この地図は、
国土地理院発行1/20万「一関」S44.12.28(右2/3)
   〃      1/20万「新庄」S44.12.28(左1/3) より

栗原電鉄     ナローで始まった栗原電鉄は、第三セクターの「くりはら田園鉄道」になりましたが廃止されました。

栗原電鉄の地図
栗原電鉄は、東北本線の石越から細倉まで25.5km(上図の赤線)の電気鉄道でしたが、細倉鉱山の閉山(1987(S62)年)と乗客減により、廃止候補になりました。
しかし地元の熱意により1993(H5)年から第三セクター経営となり、1995(H7)年4月1日から「くりはら田園鉄道」と名前を変え、電気鉄道をやめて内燃化しました。結局は、更なる乗客減により2007(H19)年3月31日限りで廃止となりました。
私とNさんが栗原電鉄を訪問したのは、1973(昭和48)年3月27日でした。そのときの写真をご覧ください。
        ↓栗原電鉄の当時の時刻表(国鉄監修交通公社の時刻表1973年4月号より)
栗原電鉄@

細倉〜駒場 1973(S48).3.27

1973(昭和48)年3月27日、横手9:18発の急行「きたかみ1号」に乗車し、一ノ関11:22着。一ノ関から栗原電鉄の起点・石越へ行く列車が1時間以上ありません。Nさんが時刻表で調べると、一ノ関11:47発の仙台行き国鉄バスに乗れば、沢辺着は12:10。栗原電鉄の沢辺12:25発細倉行きに乗れることが分かり、国鉄バスに乗りました。
沢辺では乗換時間が15分あり余裕だと思っていたのですが、バスが遅れていたせいか、バスを降りてリュックとカメラバックと三脚を担いで走り、沢辺に停車中の電車に飛び乗った記憶があります。

細倉に12:52着で、8分後に折返し石越行きで出発します。その電車を撮るため細倉で降りて、また走りました。
ここまで走ったところで、細倉13:00発の電車がやってきました。
栗原電鉄A  Nさん撮影

細倉〜駒場 1973(S48).3.27

上の写真の続きで、細倉13:00発の電車の後ろ姿です。
M152号です。可愛らしいですね!
栗原電鉄B

細倉〜駒場 1973(S48).3.27

上の写真Aの続きで、走り去る石越行きのM152号です。
カーブを曲がるとトンネルがあります。
 
栗原電鉄C

細倉〜細倉鉱山 1973(S48).3.27

上の写真@〜Bを撮ったあと、次の電車まで1時間半以上時間がありましたので、細倉駅を通り越し、電車の終点から先に伸びている線路に沿って鉱山方向へ歩き始めました。
すると、電気機関車が無蓋貨車を引っ張って鉱山から細倉駅に向かって走ってきました。突然現れたので、あわててカメラをバックから取りだしましたが、後追いでこの1枚撮れただけです。

貨物列車が細倉駅に向かったので、鉱山へ歩くのをやめて細倉駅に戻りました。
栗原電鉄D

細倉  1973(S48).3.27

細倉駅に戻ると、電気機関車の入換が終わったようで、運転士が機関車から降りてきました。
この電気機関車ED351号は、東武鉄道の日光軌道線で活躍していた機関車で、同線の廃止により1969(S44)年に栗原電鉄へ入線しました。


上のCの写真と比べると、機関車と車掌車だけが残っていて、無蓋貨車は一体何処へ消えてしまったのでしょうか?謎です。
栗原電鉄E

細倉  1973(S48).3.27

上の写真Dの逆方向から撮った写真です。
栗原電鉄F  Nさん撮影

細倉〜駒場 1973(S48).3.27

細倉14:52に到着する次の電車です。

山に登って撮りました。
電車が走っているSカーブは、上のAと同じ場所です。
←栗原電鉄G 細倉〜駒場 1973(S48).3.27

上の写真Fと同じ電車です。
私は縦位置で撮りました。
↓栗原電鉄H  Nさん撮影  細倉 1973(S48).3.27

ED351号のカラー写真です。これが模型なら、サーフェイサーで下塗りが終わったときのような感じの色でした。
栗原電鉄I Nさん撮影

細倉 1973(S48).3.27

細倉14:52着の電車は、折返し15:03に出発します。
上のFGを撮って山から下りてきて、あまり時間がなかったので、この写真を撮ってすぐに停車中のM152号に乗り、石越に向かいました。
栗原電鉄J 若柳 1973(S48).3.27

帰りの電車の窓から、車庫のある若柳で撮りました。
可愛らしい凸型の電気機関車がいました。
この栗原電鉄は、軌間762mmのナローゲージで、1921(大正10)年から順次開業し1950(昭和25)年に電化されました。その頃からいた機関車ですが、1955(S30)年に国鉄と同じ1067mmに改軌されたとき、車体はそのままで、台車の幅だけ広げて使われていました。
そのため車体より台車のほうが幅が広い珍しい機関車でした。貨物廃止後、保存されたようです。↓Nさん撮影
栗原電鉄K  Nさん撮影

 石越 1973(S48).3.27

細倉15:03発の電車は、15:43に石越に到着しました。
乗ってきたM152号は留置線のほうに留置されました。貨車の中継のため広い構内でした。
左に別れている線路が、細倉に向かう本線です。
栗原電鉄L  Nさん撮影

石越〜荒町 1973(S48).3.27

栗原電鉄で石越に15:43に到着し、国鉄で仙台に向かいました。
次の国鉄列車は16:08発でしたから、石越駅のあたりでうろうろしていたら、回送電車がやってきました。
湘南形のM181号です。



栗原電鉄・細倉鉱山の写真は、
細倉フォトギャラリーをご覧ください
  (H25.8.13追加)
くりはら田園鉄道@ Nさん撮影

細倉マインパーク前〜鶯沢工業高校前

      1999(H11).10.30

1995(平成7)年4月1日、左の写真の気動車KD95形3両を導入して電車運転をやめると共に、「くりはら田園鉄道」と名前を変えました。

左の写真の場所は、上のIと同じ細倉駅ですが、この頃には、線路を200m延長した先に「細倉マインパーク前」駅ができ、この駅は既に廃止となっていました。
くりはら田園鉄道A Nさん撮影

石越〜荒町 1999(H11).10.30

元名鉄の2軸LEカー・キハ10形です。
1984(昭和59)年、電化されていた八百津支線の経費節減のため、名鉄では第三セクターに先駆けて「第二世代のレールバス=LEカー」を3両導入しました。(↓下の写真1984.11.17八百津)
翌年、冷房付きの増備車を3両導入しましたが、その後ボギー車の20形・30形の導入により不要となり、10形増備車のうち2両が1995(平成7)年に「くりはら田園鉄道」へ譲渡されました。
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参考図書:
  「新・消えた轍3 東北-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.8.31発行