庄内交通 湯野浜線 1/2     荒海の日本海を眺めながら走っていました。

庄内交通湯野浜線の地図 庄内交通湯野浜線は、羽越線の鶴岡から日本海沿いの湯野浜温泉まで、12.2kmの風光明媚なローカル私鉄でした。
1975(昭和50)年3月31日限りで廃止されました。

私とNさんがこの庄内交通を訪問したのは、1973(S48)年3月25日でした。

米どころの庄内平野の中を、鳥海山を眺めながら走り、終点近くでは日本海の荒波も眺められた電車の写真をご覧ください。



左の地図は、1/20万「酒田」S45.2.28国土地理院発行より
庄内交通湯野浜線を赤くなぞり、撮影した最寄り駅にを付け青字で駅名を記入しました。
庄内交通湯野浜線の当時の時刻表
国鉄監修交通公社の時刻表1973年4月号より
庄内交通@  Nさん撮影

 鶴岡 1973(S48).3.25

新潟から「きたぐに」に乗り、鶴岡へ11:19に到着しました。

国鉄のホームから後ろに見える跨線橋を渡り、庄内交通のホームへ来ました。
停車中のデハ101号です。
この電車は東急からやってきました。

春の日差しをうけています。

この電車に乗って、Nさんと二人で湯野浜温泉に向かいました。
庄内交通A  Nさん撮影

湯野浜温泉〜七窪 1973(S48).3.25

終点の湯野浜温泉に到着したあと、急いで海沿いの撮影ポイントに向かいました。
急いだため、私もNさんも湯野浜温泉駅で撮った写真がありません・・・
1枚でいいから撮っておくべきでしたが後の祭りです。

鶴岡から格好いい2両連結がやってきました。
木造校舎と日本海をバックに走ります。
庄内交通B  Nさん撮影

湯野浜温泉〜七窪 1973(S48).3.25

庄内交通湯野浜線一番の名所です。
風が強く、日本海・波高しです。

上の写真Aと同じ場所で撮りました。同じ列車の後ろ姿です。
庄内交通C

湯野浜温泉〜七窪 1973(S48).3.25

私も望遠で撮りましたが、カラーのほうが見栄えがしますね。
庄内交通D 七窪 1973(S48).3.25
 上のA〜Cの列車が湯野浜温泉で折り返してくる時間には雪が降り、視界不良となりました。しかたなく駅で撮りました。
庄内交通E 七窪 1973(S48).3.25
 左の列車の後ろ姿です。鶴岡に向かいます。
↑庄内交通F 湯野浜温泉〜七窪 1973(S48).3.25

次の湯野浜温泉行きが来る頃には、また日が差し視界良好となりました。モハ5号と7号の2連です。
←庄内交通G 湯野浜温泉〜七窪 1973(S48).3.25

上の写真Fの続きで、湯野浜温泉に向かう電車です。
大きなパンタグラフが印象的です。
庄内交通H

 善宝寺 1973(S48).3.25

日本海沿いでの撮影を終え、この電車に乗り善宝寺へ戻りました。

屋根の深いモハ7号は、京王帝都から来た電車です。
庄内交通I

 善宝寺 1973(S48).3.25

善宝寺を出発し、鶴岡に向かう電車です。
モハ7号の後ろ(手前)に連結していた電車(車掌が手を上げている)はモハ5号で、湯野浜線が庄内電気鉄道として1929(昭和4)年に開業したときからいる生え抜きです。最初は2号を名乗っていましたが故あって5号に改番したそうです。

農業倉庫と貨物側線があり、貨車が1両停車中でした。
庄内交通J

 善宝寺 1973(S48).3.25

上の写真Iを撮ってから、沿線へ撮影に出掛け、約2時間後の16時半頃に善法寺へ戻ってきました。

←貨車がいない!

1本前(約1時間前)の電車が連結して混合列車で鶴岡へ運んで行ってしまったようです。
ちょうどその頃、私たちは鶴岡と逆方向の七窪方面へ歩いて行って、庄内平野を俯瞰して電車の写真を撮っていました。

善宝寺〜北大山でその列車を撮っていれば、混合列車が撮れたのに・・・、混合列車を撮り逃したのを非常に悔やみ、ガックリしながら手前の電車に乗り、鶴岡へ戻りました。

あとで写真を見ると、庄内平野俯瞰の写真(次頁NO)も味わいがありますので、そうガックリすることもなかったかもしれません。
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参考図書:
  RM LIBRARY 68 「庄内交通湯野浜線」久保田久雄著 ネコ・パブリッシング 2005.4.1発行
  「新・消えた轍3 東北-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.8.31発行