津島軽便堂写真館

北海道炭鉱汽船 真谷地専用鉄道      夕張付近の鉄道地図へ

炭鉱の町、夕張が元気だった頃、国鉄夕張線沿線には多くの炭鉱がありました。沿線から離れた炭鉱へは、夕張線から炭鉱が経営する鉄道が延びていました。
1966(昭和41)年頃の夕張付近の鉄道は→こちらの地図をご覧ください。

夕張線から分岐していた鉄道の一つが、真谷地炭鉱の専用鉄道です。
真谷地炭鉱は、北海道炭鉱汽船(北炭)が経営していた炭鉱で、1987(昭和62)年に夕張最後の北炭のヤマとして閉山しました。
その北炭真谷地炭鉱の石炭輸送に活躍したのが、北炭真谷地専用鉄道で、夕張線・沼ノ沢~真谷地4.4kmを結んでいました。炭鉱と運命を共にし1987(昭和62)年に廃止となりました。詳細は→Wikipediaをご覧ください。便乗扱いで客車が運行されたという時期もあったということです。

←国土地理院1/20万「夕張岳」S41.4.30発行より
北炭真谷地① Nさん撮影

 1971(S46).3.30

真谷地の機関庫で休む5055号です。
機関庫の右横には、1915(大正4)年から1966(昭和41)年まで、便乗扱いで旅客を輸送した客車が置いてありました。


Nさんは、昭和46年春休み北海道旅行で、有名なE形タンク機関車を写すため、朝7時2分に美唄に降り立ち、美唄鉄道で撮影後、もう一つのE形タンク機関車の働き場所、真谷地炭鉱に向かいました。
美唄8:37→8:50岩見沢9:04→10:08追分11:51→12:13沼ノ沢=(バス)=真谷地
北炭真谷地② Nさん撮影

 1971(S46).3.30

機関庫の中の24号機です。
元国鉄の9600形9645号機で、1960(昭和35)に夕張鉄道へ譲渡(24号)、夕張鉄道から1971(昭和46)年6月に譲受したと書いてあります(→Wiki)。
(Wikiの夕張鉄道を見ると、24号は1969年に北炭真谷地へ譲渡と書いてありますので、どちらが正しいか分かりませんが・・・)
綺麗に整備されていて、24のプレートの上に丸形の夕張鉄道の社紋を外した跡もクッキリ残っています。
右の5055号(元美唄鉄道3号機)の代わりに、6月から使用開始されたと思われます。
北炭真谷地③ 1971(S46).3.30 Nさん撮影

真谷地の石炭積込ホッパーと石炭満載の貨車・セキです。その横を5055号が入換をしていました。
真谷地④ 1971(S46).3.30 Nさん撮影

廃車のSLが、据付ボイラーとして使われていたような感じです。元8100形でしょうか?
北炭真谷地⑤ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

5055号の入換です。

真谷地専用鉄道では、老朽化した5051・5052号(元国鉄8100形)を置き換えるため、1965~66(昭和40~41)年に美唄鉄道からE形タンク機の3号機と4142号機を譲受し、5055・5056号機としました。
5055号機は、元美唄鉄道3号機(国鉄4110形と同形機)です。
1971(昭和46)年5月に廃車になっていますので、廃車2ヶ月前の最後の活躍です。
同形の5056号機は、この2年前に夕張鉄道から譲渡された22号機(元国鉄9600形)に置き換えられ、廃車になっていました。
北炭真谷地⑥ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

5055号の入換です。
動輪5軸のE形タンク機です。
北炭真谷地⑦ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

石炭満載のセキを連結し、ホッパーから引っ張り出します。
5055号(4110形)は、斜め後ろから見た方が格好いいような気がします。

ホッパーの建物の上には、北炭の社紋☆(五稜星形)が掲げられています。
北炭真谷地⑧ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

入換が終わり、沼ノ沢に向けて出発準備が整いました。
蒸気を吹き上げ、まもなく出発です。
北炭真谷地⑨ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

運炭列車が真谷地を出発しました。
北炭真谷地⑩ Nさん撮影

 1971(S46).3.30

5055号の牽引する運炭列車は、そのまま沼ノ沢に向かって走って行きました。

Nさんは、これで撮影を切り上げ、バスを乗り継いで札幌へ戻りました。

沼ノ沢駅近くの、有名な大きくカーブを描いた築堤に行かなかったことが、チョット心残りだったそうですが・・・
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参考図書:
  「小型蒸気機関車全記録(東日本編)」 高井薫平著 講談社 2012.1.26発行
  「よみがえる北海道の鉄道・軌道」 浅原信彦・高井薫平著 学研パブリッシング 2012.9.11発行