型特急が来ました。「雷鳥8号」大阪行き(敦賀発11:42)

この写真が撮れて、とても嬉しかったです。
北陸線1-14

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

EF70形牽引224列車米原行き(敦賀発11:45)
草刈りのおばさんが昼の休憩に戻っていくようです。
北陸線1-15

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

上の写真14の続きです。
EF70形機関車の後ろに郵便車(オユ10形?)2両と荷物車1両を連結していました。
北陸線1-16

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

交直両用の急行形電車(475系?)の「立山2号」大阪行き(敦賀発12:00)

この塗装は大好きです!
北陸線1-17

新疋田~敦賀 1982(S57).5.28

交直両用のEF81形牽引貨物列車です。

この当時の機関車は、米原方面は交流用のEF70形が、湖西線直通は交直両用のEF81形が使われていたようです。


新疋田へ初めて訪問したときの写真は以上11~17です。この後、何度か訪問しましたが、この日の写真が一番良かったと思います。
北陸線1-18

新疋田~敦賀 1982(S57).10.11

交流用のEF70形牽引下り貨物列車です。
上り線と下り線がほぼ直角に交差する場所です。
北陸線1-19

新疋田~敦賀 1982(S57).10.11

北陸線の上下線が交差する場所です。交直両用の上り電車がこれからループ線を回り、この場所まで上ってきます。
ループ線の線上から俯瞰しました。
北陸線1-20

新疋田~敦賀 1982(S57).10.11

上り特急「雷鳥」大阪行きが、下り線の上の鉄橋を渡ります。
これからループ線を1周します。
北陸線1-21

新疋田~敦賀 1982(S57).10.11

ループ線を1周してきた上り特急「雷鳥」が、夕暮れのススキの中を走ります。
北陸線1-22

新疋田~敦賀 1983(S58).5.4

田植えの終わった田圃の向こうを交直両用電車が通り過ぎました。
北陸線1-23

新疋田~敦賀 1983(S58).5.4

上の写真21の少し上から俯瞰しました。
特急電車です。ヘッドマークを見ると「白鳥」なので、日本海側を縦貫して青森行きです。
北陸線1-24

新疋田~敦賀 1984(S59).7.17

上下線の交差部を走る特急「雷鳥」大阪行きです。
北陸線1-25

新疋田~敦賀 1994(H6).7.17

上の写真24の直後です。
下りの普通電車が通りました。寝台特急583系を普通用に改造した食パン電車です。
北陸線1-27

新疋田~敦賀 1995(H7).10.14

トワイライトエクスプレス大阪発札幌行きです。
1989(H1)年から2015(H27)年まで運行された、憧れの列車でした。
予約がなかなか取れない列車として有名でした。
北陸線1-28

新疋田~敦賀 1995(H7).10.14

EF81形牽引の貨物列車
北陸線1-29

新疋田~敦賀 1995(H7).10.14

ボンネット型の特急も数は減っていましたが、まだ健在でした。

輝くススキと一緒に
北陸線1-30

新疋田~敦賀 1995(H7).10.14

秋の夕暮れ、コスモスと一緒に
北陸線1-31

新疋田~敦賀 1995(H7).10.14

1995年4月から運行開始した681系「スーパー雷鳥(サンダーバード)」です。
北陸線の特急に使われていた481・485系を置き換えるために登場しました。
北陸線1-32

新疋田~敦賀 1998(H10).2.11

トワイライトエクスプレスです。
この列車を撮るために出かけました。

この写真が、私が新疋田で撮った最後の写真で、これ以降は訪問していません。


トワイライトエクスプレスは予約の取りにくい列車でしたが、知人の努力により、2004(H16)年5月に6人で乗車することが出来ました。
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参考図書:国鉄監修 時刻表1970(S45)年8月号 日本交通公社発行