津島軽便堂写真館

のと鉄道   国鉄能登線と七尾線(一部)を引き継いだ三セクです。

のと鉄道は、元国鉄の赤字ローカル線の能登線・七尾線を引き継いだ第三セクターの会社です。
国鉄民営化1年後の1988(S63)年3月に能登線・穴水~蛸島間61.0kmを引き継いで開業、1991(H3)年9月には七尾線・七尾~輪島間53.5kmを運行開始し、一時は能登半島に114.5kmの路線網を有していましたが、
2001(H13).4.1に穴水~輪島間を廃止2005(H17).4.1に穴水~蛸島間を廃止
現在は七尾~穴水間33.1kmの鉄道になりました。
詳細は→Wiki のと鉄道
参照
のと鉄道が、輪島や蛸島まで走っていた頃の写真をご覧ください。

←JTB時刻表1993(H5)年7月号に加筆
のと鉄道① Nさん撮影

 輪島 1981(S56).8.23

国鉄時代の七尾線の終点・輪島駅です。

C56が貨物輸送に活躍した七尾線ですが、1974(昭和49)年に無煙化、76(昭和51)年に輪島駅の貨物営業を終了していました。
のと鉄道② Nさん撮影

 輪島 1981(S56).8.23

国鉄末期のたらこ色気動車が停車中です。

Nさんは国鉄乗りつぶしのため、輪島駅を訪問しました。

輪島は能登半島北部の中心都市で、朝市で有名です。私も何度か訪問しましたが、車か観光バスでした。一般の観光客も同様で、結局お客が少なくて鉄道は廃止されてしまいました。
のと鉄道③ 輪島 1981(S56).8.23 Nさん撮影

輪島駅の駅舎です。
のと鉄道④ 穴水 1981(S56).8.23 Nさん撮影

七尾線と能登線が分岐する国鉄時代の穴水駅です。
急行能登路が到着しました。

現在、ここから先の輪島方面と珠洲・蛸島方面は廃止され、穴水駅がのと鉄道の終点になりました。
のと鉄道⑤

和倉温泉 1997(H9).2.25

のと鉄道NT100形気動車とJRの特急サンダーバードが和倉温泉駅で並びました。

七尾線津幡~和倉温泉間の電化に伴い、和倉温泉~輪島間の線路はJR西日本のまま運営がのと鉄道へ移管されました。その手前の七尾~和倉温泉間も、普通列車(七尾~穴水方面へ直通)はのと鉄道が運行し、特急列車はJRが運行するという変則区間です。
のと鉄道⑥

