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長野電鉄② Nさん撮影
信州中野 1971(S46).8.10
この頁の一番古い写真です。
左の電車は、1966(S41)年に通勤通学用に製造された0系電車で、OSカー(Officemen & Students Car)と呼ばれました。当時、非常に斬新な正面デザインで人気がありました。地方の私鉄が、東京に負けない格好いい電車を作ったと感動しました。
右の電車は、1926(大正15)年製のモハ100形102です。長野電鉄の前身・長野電気鉄道が開業(権堂~須坂)用に製造した電車ということです。 |
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長野電鉄③ Nさん撮影
須坂 1974(S49).10.18
国鉄の169系直通急行「志賀1号」が須坂を出発、湯田中に向かいました。
(この日はNさんと一緒に朝上田交通別所線で写真を撮り、上田から湯田中行きの「志賀1号」に乗りました。屋代~須坂間を乗り潰すのが目的で、須坂で下車し、次の長野行きに乗り換えました。)
169系の右に、青い電気機関車が待機しています。急行の出発を待って貨車の入換を開始しました。(下の写真)
写真をよく見ると、ホームに地下道入口が見えます。当時の須坂駅のホーム間は地下道でした。 |
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長野電鉄④
須坂 1974(S49).10.18
上の写真③の直後です。
ED5100形5101が入換を開始しました。駅員が貨車にぶら下がり、駅構内で突放入換を始めるところです。
このED5100形は、元・定山渓鉄道の50t機関車で、2両が1957(昭和32)年に製造され、同鉄道廃止(1969/昭和44年)に伴い、2両とも長野電鉄へ譲渡。1979(昭和54)年に長野電鉄の貨物営業廃止に伴い、越後交通長岡線(当時は貨物営業のみ)へ譲渡され1995(平成7)年の廃線まで使用されました。 |
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長野電鉄⑤
須坂 1974(S49).10.18
上の写真④の反対方向(屋代方)を見ました。貨車入換中の風景です。
構内には腕木信号機もありました。この4番線ホームの屋代方面の出発信号機でしょうか? |
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長野電鉄⑥
須坂 1974(S49).10.18
3番線ホームから長野方を見ました。
(上の写真⑤と同じホームの右側)
車庫の左の線路(右へカーブ)が長野に向かう本線です。
車庫には、クハ1550形、モハ1000形、モハ1100形などが停まっていました。 |
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長野電鉄⑦ Nさん撮影
須坂 1974(S49).10.18
湯田中方面から長野行きの2000系特急が3番線に到着します。
左(2番線)に停車中の電車は1926(大正15)年製のモハニ130形132です。
急行「志賀」でこの駅について、特急「奥志賀」に乗って長野へ戻り、特急「しなの」で帰りました。 |
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長野電鉄⑧
木島 1977(S52).2.16
長野電鉄の北端・木島駅です。
出発を待つモハニ230形231です。
野沢温泉でスキーをした後、帰り道で撮りました。 |
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長野電鉄⑨
信州中野 1977(S52).2.16
長野行きの特急が出発しました。
2000系の最後の増備車で、4本目のこの2000系(2007-2008編成)のみスカートが付いていました。 |
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長野電鉄⑩
信州中野 1977(S52).2.16
木島行きの3連が停まっていました。
クハ1550形1552は1953(昭和28)年に鋼体化改造された車体です。 |
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長野電鉄⑪
信州中野 1977(S52).2.16
モハニ530形532です。
上の写真⑦の130形と同じ車体ですが、こちらは電気ブレーキを装備した山線用の電車です。 |
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長野電鉄⑫
湯田中 1977(S52).2.16
終点の湯田中へ到着した2000系特急です。
湯田中・渋温泉の玄関口で、志賀高原の入口でした。
↓現在の湯田中駅 2019(R1).6.28
1000系「ゆけむり」が出発。
左の写真と同じ方向から見た写真です。線路は1線に減らされ、旧1番ホームは使われていません。 |
