-- 1系統(長町-仙台駅前-八幡神社前)
-- 2系統(長町-一番丁-八幡神社前)
-- 9系統(原の町-循環線左回り-原の町)
--10系統(原の町-循環線右回り-原の町)
仙台市電路線図 「世界の鉄道'73」朝日新聞社1972.10発行に追記
主な路線系統 
津島軽便堂写真館

仙台市電   東北に最後まで残った市電です。1976(昭和51)年に廃止されました。

東北地方で最後まで市内電車が走っていたのが仙台です。
1976(昭和51)年に廃止されました。その3年前にNさんと2人で東北私鉄巡りをしました。そのとき撮った写真をご覧ください。
↑国土地理院1/20万「仙台」1969(S44).9.30発行に、仙台市電の路線図を
青線(最後まで残った路線/S51廃止)と、緑線(S44廃止)を追記しました。


←仙台市電① 中央三丁目 1973(S48).4.1 Nさん撮影

仙台駅の少し南にある中央三丁目です。右が仙台駅前、手前が長町駅前です。
仙台市電を代表する電車100形111号が一番丁方面へ左折します。
仙台市電の路線図です。主な路線系統に色を付けました。昔は二日町から北仙台に向かう路線もありましたが1969(S44)年に廃止済でした。
詳細は→Wiki仙台市電を参照してください。
仙台市電②

 仙台駅前 1973(S48).3.27

栗原電鉄を訪問したあと、Nさんと2人で仙台駅へ17時過ぎに到着しました。
早速、薄暗くなった駅前で仙台市電を撮り、0:22発の青森行き夜行急行「八甲田」に乗るまでの間に市電全線乗りつぶしをしました。(暗くなってから乗ったので写真はありませんが・・・)
仙台市電③ Nさん撮影

 仙台駅前 1973(S48).3.27

上の写真②と同じ時に、少し離れて同じ電車を撮りました。
仙台市電④ Nさん撮影

 仙台駅前 1973(S48).4.1

上の写真③と同じ場所の5日後の昼です。
写真の400形は、都電8000形の影響を受け、同じ車体構造で1959~63(昭34~38)年に登場しました。

Nさんは山形交通高畠線で私と別れてから、仙台経由で岩手開発鉄道へ向かいました。昼頃に仙台で途中下車して1時間ほど市電を撮りました。
仙台市電⑤

 仙台駅前 1973(S48).3.27

勤め帰りのお客さんが、駅前電停に並んでいました。

呉市電から来た2000形が駅前に到着しました。
仙台市電⑥ Nさん撮影

 仙台駅前 1973(S48).3.27

上の写真⑤のほんの少し後です。
並んでいたお客さんが乗り込みます。
1系統の電車は、八幡神社前から県庁市役所前・仙台駅前を経由し、長町駅前まで走るルートでした。
仙台市電⑦ Nさん撮影

 仙台駅前 1973(S48).4.1

仙台駅の少し北側だと思います。
写真の100形電車は、仙台市電を代表する電車ですが、ワンマン改造の際に、正面が変則2枚窓に改造されました(登場時は通常の3枚窓)。
仙台市電⑧ Nさん撮影

 仙台駅前 1975(S50).8.26

200形は正面2枚窓の半流形で登場、ワンマン化の時に運転台側の窓を大きくして左右非対称の顔になりました。
10系統で、方向幕には「原の町循環」と書いてありました。

この頁の中で唯一1975(S50)年撮影の仙台市電です。
↑仙台市電⑨ 中央三丁目 1973(S48).4.1 Nさん撮影

9・10系統の電車は中央三丁目を直進し、循環線を1周し、原の町に戻ります。
←仙台市電⑩ 中央三丁目 1973(S48).4.1 Nさん撮影

1系統は、仙台駅前方面からこのカーブを曲がり、長町駅前(右下方向)に向かう200形です。
他の電車はZパンタでしたが、写真の207号を含む206~208号は菱形パンタグラフでした。
仙台市電⑪ Nさん撮影

中央三丁目 1973(S48).4.1

2系統は、八幡神社前から一番丁経由で長町に向かいます。
一番丁方面から100形112号が曲がってきました。
仙台市電⑫ Nさん撮影

中央三丁目 1973(S48).4.1

続いて100形123号が仙台駅前方面から曲がってきました。


仙台市電は、この写真を撮った3年後の1976(S51)年4月1日に廃止されました。
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参考図書: 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行