尾小屋鉄道5-1   日本に最後まで残った軽便らしい軽便鉄道−−−5回目の訪問記[1977(昭和52)年3月]

 尾小屋鉄道を最後に訪問したのは、1977(昭和52)年3月19日、尾小屋鉄道の最終日でした。
尾小屋鉄道5−@

吉竹 1977(昭和52).3.19

この写真の直前に北陸鉄道小松線の写真がありますので、先回(3年前の4回目)と同じ高山線夜行列車ルートで早朝に北陸鉄道小松線に乗り、若杉から尾小屋鉄道の吉竹まで歩いたと思われます。

尾小屋鉄道最終日のため、派手な飾り付けをしていました。編成を見ると機関車+ディーゼルカー+客車2です。
この日は、さすがに人がいっぱいで、列車ダイヤも相当乱れていました。
断片的な記憶しか残っていませんので、写真から当時の状況を推測して綴っていきます。
尾小屋鉄道5−A

倉谷口 1977(S52).3.19

大雪の後遺症で、倉谷口〜尾小屋が不通になっていました。最終日にも結局復旧できず、倉谷口が終点で折り返しました。

雪がたくさん積もっている割に暖かい日だったような気がします。そのため積もった雪からモヤが出ています。
尾小屋鉄道5−B

金平 1977(S52).3.19

金平駅へ到着するキハ3号+客車です。
モヤがかかったような感じで、それなりのムードがありました。
 
尾小屋鉄道5−C

波佐羅〜観音下(かながそ) 1977(S52).3.19

観音下の石切場の近くを客車列車が走ります。

地図で調べると、この石切場は観音下駅の少し波佐羅寄りの、線路の東側にありました。
この写真の右側が観音下駅ということになります。
尾小屋鉄道5−D

波佐羅〜観音下 1977(S52).3.19

上の写真Cの続きです。
列車は観音下の町並みに入りました。まもなく観音下(かながそ)駅です。
尾小屋鉄道5−E

塩原〜波佐羅 1977(S52).3.19

モヤで霞んだ大カーブに列車がやってきました。
尾小屋鉄道5−F

新小松 1977(S52).3.19

最終日の新小松駅はかなり賑わっていました。
尾小屋鉄道5−G

新小松 1977(S52).3.19

車内も満員です。
尾小屋鉄道5−H

新小松 1977(S52).3.20

廃止翌日の新小松の車庫です。
役目を終えたディーゼルカーと客車の横には、代わりに登場した、飾り付きのバスがいました。
前日は賑わったこの辺りも、この日は誰もいませんでした。
 
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