明知線のC12  2/2  1973(昭和48)年10月まで走ったC12の記録です。33‰を喘ぎながら登ってました。

明知線M

阿木〜飯羽間 1971(S46).5.1

前ページ最後の写真から、ちょうど1年後です。
ゼプラのC12が走っていました。

たぶん阿木で下車して撮りに行ったと思いますが、あまり良い場所ではないですね・・・
明知線N

 阿木 1971(S46).5.1

阿木に到着する明知行きです。
この列車に明知まで乗りました。
たぶん明知線全線乗ったのが、このとき初めてだったと思います

鯉のぼりが泳いでいますが、白黒写真では目立たないですね。
 
明知線O

明知〜山岡 1971(S46).5.1

明知からの帰りの貨物列車を撮りました。これも良い場所ではないですね。
ゼブラマーク付きでしたから、撮影に気合いが入らなかったかもしれません。

どこで撮ったか思い出せませんが、地図と光線状態を見て明知〜山岡と判断しました。
明知線P

明知〜山岡 1971(S46).5.1

上の写真Oの続きです。

私が明知線で撮ったC12の最後の写真です。
←明知線Q Nさん撮影
阿木〜飯羽間 1971(S46).11.19

Nさんが鉄研仲間と明知線を再訪しました。
↑明知線R Nさん撮影

阿木〜飯羽間 1971(S46).11.19

左上Qの写真の列車の後ろ姿です。
高い位置にある陸橋の上から撮りました。
なお、左上のQは、山渓カラーガイド「蒸気機関車の旅」S45.5発行に掲載された廣田尚敬さんの写真の撮影場所です。それを参考にして出掛けました。
←明知線S Nさん撮影

明知線 1971(S46).11.19

築堤を走るC12を撮りました。
このあたりの紅葉はもう終わりがけです。
上のQRと同じ列車です。たぶん車で追い越して撮りました。従って、岩村と明知の間と思われます。
明知線(21) Nさん撮影

明知〜山岡 1971(S46).11.19

心にしみる晩秋のローカル線風景ですね!

秋の夕日に照らされて、C12が里山の景色の中を走ります。
明知線(22) Nさん撮影

 阿木 1971(S46).11.19

阿木を出発する貨物列車です。
上の(21)と同じ列車ですが、貨車を増結しています。山岡か岩村あたりで連結したと思われます。

同じ列車を明知付近と阿木付近で撮るのは列車では絶対無理です!車で追い越して撮りました。
明知線(23) Nさん撮影

 阿木 1971(S46).11.19

C12の貨物列車が阿木を出発していきました。
これが明知線のC12の最後の写真です。


明知線の蒸気機関車C12は、1973(昭和48)年10月にDD16形の投入により無煙化されました。
明知線(24)

明知鉄道・明智 1985(S60).12.13

国鉄の第1次廃止対象路線となった明知線は、1985(昭和60)年11月16日から第三セクターの明知鉄道となりました。

明知線が明知鉄道になって間もない頃に訪問しました。私にとっては14年ぶりの訪問でした。
明智を出発した真新しいLEカーです。
明知線(25)

明知鉄道・明智 1985(S60).12.13

祝・明知鉄道開業のアーチが掲げられた明智駅舎です。
明知鉄道転換と同時に明知駅は明智駅となりました。

「皆んなで乗ろう 郷土の足」

 郷土の足は今も健在です。
明知線(26)

明知鉄道・岩村 1985(S60).12.13

明知鉄道・岩村 1985(S60).12.13

駅長の出発合図を受けて、岩村を出発するLEカーです。


明知鉄道は、地元特産の寒天やキノコが食べられる食堂車を連結して頑張っていて頼もしい限りです。
一度食堂車に乗りに行かねばなりません!
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