津島軽便堂写真館

三木鉄道   元・国鉄三木線→LEカー2両だけで開業した第三セクター鉄道

三木鉄道は、加古川線の厄神駅から三木駅まで6.6kmの鉄道でした。(左図参照)
元は国鉄三木線でしたが、その前史もあり、1916~17(大正5~6)年に厄神~三木間が播州鉄道により開通しました。その後、播但鉄道に譲渡された後、1943(昭和18)年に国有化されました。
特定地方交通線第1次廃止対象となり、1985(昭和60)年4月1日に第三セクター三木鉄道へ転換されました。
しかし、それから23年後の2008(平成20)年4月1日に全線廃止されました。
私は三セク転換直後の1985(S60).4.15に訪問しましたので、その写真をご覧ください。

国土地理院1/20万「姫路」S49.6.30発行より
←三木鉄道① 厄神 1985(S60).4.15

三木鉄道起点の厄神駅です。私が乗ってきた列車が出発しました。タブレットを抱えた駅長が見送ります。
↓②ホーム上にはリーバー転轍機が並んでいました。
三木鉄道③

 厄神 1985(S60).4.15

駅の跨線橋から加古川方面を見ました。1番線に西脇方面行きが到着します。
一番左の3番線が三木線のホームで、国鉄時代は加古川へ直通列車もありましたが、第三セクター化で直通運転は廃止されました。
転換2週間後のため、線路はそのまま残っています。。
三木鉄道④

 厄神 1985(S60).4.15

昔懐かしい跨線橋です。
良い感じですね!
手前の3番線に三木鉄道のLEカーが停車中です。
三木鉄道⑤

 厄神 1985(S60).4.15

三木鉄道の2軸LEカーをアップで撮りました。
ミキ180形101です。3セク化により富士重工の2軸LEカー(長さ12m)を2両導入。(運転は1両、予備1両)

三木鉄道「祝」開業のヘッドマークを付けていました。
LEカーの加古川寄りで、線路を砂利で覆い車止め代わりにしていました。
三木鉄道⑥

 厄神 1985(S60).4.15

ホーム上にいたら、2番線に加古川行きが到着しました。
三木鉄道⑦

 国包 1985(S60).4.15

雑誌で、無人駅用カプセル駅舎発祥の駅と書かれたのを読んだ記憶があります。

厄神からこの駅まで歩いて、下の写真⑧を撮った後に振り向き、厄神に向けて出発するLEカーの後ろ姿を撮りました。
三木鉄道⑧

国包~石野 1985(S60).4.15

厄神行きのLEカーです。

走行写真を撮ろうと、厄神からここまで歩きましたが、良い場所を見つけられず、ここで撮りました。
←三木鉄道⑨ 宗佐~下石野 1994(H6).1.16  Nさん撮影

開業から9年目です。 Nさんが訪問しました。

LEカーが下石野駅に停車中です。
三木鉄道転換1年後、国包~石野間に、宗佐・下石野駅ができました。
↓三木鉄道⑩ 宗佐~下石野 1994(H6).1.16  Nさん撮影

2軸LEカー・ミキ180形が頑張っていました。
後継のミキ300形が1998年(H10)に登場し、180形2両は1999・2002(H11・14)年に廃車となりました。
三木鉄道⑪

 三木 1985(S60).4.15

再び開業間もない頃に戻ります。

国鉄時代の面影が残る終点の三木駅です。
この2両だけで、開業から13年間三木鉄道を支えました。

転換から2週間経過しましたが、奥の方ではまだ車庫が建設中でした。
三木鉄道⑫

 三木 1985(S60).4.15

左の方には、立派な貨物ホームもありました。
貨物営業は1974(昭和49)年に廃止されたそうです。
三木鉄道⑬

 三木 1985(S60).4.15

三木駅の駅舎です。
駅前には、祝開業のアーチと万国旗が取り付けられていました。


この写真を撮ってから23年後の2008(平成20)年4月1日に三木鉄道は廃止されました。
元・三木鉄道-ミキ300形

樽見鉄道 谷汲口 2013(H25).4.4

三木鉄道は、増発用とミキ180形の代替用で、ミキ300形を3両製造しました。全長18mのボギー車です。1998・1999・2002(H10・11・14)年に各1両製造しまし、ミキ300-103~105の車番でした。

2008(H20)年の廃止後、3両とも他社へ譲渡されました。(樽見・北条・ひたちなか海浜鉄道)
300-105は樽見鉄道へ譲渡され、ハイモ295-617として、2009(H21)年から三木鉄道時代のままの塗色で使われましたが、2014(H26)年に広告塗装に変更されました。
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参考図書:「第三セクター鉄道」 鉄道ジャーナル年鑑「日本の鉄道」別冊 1987(S62)年11月 鉄道ジャーナル社発行