宮崎交通鉄道部 コッペル製の蒸機や蓄電池電車が走った鉄道
宮崎交通の鉄道線は、南宮崎~内海(うちうみ)間20.1kmで、1962(昭和37)年7月1日に廃止になりました。しかし、南宮崎~青島間の線路用地はそのまま国鉄に買収され、青島以南は新線を建設し、翌1963年5月に国鉄日南線として開通しました。 この路線の歴史は古く、1913(大正2)年に宮崎軽便鉄道が赤江(→大淀→南宮崎)~内海間で開業、1920年に宮崎鉄道へ社名変更、1943(昭和18)年に戦時統合で宮崎交通となった歴史があります。開業時は軽便鉄道を名乗っていましたが、軌間は最初から国鉄と同じ1067mmでした。しかし、線路が貧弱で国鉄貨車の乗り入れは長らくできなかったということです。 この鉄道の最大の特徴は、1950(昭和25)年に蓄電池動車を3両導入、電車?運転を始めたことです。翌年には蓄電池機関車を2両導入し一部列車を除き電化?を行いました。今から思えば、時代の最先端の鉄道だったわけです・・・!? 廃止前年に、村樫四郎さんが訪問され、そのときの貴重な写真を提供していただきました。ご覧ください。 |
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国土地理院1/20万「宮崎」S46.7.30発行より 宮崎交通の線路跡を赤くなぞりました。青島~内海間は廃線跡を記入しました。 |
宮崎交通① 南宮崎 1961(S36).4 村樫さん撮影 正面から見た6号機です。 |
宮崎交通② 南宮崎 1961(S36).4 村樫さん撮影 背面から見た4号機です。 |
宮崎交通③ 村樫さん撮影 南宮崎 1961(S36).4 右にいるのがドイツ・コッペル製の機関車4号です。 左のチハ101号は、正面から見ればキハ04(41000)形気動車そっくりですが、それより車体長を短くしたキハ40000形が種車です。 30両製造され、戦後、私鉄7社に10両が払い下げられましたが、宮崎交通へ1949(昭和24)年に払い下げられた3両は、なんと!蓄電池動車に改造されました。エンジンの代わりにモーターを吊るし、蓄電池(バッテリー)から電力を供給して動きました。 アンテナは列車無線用(当時そんなものはなかった!)ではなく、観光客向けに車内でラジオ放送するための受信アンテナだったそうです。 |
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宮崎交通④ 村樫さん撮影 南宮崎 1961(S36).4 蒸気機関車6号です。 1925(大正14)年に日本車輌で製造されたC形機関車です。元・篠山鉄道の機関車でした。 |
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宮崎交通⑤ 村樫さん撮影 青島→こどものくに 1961(S36).8 これが電車!?と言われてもピンときませんねえ・・・ (最近のテレビを見ていると、気動車のことを平気で電車と呼んでいますので、若い人には電車で通じるのかもしれませんが・・・) 蓄電池電車チハ100形が青島付近を走ります。 時代を先取りしすぎた蓄電池電車です。この次に日本で蓄電池電車が営業運転を行ったのは50年以上後の、2014(平成26)年の烏山線でした。 |
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宮崎交通⑥ 村樫さん撮影 青島 1961(S36).8 青島駅に停車するコッペル製10t蒸気機関車4号です。 遠くの方には蓄電池電車チハ100形が停まっています。 青島は宮崎交通の観光中心駅で、南宮崎~青島間は列車本数が多く、その先の青島~内海間は完全なローカル線でした。 また、南宮崎~青島間には国鉄の団体客車列車も乗り入れたということです。 |
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宮崎交通⑦ 村樫さん撮影 青島 1961(S36).8 給水塔の前の4号機関車を横から見ました。 軽便鉄道らしい機関車です。 私は、宮崎交通の写真を見て、軌間762mmの軽便鉄道だと思い込んでいましたが、大間違いで、最初から1067mmの鉄道でした・・・ |
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宮崎交通⑧ 村樫さん撮影 青島 1961(S36).8 オープンデッキの2軸客車フハ5・4(手前から)です。 1913(大正2)年の開業から、1962(昭和37)年の廃止まで使われました。 その向こうに貨車(ワフ)、4号機関車です。 車両形式などは、「RM LIBRARY69 宮崎交通鉄道部」を参考にしています。 |
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宮崎交通⑨ 村樫さん撮影 青島 1961(S36).8 海水浴帰りのお客を乗せて、青島を出発した混合列車です。良い感じですね! 手前の客車は、コハ301・302で、1951(昭和26)年に蓄電池機関車と同時に竣工しました。 |
