津島軽便堂写真館

西濃鉄道    今や希少価値!内陸部の貨物専用私鉄です

西濃鉄道は、東海道支線の美濃赤坂駅から出ている貨物鉄道です。
1928(昭和3)年に、市橋線(美濃赤坂~市橋)と昼飯線(美濃赤坂~昼飯)が貨物専用鉄道として開業しました。
1930(昭和5)年には、市橋線で旅客営業も始まり、大垣駅から国鉄(鉄道省)のガソリンカーが乗り入れました。このガソリンカーは国鉄初の内燃動車でした。旅客輸送は1945(昭和20)年に廃止され、その後、市橋線の一部と昼飯線は廃止になりましたが、今も石灰石輸送の貨物列車が健在です。
詳細は「RM LIBRARY 99 西濃鉄道」をご覧ください。→RM LIBRARY 99
  こちらにも西濃鉄道の話題が→編集長敬白
左の地図は、国土地理院1/25,000「大垣」S52.12.28発行より
西濃鉄道の路線に色を付けました。
赤線が現存、青線は廃止路線です
美濃赤坂① 1970(S45).3.29 railbusさん撮影

西濃鉄道の起点で、東海道支線の終点:美濃赤坂です。
この頃(1970年代前半)は、旧型国電2両編成が東海道支線の美濃赤坂線(大垣~美濃赤坂)や、垂井線(大垣~垂井~関ヶ原)で運転されていました。なお、大垣~名古屋の普通列車は、昼間は1時間に1本の運転で、湘南形電車80系の長大編成が走っていました。
美濃赤坂② 1970(S45).3.29 railbusさん撮影 生石灰輸送用の鉄製有蓋車:テ1200形
美濃赤坂③ 1970(S45).3.29 railbusさん撮影 同じく、積荷を12→15tに増やした:テム
←西濃鉄道① 美濃赤坂 1970(S45).3.29 railbusさん撮影

西濃鉄道はB6形蒸気機関車2105・2109号の2両が、昭和39・41年まで活躍したことで有名でしたが、この写真を撮った昭和45年には既に廃車になり、シートを被っていました。

西濃鉄道② railbusさん撮影

美濃赤坂 1970(S45).3.29

西濃鉄道の社有貨車がたくさん止まっていました。
西濃鉄道③ railbusさん撮影

美濃赤坂 1970(S45).3.29

ワフもいました。
左の方へ行くと、美濃大久保です。
本を読むと「美濃赤坂から美濃大久保へ向かう列車は、ワフを先頭に推進運転で出発した」と書いてありました。
西濃鉄道④ railbusさん撮影

美濃赤坂~乙女坂 1970(S45).3.29

ロマンチックな駅名の乙女坂から美濃赤坂に向かう貨物列車です。
(現地へ行くと、どこが乙女坂?と思ってしまうのですが・・・)

ロッド式のDD401号が鉄製有蓋車を引っ張っています。
DD401号は昭和39年に導入された西濃鉄道初の自社発注車で、このおかげでB6蒸機1両がお役御免になりました。
西濃鉄道⑤ railbusさん撮影

美濃赤坂 1970(S45).3.29

車庫の中です。
右のDD102号は
昭和41年に日本軽金属蒲原工場から購入したロッド式の機関車です。
西濃鉄道⑥

美濃赤坂 1982(S57).3.12

貨車がたくさんいた美濃赤坂構内です。
中央の架線のある線路の奥が、国鉄美濃赤坂駅のホームです。

railbusさんの訪問から12年後に、私も西濃鉄道を訪問しました。
西濃鉄道⑦

昼飯(ひるい) 1982(S57).3.12

昼飯線の終点・昼飯に停車中の402号です。
手前が美濃赤坂方です。

左端に昼飯駅舎が写っています。
乗務員はその中で昼飯休憩中だったのかな・・・なーんてね

昼飯線は1990(平成2)年頃に休止になり、その後廃止されました。
西濃鉄道⑧

昼飯(ひるい) 1982(S57).3.12

上の写真⑦の逆方向から見ました。
生石灰輸送用のテム・テラをつないでいました。
西濃鉄道⑨ 昼飯(ひるい) 1982(S57).3.12

上の写真⑧の少し右側から撮りました。
西濃鉄道⑩ 昼飯~美濃大久保 1982(S57).3.12

昼飯の少し美濃大久保寄りに石灰の積み込み設備がありました。

西濃鉄道⑪ 昼飯~美濃大久保

 1982(S57).3.12

昼飯を出発してきた貨物列車です。
美濃大久保の少し手前で撮りました。見ていると、走行中に貨車を切り放しました。
貫通ブレーキを外して貨車を牽引し、機関車だけ少しブレーキをかけると、後ろの貨車から連結器が押された状態になり、連結器解放テコを扱うと列車分離が出来ます。そのあと機関車が加速して逃げ、ポイントを切り換え、自走する貨車を別の線に入れ、操車掛が車側ブレーキを操作して止めるという入換でした。
昔行われたという、「ひき逃げ」入換でしょうか。突放の逆バージョンで、かなり高度な技術と連携が必要でした。
西濃鉄道⑫ 美濃大久保

 1982(S57).3.12

スイッチバックの美濃大久保に到着した貨物列車です。
貨物列車は、ここで向きを変える必要がありました。
機回し入換を簡略化するために、上の写真⑪の走行中の貨車切り放しを行ったわけですね。
DD402号は、再び先頭に立ち美濃赤坂を目指します。
西濃鉄道⑬ 美濃赤坂~乙女坂

 1982(S57).3.12

石引神社の鳥居の前を貨物列車が通ります。
このときの撮影は、この写真が最後でした。

印象に残っているのは、途中の踏切で列車が通る時間が近づくと、バイクのおじさんが来て、踏切を操作していたことです。そんな写真を撮っておけばよかったと後悔しても後の祭りですね!
西濃鉄道⑭ 美濃赤坂~乙女坂

 2013(H25).3.30

上の写真⑬から31年後の石引神社の境内です。
今年の桜は早くから咲き始めたので、桜を入れて逆方向から狙いました。
鳥居の手前を、乙女坂行きDD403号の石灰石輸送列車の返空が通りました。
西濃鉄道⑮ 乙女坂

 2013(H25).3.30

石引神社境内で、上の⑭を撮ってから乙女坂駅に行くと、先ほどの貨物列車の機関車が機回し入換をしていました。
手前側が美濃赤坂方です。
西濃鉄道⑯ 乙女坂

 2013(H25).3.30

上の写真⑮の続きです。
機回しをして、矢橋工業の工場内のなかなか良い雰囲気の中を進み、石灰石輸送貨車:ホキに連結します。
全部の貨車に石灰石を積み込むまで少しずつ貨車を引っ張り、積み込みが終わるとまた美濃赤坂に戻ります。石灰石輸送列車は、美濃赤坂でJR貨物の機関車に引き継がれ、笠寺からは名古屋臨海鉄道の機関車で新日鉄の工場まで運ばれていきます。
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参考図書:RM LIBRARY 99 「西濃鉄道」 清水 武著 ネコ・パブリッシング 2007.11.1発行