静岡鉄道 清水市内線

清水市内線路線図 静岡鉄道・清水市内線は左図のとおり、港橋〜新清水〜清水駅前〜横砂を走っていました。
新清水では、静岡鉄道の鉄道線(静岡清水線:現存)に接続し、線路もつながっていました。
路線距離は4.6km、軌間1067mmで、港橋〜西久保が複線の併用軌道、西久保〜横砂が単線の専用軌道でした。
清水駅前〜西久保は国道1号線の真ん中を走っていました。

1974(昭和49)年7月の七夕豪雨で橋が流され運休になり、復旧されることなく翌年(1975年)3月に廃止となりました。


左図は、「世界の鉄道'73」朝日新聞社・昭和47年10月発行より
清水市内線@

 清水駅前 1973(S48).4.3

清水駅前の国道1号線に停車中です。
岐阜市内線のように、道路上の電停には安全地帯がありませんでした。
お客さんが大勢乗り込んでいます。

隣に三保行き「バスのりば」がありますので、この電車は新清水経由港橋行きの電車です。
パンタグラフが屋根の中央に付いているのが、清水市内線の電車の特徴でした。

この写真の左側が国鉄の清水駅です。
 A 清水駅前 1973(S48).4.3
  西久保行きの電車です。唯一の張り上げ屋根の65号です。
  安全地帯がないので乗降が大変です。
 B 清水駅前 1973(S48).4.3
 上の写真@の反対方向を見た写真です。西久保方面からの電車が、清水駅前に到着します。 (写真右側が清水駅)
清水市内線C

 横砂 1973(S48).4.3

清水市内線の終点の「横砂」は、古びた車庫と洗車台もあり、素晴らしい雰囲気のある駅でした。

近所の子供の遊び場にもなっていました。
清水市内線D

 横砂 1973(S48).4.3

運転士と車掌は、折返しの間ベンチに座り、一服しながら、しばし休憩をとります。

56号は、なかなか重厚感のある路面電車ですね。
 
↓清水市内線E

 横砂 1973(S48).4.3

子供が駅構内で遊んでいましたのでパノラマ写真風に撮りました(2枚の写真を合成)。

清水市内線F

 横砂 1973(S48).4.3

横砂駅の待合室です。

ホームの柱の広告の下に横砂発車時刻表があり、1時間に3〜4本走っていたことが分かります。
G 横砂 1973(S48).4.3
  港橋行きが横砂を出発していきました。
  割烹着のおばさんが線路を横断します。
H 横砂 1973(S48).4.3
  次の電車が横砂に到着しました。
  私はこの電車(66号)に乗って港橋に向かいます。

清水市内線I Nさん撮影

 横砂 1974(S49).2.11

Nさんは、運転休止になる約半年前に清水市内線を訪れています。
もっとも、訪れた時点では水害で運転休止になることは想定外だったわけですが・・・

運転台が低く、おでこが広い61号です。

清水市内線J Nさん撮影

袖師〜鈴木島 1974(S49).2.11

清水市内線の西久保〜横砂は単線の専用軌道を走ります。そのうち、愛染町〜嶺〜鈴木島は国鉄東海道線に並行して走っていました。
 (上の路線図参照)

写真は鈴木島を出発し、東海道線と別れ、左前方の袖師方面へ向かう電車です。
 K 嶺 1974(S49).2.11 Nさん撮影
  単線区間での唯一の交換駅「嶺」です。
  東海道線の横に島式ホームがありました。
 L 嶺 1973(S48).4.3

  嶺駅での通票交換です。
 M 港橋 1973(S48).4.3
  パンタグラフの位置が特徴的です。(普通は台車の真上につけますが)
 N 港橋 1973(S48).4.3
  もう一つの終点「港橋」に停車中です。

清水市内線O

 港橋 1973(S48).4.3

路面電車の終点「港橋」です。
「横砂」に比べるとムードはないですが、普通の路面電車の終点らしい感じです。
安全地帯がないのがチョット寂しいです。
清水市内線P

 市内線車内 1973(S48).4.3

車掌が乗っている路面電車は、ワンマン化の進展により減っていました。
女性の車掌も珍しい時代でした。
そのため、ついつい撮りました。

港橋から清水駅前に向かう路面電車の車内です。

静岡鉄道 静岡清水線
          Nさん撮影

 草薙付近 1974(S49).2.11

静岡鉄道の本線に相当する「静岡清水線」です。

富士山が綺麗に見えました。

この300形電車は、自社で製造された車両です。
新型車両導入に伴い1985(S60)年に福井鉄道へ譲渡されました。福井鉄道で2006(H18)年まで活躍しました。
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