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宮崎交通⑩ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).8 日南海岸を代表する景勝地・堀切峠付近からの景観です。 鬼の洗濯板のすぐ横を蒸気機関車が走る、夢のような風景です。 |
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宮崎交通⑪ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).8 上の写真⑩の続きです。 青島へ向かう列車が近づいてきました。 |
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宮崎交通⑫ 村樫さん撮影 白浜→内海 1961(S36).8 鬼の洗濯板の上から蒸機列車を見ました。 |
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宮崎交通⑬ 村樫さん撮影 白浜→内海 1961(S36).8 海岸から見た、内海へ向かう混合列車です。 逆向きの蒸機4号-フハ5-フハ4-ワフ107の編成でした。 |
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宮崎交通⑭ 村樫さん撮影 白浜→内海 1961(S36).8 堀切峠付近から俯瞰した、内海に向かう混合列車です。 上の写真13と比べると、蒸機4号の次位に、赤い屋根の客車が増結されています。この客車は、中央に扉があるので、ハ13号と思われます。 武州鉄道キハ15を譲り受け、ジハ3として使われ、客車化された車両です。 |
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宮崎交通⑮ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).8 内海から青島へ向かう混合列車です。 最後尾にカラフルなハ13号を連結していました。 |
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宮崎交通⑯ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).8 遠ざかっていく混合列車です。 鬼の洗濯板と太平洋を望む素晴らしい景色ですね! |
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宮崎交通⑰ 村樫さん撮影 白浜→内海 1961(S36).4 凸型の蓄電池機関車が混合列車を牽引して内海に向かいました。 蓄電池機関車は、青島~内海間へは滅多に入らなかったということで、貴重な画像です。 |
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宮崎交通⑱ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).4 内海から戻ってくる列車です。 機関車の後ろに黒い貨車が増結されています。 右上が堀切峠のフェニックス並木です。 |
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宮崎交通⑲⑳ 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).4 混合列車が、鬼の洗濯板に接近しました。 拡大して先頭から順に車号を読むと、 凸型機関車=ED 3 黒い貨車=ワム13301 ツートン貨車=不明 右の客車=ホハ1 左の客車=ホハ2 凸型機関車は、1951(昭和26)年に2両製造された蓄電池機関車です。鉱山などには小型のバッテリーロコがありふれていましたが、普通の鉄道用の大型ロコは希少価値がありました。 次の大きい黒い貨車は、国鉄から乗り入れてきた木造有蓋車ワム3500形と思われます。 小さいツートン貨車は、社有貨車ワフ102と思われます。 後ろの客車2両は、開業2年後の1915(大正4)年に製造されたボギー車です。 |
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宮崎交通(21) 村樫さん撮影 内海→白浜 1961(S36).4 海沿いを走る線路です。 村樫四郎さんが撮った宮崎交通の最後の写真です。 残念ながら、終点内海の写真がありません・・・ 村樫さんは、内海駅前の商人宿に泊まりながら、駅にも寄らず堀切峠の撮影場所へ行ってしまったことを悔やんでいます。 |
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津島軽便堂 | 2018(H30).11.26up |
参考図書:「RM LIBRARY 69 宮崎交通鉄道部」田尻弘行著 ネコパブリッシング 2005(H17).5.1発行
「新・消えた轍-10九州・四国」ローカル私鉄廃線跡探訪 寺田裕一著 ネコパブリッシング 2010(H22).7.30発行
「私鉄車両めぐり特輯-第1輯」 鉄道図書刊行会 1977(S52).7.1発行
レイルNo.26「私鉄紀行/南の空、小さな列車(下)」湯口 徹著 プレスアイゼンバーン 1989(H1).11.30発行