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長野電鉄⑬
湯田中 1977(S52).2.16
湯田中の信州中野方です。
上の写真⑫の反対側です。
湯田中駅は駅のすぐ手前まで40‰急勾配で、駅のすぐ向こう側に踏切があったので、ホームの有効長が3両分確保できず、3両編成の場合はホームを約1両分通り過ぎ、ポイントを切換えて側線にスイッチバックしホームに到着しました。
2006(平成18)年に駅の改修が行われ、2線を1線に減らし、スイッチバックを解消しました。
これは2階運転台の小田急10000系(HiSE)→1000系「ゆけむり」を導入するためと言われています。
(上の写真⑫参照) |
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長野電鉄⑭
須坂 1977(S52).2.16
須坂駅の全景です。
上の写真③~⑦と見比べると、だいぶ近代化された姿です。跨線橋もできました。
Wikipediaで調べると、1975(昭和50)年12月に駅舎全面改築と記載されていますので、それから約1年後の駅風景です。
昔も今も長野電鉄の拠点駅です。 |
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長野電鉄⑮
須坂 1977(S52).2.16
手前からクハ1151-モハ1102-モハ1101の3連です。
木造車の機器を再利用し、全金属製の車体を組み合わせた車両で1961(昭和36)年に製造されました。
3両とも1979(昭和54)年に廃車となり、クハ1151-モハ1101は豊橋鉄道へ、モハ1102は伊予鉄道へ譲渡されました。 |
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長野電鉄⑯
須坂 1977(S52).2.16
左端のモハ2611は、元東急の5000系で長野電鉄へ譲渡された直後の姿です。
長野~善光寺下間の地下化に備え、東急の5000系「青ガエル」を1977(昭和52)年から2連10本、3連3本の計29両を導入し、2500系として使用しました。
元東急車の右隣はクハ1050形、その右はモハ1500形で、共に戦後間もない頃に製造された電車です。 |
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長野電鉄⑰
須坂 1977(S52).2.16
OSカーと呼ばれた0系です。
1966(S41)年に2連×2本製造された4扉の通勤通学用車両で、この当時の最新鋭車両でした。
1997(平成9)年まで活躍しました。 |
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長野電鉄⑱
須坂 1977(S52).2.16
クハ450形451です。連結相手はモハ400形401です。
共に1926(大正15)年製の元東武の電車で、戦後間もなく長野電鉄へ譲渡されました。
右隣は電気機関車ED5000形5001です。 |
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長野電鉄⑲
須坂 1977(S52).2.16
1926(大正15)年製のモハニ130形132です。
一番手前の扉が荷物室用の扉です。 |
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長野電鉄⑳ Nさん撮影
長野 1978(S53).9.27
長野駅の地上ホームで並んだ2000系と、元・東急の2500系電車(右)です。
2500系2600番台は3連です。
長野~善光寺下間は1981(昭和56)年に地下化され、長野駅は地下駅になりました。 |
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長野電鉄(21) Nさん撮影
湯田中 1978(S53).9.27
2000系2006(2005編成)の特急が湯田中を出発しました。すぐに40‰の急勾配を下ります。
先頭1両分のホームは側線にあるため、一旦バックし、ポイントを切換えて出発しました。
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長野電鉄(22) Nさん撮影
信州中野 1978(S53).9.27
1番線にはOSカーの木島行き、2番線には元東急2500系の長野行き、3番線の2000系は湯田中行きでしょうか。 |
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長野電鉄(23) Nさん撮影
都住~桜沢 1978(S53).9.27
有名な桜沢の大カーブを走行する2500系です。 |
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長野電鉄(24) Nさん撮影
都住~桜沢 1978(S53).9.27