 穴水 1997(H9).2.25

のと鉄道の拠点駅・穴水です。
輪島方面と能登線珠洲・蛸島方面の分岐駅で車庫もあります。

NT100形気動車がゴロゴロしていました。この当時、NT100形は26両もいました。左は2両しかいなかったパノラマ気動車NT800形です。
のと鉄道⑦

 甲 1997(H9).2.25

能登線の甲駅に到着します。
側線にはオユ10形郵便車が保存されていました。

廃線前年の2004(H16)年に、オユ10形は能登中島駅に移され、現在も保存されているそうです。
のと鉄道⑧

 宇出津 1997(H9).2.25

能登線中間の主要駅・宇出津で交換です。

宇出津には、のと鉄道の本社があり、そこへ訪問するために私は初めて のと鉄道に乗車しました。

当時、私が在籍していた名鉄住商工業(株)は、中部地方の私鉄・第三セクターの仕事を一手に引き受け、のと鉄道の台車・部品整備も行っていました。
のと鉄道⑨

 珠洲 1997(H9).2.25

能登半島東部の拠点・珠洲駅です。
車庫もありました。

約半数の列車は、終点の蛸島まで行かず、この珠洲駅で折り返しました。
のと鉄道⑩

 珠洲 1997(H9).2.25

夕暮れの珠洲駅です。
上の写真⑨の逆方向(飯田方)を見ました。
向こうに見える気動車の奧にも車庫がありました。
のと鉄道⑪

 珠洲 1997(H9).2.25

横から見たNT100形です。

この写真を撮ったあと、珠洲市内の民宿へ泊まりました。あんこう鍋が美味しかったです!
のと鉄道⑫

 飯田 1997(H9).2.26

珠洲駅の隣の飯田駅です。
山の中の駅のようなイメージですが、珠洲市の中心部の最寄り駅でした。

珠洲市内で1泊した後、宿の最寄りの飯田駅で列車を待ちました。

金沢行きに乗るのですが、少し早めに駅へ着き、珠洲行きの列車が到着するのを撮りました。
のと鉄道⑬

 飯田 1997(H9).2.26

上の写真⑫の続きで、飯田を出発し、珠洲に向かう列車です。
のと鉄道⑭

 飯田 1997(H9).2.26

珠洲方面から、金沢行きの急行が白い煙を出して到着します。
JRから乗り入れているキハ58系でした。

私が、のと鉄道で撮った最後の写真です・・・
のと鉄道⑮ Nさん撮影

 七尾 2001(H13).2.24

七尾線用に登場した415系800番代です。直流用の113系を、交直両用に改造されました。
電化区間は和倉温泉までですが、普通電車は七尾折り返しです。

七尾から先の普通列車は、のと鉄道の気動車で運行されています。
のと鉄道⑯ Nさん撮影

 穴水 2001(H13).2.24

穴水駅に停車中の輪島行き列車です。
穴水~輪島間は2001(H13).4.1に廃止されました。
その約1ヶ月前にNさんは廃止区間の乗車と撮影のため訪問しました。
のと鉄道⑰ Nさん撮影

穴水~能登三井 2001(H13).2.24

穴水から輪島へ抜ける山越え区間です。(写真右が穴水側です)
穴水~能登三井間は駅間11.0kmもあり、その中間付近に峠がありました(この写真左方向)。


この付近で撮影された蒸機の写真は
はなぶさ・七尾線C56
 参照
 駅長様の素晴らしい写真があります
のと鉄道⑱ Nさん撮影

穴水~能登三井 2001(H13).2.24

残雪の峠を上り、輪島に向かう列車です。

この写真を撮ったあと、Nさんは輪島に泊まりました。
のと鉄道⑲ Nさん撮影

能登三井 2001(H13).2.25

元交換駅の名残があった能登三井駅です。

輪島から乗った列車で、停車時間中に降りて撮りました。
のと鉄道⑳ Nさん撮影

 穴水 2001(H13).2.25

能登線分岐駅の穴水です。
朝日を浴びたNT100形気動車です。
のと鉄道(21) Nさん撮影

 穴水 2001(H13).2.25

穴水駅の跨線橋から輪島方面を眺めました。
この写真を撮ったあと、Nさんは能登線に乗り換えて波並に向かいました。
のと鉄道(22) Nさん撮影

波並~藤波 2001(H13).2.25

海沿いを走る能登線の名所です。

この入り江の奥の建物の向こう側に波並の駅がありました
のと鉄道(23) Nさん撮影

 穴水 2004(H16).6.19

輪島方面は3年前に廃止されましたが、能登線の珠洲・蛸島方面はまだ残っていました。
それも、後1年足らずで廃止になる前にNさんは のと鉄道を訪問しました。
ここから能登線終点の蛸島に向かいました。
のと鉄道(24) Nさん撮影

 蛸島 2004(H16).6.19

能登線終点の蛸島です。
折り返しの合間にNT100形3連を撮りました。

この写真を撮ったあと、恋路に向かい1泊しました。
のと鉄道(25) Nさん撮影

恋路付近 2004(H16).6.20

Nさんは恋路で1泊した後、朝の列車を撮りました。
この後、列車に乗り波並に向かいました。
のと鉄道(26) Nさん撮影

 波並 2004(H16).6.20

波並で降りて、ホームから七尾に向かう列車を撮りました。
のと鉄道(27) Nさん撮影

 波並 2004(H16).6.20

再び能登線の名所に立ちました。
朝の光を浴びて走るNT100形単行です。
のと鉄道(28) Nさん撮影

 穴水 2004(H16).6.20

のと鉄道最後の写真です。
NT100形がたくさんいます。

のと鉄道発足時(1988/S63年)に13両導入し、輪島までの路線を移管された時に増備して、26両まで増えた気動車です。

2005(H17)年に穴水から先が全廃され、その年にNT100形も全て引退しましたが、穴水駅には今も保存されているようです。
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参考図書: 「JTB時刻表 1993.7月号」 日本交通公社発行