津島軽便堂写真館

南紀のケーブルカー   新宮紀伊勝浦にあったケーブルカー

友人(Toさん)がケーブルカーを研究され、私が知らなかった資料を収集、見せていただいたので、この機会に写真を追加して『南紀のケーブルカー』をリニューアルしました。2026.6.16
新宮市内の城跡にケーブルカーが走っていました(左図赤線)。丹鶴〜二の丸 0.1km軌間762mm
日本鉄道旅行地図帳・関西1」によれば、1954(S29).8.21新宮観光により開業→1964.10近鉄観光→1976.8和歌山観光と経営が移り、1981(S56).10.1運行休止、1994(H6).1.25に廃止されました。
この路線は、当時の私鉄要覧にも記載されており、地方鉄道法(今は鉄道事業法に統合)で営業する鋼索鉄道でした。当時私は私鉄乗りつぶし派でしたので乗りに行きました。

以下は鉄道図書刊行会1981年発行『日本民鉄電車特集集成 [ 2分冊 ]』の『ケーブルカー物語[続]』中川浩一著より抜粋です
『新宮観光と鞍馬寺のケーブルカーが、"簡易" といわれる理由はどこにあるのでしょうか。一般にケーブルカーでは、通常時には、山頂駅構内に設置した巻上機の滑車の回転を制御して運転され、非常時には 車両に取り付けられた非常制動装置がレールを把握或いはレールに密着し、車両の進行を停止させる方式が採用されています。これに対して、簡易ケーブルカーの車両には、制動装置がありません。非常の措置としては、巻上機につけられた鋼索(曳索)のほかに保安索とよばれるもう1本の鋼索があり、これを制動機が把握して運転が停 止されるのです。このような方式を用いると、車両の構造は非常に簡便になり、特別な台車は必要でなく走り装置だけでよいことになります。新宮観光の「丹頂」号が自重僅かに1,000kg(定員 10 名)でまとまった秘密はここにあるわけです。』

←国土地理院の航空写真(1976(S51)年11月撮影)にケーブルカーの路線などを追記
新宮ケーブルカー@

丹鶴〜二の丸 1976(S51).1.11

写真は新宮ケーブルの全景です。下の駅が丹鶴駅です。駅名標が読めます。上の二の丸駅まで歩いても楽に登れそうな感じですが…
駅務室窓口下に時刻表が掲出されています。拡大して読むと、
「二の丸リフトカー発車時刻表」と書いてあります。
簡易ケーブルカー=リフトカーと呼ばれていたようです。
時刻表を見ると、1時間あたり朝6本、昼4本、夕5本が記載されていました。
新宮ケーブルカーAB

 丹鶴 1976(S51).1.11

丹鶴駅を出発していくケーブルカーです。 
超小型車両(定員10人)1両だけの簡易ケーブルカーです。
一般的なケーブルカーはロープ(鋼索)の両端に車両を固定し、山上の電動機で「つるべ式」に上下させて、中間で離合する方式です。
簡易ケーブルカー(リフトカー)はエレベーターと同様、ロープの一端に車両、もう一端に釣り合い錘を付けています。では釣り合い錘はどこにあるかというと、車両が走行するレールの下に釣り合い錘が走行するレールが敷設されています。
架線が4本ありますが、何のためかよくわかりません…



なお、最初の簡易ケーブルカー(リフトカー)の新宮観光が開業したのは1954(昭和29)8月、その2年半後の1957(昭和32)年1月に鞍馬寺が開業しました。設計・施工は共に安全索道(ロープウェイのトップメーカー)で、ほぼ同じ仕様(軌間762mm)で製作されました。
鞍馬寺は現在も営業中ですが、設備が一新され、ゴムタイヤ式のケーブルカーになっています。
新宮ケーブルカーC

丹鶴〜二の丸 1976(S51).1.11

山上側・二の丸に向かう車両が中間点を過ぎました。
車両の手前のレール下に釣り合い錘が写っています。

ケーブルカーの線路の左にも得体の知れない線路が写っていますが、何のためにあったかよくわかりません。
新宮ケーブルカーD

 二の丸 1976(S51).1.11

二の丸駅を見上げました。
駅の隣が新宮城(丹鶴城と呼ばれた)跡の石垣です。
新宮ケーブルカーE

 丹鶴 1976(S51).1.11

丹鶴駅を上から見たところです。
車両が山上側の二の丸駅に停車中のため、釣り合い錘は一番下にあります。
ケーブルカーの横の線路は荷物運搬用のようです。
新宮ケーブルF railbusさん撮影

丹鶴〜二の丸 1976(S51).6.18

客車から見た釣り合い錘です。
上側の線路が客車用の軌間762mm
下の線路が釣り合い錘用で半分程度の軌間です。
車両の上方なのでロープが2本(曳索・保安索)があります。


railbusさんも新宮ケーブル(近鉄観光)を訪問し乗車しました。
railbusさんのホームページは↓
新宮ケーブルG railbusさん撮影

 二の丸 1976(S51).6.18

二の丸に停車中の客車です。
南紀のケーブルカーをもう1つ

紀伊勝浦の「ホテル浦島」の中にケーブルカーが走っていました。
赤島〜狼煙山0.1km
軌間1067mm
日本鉄道旅行地図帳・関西1」によれば、1961(S36).8.1浦島温泉により開業→1962浦島観光に改称、1976(S51).4.1に廃止されました。
このケーブルは、旅館の中にあったにもかかわらず、新宮と同じ地方鉄道法の鋼索鉄道で、車両1両だけで運行していました。

←国土地理院の航空写真(1976(S51)年11月撮影)にケーブルカーの路線などを追記
紀伊勝浦ケーブルカー@

狼煙山(のろしやま) 1976(S51).1.11

私鉄乗りつぶしのため、紀伊勝浦駅近くの港から船に乗り、ホテル浦島に渡り、ホテルの中をケーブル乗り場を探して歩き、乗りました。乗っただけで宿泊はしていません…
浦島のケーブルカーは、この写真1枚撮っただけです。
山上側の狼煙山駅です。

この写真を撮ってから3ヶ月も経たず廃止になりました。
もっと写真を撮れば良かったと反省しています。
紀伊勝浦ケーブルカーA

ホテル浦島の公式HPより
HPの中に「ホテル浦島の歴史」が記載され、ケーブルカーの写真もありました。

ホテル浦島は1957年4月に旅館「忘帰洞」として開業、1961年8月に狼煙山ケーブル開通。1962年旅館名「浦島」、1964年「ホテル浦島」と改称。1976年4月に狼煙山ケーブル廃止です。

写真右側にケーブルカーの路線が写っています。
開業直後(1961年)頃の写真と思われます。
紀伊勝浦ケーブルカーB

ホテル浦島の公式HPより

立派なホテル浦島の本館が建築され、写真右端にケーブルカーの路線が少しだけ写っています。

ケーブルカー廃線跡には、「スペースウォーカー」という長大なエスカレーターが設置されました。
 南紀の国鉄紀勢線
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参考図書:「日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1」 新潮社2008(H20).12.18発行
     「日本民鉄電車特集集成 第2分冊」 鉄道図書刊行会1981年発行
     「昭和47年度 私鉄要覧」 運輸省鉄道監督局監修 鉄道図書刊行会1972年発行