有名な桜沢の大カーブを走行する2000系特急です。
スカート付きなので2007-2008編成です。 |
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長野電鉄(25)
屋代 1982(S57).8.3
国鉄との接続駅屋代で、モハ1000系1003が出発待ちです。
屋代~須坂間は河東鉄道により1922(大正11)年に開業した長野電鉄最古の路線でしたが、2012(平成24)年に廃止されました。
この電車に乗り須坂に向かいました。 |
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長野電鉄(26)
信濃川田 1982(S57).8.3
この駅で列車交換のため、しばらく停車したので、降りて撮りました。 |
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長野電鉄(27)
朝陽 2011(H23).2.5
2000系が朝陽駅に到着します。
長野~朝陽間は複線で、この駅から須坂方面は単線になります。
上記(~26)写真から時代は一気に過ぎ去り、28年以上経過しました。
2006(平成18)年には2000系特急の後継車として小田急10000系(HiSE)4連2本が1000系「ゆけむり」として登場。
2011(平成23)年にはJR東253系(成田エクスプレス)3連2本を導入、2100系「スノーモンキー」として2月下旬から運転開始されることになり、2000系の引退が迫ってきました。
引退直前の撮影会にお誘いがあり、喜び勇んで参加しました。
引退が迫った頃の2000系は、運用が公表されていたので、2000系を中心に撮りました。 |
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長野電鉄(28)
須坂 2011(H23).2.5
須坂駅で並んだ2000系です。4編成製造された2000系ですが、2編成だけ残っていました。
右側がA編成と呼ばれた1957(S32)年製の最初の2001編成で、登場時の栗色+白帯に復活塗装されていました。
左側がD編成と呼ばれた1964(S39)年製の最後の2007編成です。この編成だけスカート付きです。2000系にはこの色が一番似合いました。
A編成は、2100系「スノーモンキー」の運用開始に伴い、約1ヶ月後に引退するので、先頭には【信濃路を走って54年「ありがとう」「おつかれさま」さようならA編成】と書いたヘッドマークが付いていました。
D編成も特急運用を外れ、イベント列車などに使用された後、1年後に引退しました。 |
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長野電鉄(29)
須坂 2011(H23).2.5
中央のステンレス車3500系は、元・東京の営団地下鉄3000系で、その先頭形状から「マッコウクジラ」の愛称がありました。1992(H5)年から約5年間で、2連14本、3連3本の計37両が導入され、長野電鉄の主力になりました。
左奥の8500系は、元・東急の8500系で、2005(H17)年に3連2本、翌年も3連2本、2009(H21)年に3連2本と、計18両が導入され、3500系を置き換えつつあります。
右奥の電車は新OSカーと呼ばれた10系で1980(S55)年に2連1本だけ製造されました。2003(平成15)年に廃車となったのですが須坂に長らく留置され、2017(H29)年にお別れ会をして解体されたそうです。 |
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長野電鉄(30)
信濃竹原~夜間瀬 2011(H23).2.6
長野電鉄一番のお立ち台・夜間瀬川橋梁です。
堤防上には大勢のファンが集結しました。 |
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長野電鉄(31)
信濃竹原~夜間瀬 2011(H23).2.6
夜間瀬川を渡り信濃竹原に向かう特急「ゆけむり」です。
元・小田急のHiSE車で、2006(平成18)年に長野電鉄へ4連2本が譲渡されました。 |
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長野電鉄(32)
夜間瀬 2011(H23).2.6
夜間瀬駅の横で2000系特急を撮りました。
背景は高井富士と呼ばれる高社山で全体の色の感じが良く、私のお気に入り写真です。 |
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長野電鉄(33)
信濃竹原~夜間瀬 2011(H23).2.6
2000系の最後の写真は、夜間瀬川橋梁+高社山です。
この電車の色は、雪景色にも新緑の風景にも似合う素晴らしい色でした。
2000系は、このD編成の引退で全廃され、現在、小布施駅の「ながでん電車の広場」に保存されています。↓
↑小布施 2019(R1).6.29 |
津島軽便堂 |
2020(R2).1.7up |