津島軽便堂写真館

五能線ハチロク    風光明媚な日本海沿いを走っていた混合列車

青森県・秋田県の日本海沿いを走る風光明媚な長距離ローカル線:五能線(川部~東能代147.2km)です。最近では乗ってみたいローカル線No.1になっているそうです。
40年以上前の五能線には、ハチロクと呼ばれた蒸気機関車8620形が客車と貨車をつないだ混合列車を牽引して走っていました。
その頃の五能線の写真をご覧ください。
↓下の地図は、国土地理院の電子国土Webから五能線の部分をコピーし撮影最寄り駅を追記しました。
↑五能線① 岩館~八森 1971(S46).3.22 Nさん撮影

岩館駅の南東約1kmの所にある有名な鉄橋です。ハチロクの混合列車が鉄橋を渡ります。貨車と客車が長くもなく短くもなく、丁度良い両数でした。深浦・五所川原方面に向かう列車です。
↓五能線ダイヤ 昭和45年(鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」より)
  混合列車を、客車列車を、貨物列車をでなぞりました。
 なお、昭和47年撮影時は、このダイヤは少し変更されていました。

五能線② Nさん撮影

岩館~八森 1971(S46).3.22

上の写真①と同じ鉄橋を横から見ました。
東能代行きの混合列車が走ります。
五能線③

 弘前 1972(S47).3.17

弘前駅に停車中の五能線列車です。
6.3km先の川部駅で折り返して五能線に入るため、ハチロクのバック運転で出発するようです。上のダイヤでは1740列車ですが、この2日前のダイヤ改正後は1730列車となりました。

8630号機は、現在梅小路蒸気機関車館で保存されています。

五能線の分岐駅は川部駅ですが、ほとんどの列車は弘前駅から出ていました。


この日は弘南鉄道大鰐線を撮影し、大鰐から一旦弘前へ出てこの写真(③~⑤)を撮り、弘前16:09発の急行「津軽1号」で東能代まで乗り、東能代駅前旅館に泊まりました。
五能線④ 弘前 1972(S47).3.17

客車の中から撮りました。
五能線⑤ 弘前 1972(S47).3.17

弘前駅の構内入換に活躍していたハチロクです。

五能線⑥

 東能代 1972(S47).3.18

五能線の起点・東能代駅構内です。
朝の活気ある風景です。
右にホームがあり、機関庫(扇形庫)は背面側です。
東の方を見た写真です。

架線の吊り方に特徴がありました。


東能代駅前旅館に泊まり、五能線の撮影地に向かう前に、機関区へ寄りました。
五能線⑦

 東能代 1972(S47).3.18

ハチロクがドレインを切って入換しています。
五能線⑧

 東能代 1972(S47).3.18

48640号は、給炭台の横で給炭・給水です。
五能線⑨

 東能代 1972(S47).3.18

機関庫の中です。
機関庫全体を写しておらず、どんな機関庫だったか全く記憶がありません。
機関車だけでなく、もう少し機関庫の風景を撮っておけばよかったと悔やんでいます(毎度のことですが)

国土地理院の当時の航空写真↓で調べると、中規模の扇形庫だったようです。
五能線⑩ 東能代 1972(S47).3.18 機関庫内の48640号 五能線⑪ 東能代 1972(S47).3.18 機関庫の入口から中を見る

この写真を撮った後、五能線の気動車に乗り大間越に向かいました。
交通公社発行「時刻表」より

1972(昭和47)年3月号の五能線の頁の一部(東能代~十二湖)です。
この年の3月15日に新幹線の岡山開業があり、ダイヤは白紙改正されました。

上の方に掲載した1年半前のダイヤに比べ、五能線の列車は削減されていました。

水色で色をつけた列車は、当日私が乗った列車です。深浦まで乗りユースホステルに宿泊しました。
で色をつけた混合列車を撮影しました。

五能線⑫

大間越~岩館 1972(S47).3.18

この区間は秋田・青森の県境で、日本海沿いを走る有名撮影地でした。

大間越駅から約3km歩き、五能線と海を俯瞰する段丘に上りました。
キラキラと輝く海をバックに、ハチロクの混合列車が走ってきました。

深浦に向かう733列車です。

ちょうど踏切を通過していますが、この道路は国道101号です。当時はまだ未舗装だったんですね!
五能線⑬

大間越~岩館 1972(S47).3.18

上の写真⑫の続きです。

一番上の写真と同じように、機関車の後ろにチップ積みの貨車トラを連結し、その後ろに客車、最後部にはワムを連結しています。
五能線⑭

大間越~岩館 1972(S47).3.18

キラキラ輝く日本海をバックに、ハチロクの混合列車が走りました。

上の⑫⑬の写真を撮ったあと、段丘を降りて、反対方向の東能代に向かう1730列車を撮りました。
列車が煙に隠れてしまいました。

写真に写っている岩場から、順光で撮った方が良かったかな!?
五能線⑮

大間越~岩館 1972(S47).3.18

上の写真⑭の続きです。
煙を残して走り去りました。
五能線⑯

 八森 1972(S47).3.18

大間越~岩館で撮影した後、八森に戻りました。
この日の朝、東能代→大間越に向かう途中、八森駅に架線が張ってあるのを発見しました。ちょっと気になったので戻ってきました。
8630号が逆向きで貨物列車を引いて停まっていました。写真を見て門デフだと気がつきました・・・
豊後森から来た78627号(下の写真⑳)から門デフを譲られたということですが詳細は分かりません。

上の方に掲載したダイヤを見ると、東能代~八森には貨物列車が2往復設定されていました。八森には日本海金属発盛精錬所があり、駅から精錬所まで電化された専用線がありました。
そこには得体の知れないポール式の電気機関車がいました。
 その写真は→こちらです。
五能線⑰

五所川原 1972(S47).3.19

五能線でハチロクの写真⑫~⑯を撮った後、深浦ユースホステルに泊まり、その翌日は津軽鉄道を訪問しました。

津軽鉄道からの帰り道、五所川原駅に停車中の18677号のキャブを写しました。原形からはだいぶ改造されていました。
五能線⑱

五所川原 1972(S47).3.19

18677号の貨物列車と、78667号の客車列車が並びました。


この客車列車に乗り弘前へ出て、弘前18:50発の「津軽51号」で東北をあとにし、蒲原鉄道・新潟交通に向かいました。
五能線⑲ Nさん撮影

深浦~広戸 1972(S47).4.8

五能線の中間の要衝:深浦に向かう列車です。

Nさん2回目の五能線訪問です。
Nさんは北海道SL撮影旅行の帰り道に弘前で途中下車し、五能線に乗って深浦まで来ました。
五能線⑳ Nさん撮影

 深浦 1972(S47).4.8

深浦で入換中の78627号です。
深浦駅には転車台や機関車駐泊所がありました。


この78627号は、はるばる九州の豊後森機関区から、この前年に五能線にやってきた機関車です。
五能線(21) Nさん撮影

深浦~広戸 1972(S47).4.8

奇岩の並ぶ海を見下ろすお立ち台です。
混合列車が走ってきました。

Nさんは、この写真を撮った後東能代へ出て、東京経由で名古屋へ帰りました。


私は、この年の翌年も津軽鉄道へ行くために川部~五所川原を乗りましたが、それから40年以上五能線とご無沙汰しています。
 2015(H27).2.6up
 津島軽便堂Topページへ戻る 次の頁(八森のポール機関車)

参考図書:  鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」 昭和46(1971)年1月臨時増刊号 交友社発行
        国鉄監修 交通公社の「時刻表」 昭和47(1972)年3月ダイヤ改正号 日本交通公社発行