津島軽便堂写真館

国見山鉱山  三重県の山奥にあった鉱山鉄道

国見山鉱山は、三重県の山奥にありました。
鉱山から、熊野灘に面した神前湾の吉津港まで、全長3.18km、軌間1067mmの鉱石輸送鉄道が走っていました。
他の鉄道とは連絡しない離れ孤島の鉄道で、非常に不便なところにありました。
ここから運び出された石灰石は、中部国際空港の埋立にも使われたということで、その大量輸送用に2001(平成13)年くらいからベルトコンベア輸送が始まり、しばらくして鉄道は廃止になりました。

私が訪問したのは1996(平成8)年12月12日でした。

左地図は、国土地理院1/20万「伊勢」S41.10.30発行より
国見山鉱山の専用線を赤線で記入しました。
国見山鉱山① 1996(H8).12.12

港から鉱山に向かう列車です。
向こう側に向かって走るDLの推進運転を、車で追いかけて撮りました。
横の電柱から、昔は架線を吊すビームが出ており、電気機関車が走っていました。

ここに鉄道があることは、かなり前から知っていました。
何故なら、ここの貨車の車輪を名鉄住商の鳴海工場で削っていたからです。
若い頃に鳴海工場で石灰がこびりついて真っ白になったスポーク車輪を時々見かけました。これはなんの車輪と聞くと、「国見山」という返事でした。
暫くして、国見山が三重県の山奥にあるということを知りました。
鉄道への情熱も下火になっていた頃ですから、辺鄙なところにある鉄道を訪問する機会がないまま、長い時が過ぎてしまいました・・・
国見山鉱山② 1996(H8).12.12

終点の石灰石積込み場近くには、以前使われていた電気機関車が置いてありました。

この鉄道の開通は1934(昭和9)年ということですから、歴史があります。1993(平成5年)年くらいまで、電気機関車が走っていましたが、新日鐵からきたディーゼル機関車に置き換えられていました。


かなり昔に、名鉄住商の営業担当者から、「南海の電気機関車を国見山に運んだけど、途中のトンネルが潜れないのでキャブを切って運んで、現地でまたくっ付け大変だった」という話を聞いたことがあります。(何処まで本当か分かりませんが・・・)
国見山鉱山③④ 1996(H8).12.12

積込み場のホッパーへ貨車を押し込んでいきます。


国見山を訪問したのは、趣味ではなく、会社の仕事?でした。
当時、私が勤務していた名鉄住商工業は、中部地方のほとんどの中小私鉄や第三セクター等を顧客にし、車両改造や車両(部品)整備をしていました。「国見山石灰鉱業㈱」もその内の一社で、前任者から引き継いで、私が担当することになりました。
当時、名鉄住商が国見山から請負っていた仕事は、貨車の車輪を年間数本、車輪旋盤で削るだけのことで、車輪のトラック輸送も国見山側で手配していました。
従って、担当といっても、年に2・3回の注文を電話で受け、工場へ作業依頼をし、作業終了後に請求書を国見山へ送るだけの微々たる仕事量でした。
しかし、担当になった以上、客先を訪問しなければならないという理由で出張を認めてもらい、ドライブ好きの同僚と2人で、年末の挨拶も兼ねて出掛けました。
三重県度会郡南島町村山にあった事務所を地図で探し、最短ルートを辿ったら、これが凄い山道でした。対向車が来たらどうしようという心配をしましたが、幸いほとんど対向車も来ませんでした。あとで事務所で聞いたら、「普通の人はその道を通らんよ」と別の道を教えてもらい、帰りはそちらの道を通りました。
国見山の事務所で、挨拶と打ち合わせを済ませ、本日の仕事は一件落着。折角ここまで遙々やってきたので、ついでに沿線も見ておこうと、線路沿いの道を車で走り、貨物列車を追いかけながら終点に辿り着きました。
仕事に行ったのか、撮影に行ったのか分からないような出張でしたが・・・
国見山鉱山⑤ 1996(H8).12.12

石灰石積込み場の近くには、もう1両のDLが置いてありました。
左の留置線に置いてあるのがD-505号、積込み線にいるのがD-507号で、当時は2両の機関車が在籍し、交互に使われていたようです。
国見山鉱山⑥ 1996(H8).12.12

留置線にいたD-505号のアップです。

元は新日鐵広畑製鉄所の構内入換用の機関車で、入換に適した構造になっています。
後ろにいる電気機関車を置き換えるために導入されました。
国見山鉱山⑦ 1996(H8).12.12

元南海の電気機関車です。

この機関車が走ってるうちに来れば良かった!
国見山鉱山⑧ 1996(H8).12.12

石灰石運搬用の、元近江鉄道の貨車です。

この貨車に置き換える前は、古典的な貨車オアカーがいたそうです。
編集長敬白(国見山のオアカー)
その続編
国見山鉱山⑨ 1996(H8).12.12

D-505号を横から見た写真です。

製鉄所の機関車は無線操縦ができるようになっていましたので、アンテナがついています。(国見山で無線操縦機能が使われていたかどうかは知りませんが)
この機関車の整備は、新日鐵の構内機関車の整備をしていた太平工業から年1回ほど整備係員が出張してくるとのことでした。
国見山鉱山⑩ 1996(H8).12.12

出発していく石灰石輸送列車を後ろから撮りました。
プッシュプル運転用に、貨車の後ろに運転台がついていました。
国見山鉱山⑪ 1996(H8).12.12

上の写真⑩の貨物列車を追いかけ、港まで来ました。
西日を浴びて、間もなく港に到着します。
国見山鉱山⑫ 1996(H8).12.12

港の石灰石降ろし場に到着する貨物列車です。
ここから船に積み換えられ、輸送されていきます。


このときが、最初で最後の国見山鉱山専用線の訪問でした。
 津島軽便堂Topページへ戻る  2014(H26).3.5up