津島軽便堂写真館

神岡鉄道   国鉄から転換された神岡鉄道です。奥飛騨の山の中を走っていました。

神岡鉄道は、元国鉄の神岡線で、赤字ローカル線のため国鉄再建法により第一次廃止対象路線になり、第三セクター鉄道として1984(昭和59)年10月1日に開業、2006(平成18)年12月1日に廃止されました。(最終運行日は11/30)
高山線・猪谷駅~奥飛騨温泉口駅(国鉄時代は神岡駅)19.9kmの路線でした。(左図の青線)
猪谷~神岡の間には、神岡軌道と呼ばれたナロー路線も存在しました(左図の赤線)。2feet(610mm)の鉄道で、神岡鉱山の鉱石・硫酸を運ぶために明治時代に馬車鉄道で最初の区間が建設され、一時期は旅客営業も行われました。(詳細は→Wikipedia神岡軌道参照)
私にとっては、山肌を縫って走るそちらの方が魅力的でしたが、国鉄神岡線の建設が決まり、1966(昭和41)年10月の国鉄神岡線の開通に前後して610mmのナローゲージは廃止されました。ナローファンの方は、参考図書の「軽便追想」 高井薫平著、「軽便探訪」 新井清彦著をご覧ください。
廃線跡は、→歩鉄の達人(神岡軌道)をご覧ください。

←国土地理院1/20万「高山」S44.8.30発行より
神岡鉄道を
青線でなぞり駅名を記入し、神岡軌道を赤線で追記しました。
↓神岡鉄道① 猪谷 1986(S61).10.18

猪谷に到着する神岡鉄道KM151「おくひだ2号」です。
神岡鉄道にはKM101・151の2両の小型16m気動車が在籍しました。各々「おくひだ1・2号」と愛称が付けられました。
この2両の気動車は、1984(昭和59)年の第三セクター転換時に新潟鐵工で新造されましたが、当時の第三セクターで盛んに導入された富士重工のLEカーとは異なり、エンジン以外の機器は国鉄キハ20形からの流用でした。従ってボギー車1軸駆動(国鉄気動車の標準仕様)でした。
神岡鉄道②

 猪谷 1986(S61).10.18

猪谷停車中の「おくひだ2号」です。

神岡鉄道開業2年後です。
当時の時刻表で調べると、猪谷~奥飛騨温泉口間に1日8往復の旅客列車が走っていました。
猪谷15:48着、折返し15:54発の列車です。
右の1番線の国鉄列車は、富山14:37→猪谷15:30止の列車です。
この列車に乗り富山から到着し、神岡鉄道に初乗車しました。
国鉄時代には未乗車だったので、神岡線の初乗車でした。
神岡鉄道③

おくひだ2号車内 1986(S61).10.18

囲炉裏風のサロン席がありました。
神岡鉄道④

奥飛騨温泉口 1986(S61).10.18

終点の奥飛騨温泉口です。
国鉄時代は神岡駅でした。
昔は貨物を扱っていた名残がありましたが、国鉄時代に当駅は貨物を廃止しました。

この列車は、奥飛騨温泉口16:28着、16:35発でした。1往復乗車し、猪谷着17:07。最初の神岡鉄道訪問は、乗るのが目的で、両端の駅で撮っただけで終わりました。(ほとんどトンネルの中を走っていたいう印象を受けました)

猪谷17:11発の特急「北アルプス」号で帰りました。新名古屋着21:11でした。
神岡鉄道④N  Nさん撮影

漆山~神岡鉱山前 1992(H4).4.25

カーブしたコンクリート橋の第一高原川橋梁です。

Nさんは一度だけ神岡鉄道を訪問し、神岡鉄道完乗後、漆山で降りてこの鉄橋まで歩き、奥飛騨温泉口行きの列車を待ちました。
神岡鉄道⑤  2006(H18).11.3

神岡鉱山前~飛騨神岡

廃止が迫った頃の神岡鉄道です。
2006(平成18)年11月末限りで廃止が決まり、11月3日に沿線でイベントが開催されました。そのために特別ダイヤが組まれ、日中の列車が増発されました。
通常ダイヤでは、日中の列車本数が少なく、交通不便な場所にあるため、長い間ご無沙汰をしていましたが、いよいよ廃止になることと、増発で効率よく撮影できることから、思い切って、自宅から片道約200kmの道程を車で出かけました。(私は、車をたまにしか運転しないので、長距離運転は不得意ですが、このときばかりは・・・)

デジカメの記録では10:40撮影でした。(時間は多少の誤差あり。以下同じ)
神岡鉄道⑥  2006(H18).11.3

神岡鉱山前~飛騨神岡

上の写真⑤と同じ列車です。通り過ぎたところを振り返って撮りました。

この日は、猪谷方にKM101「おくひだ1号」、奥飛騨温泉口方にKM151「おくひだ2号」を連結した2両編成で、両端駅間を往復していました。2両しかいない気動車をフル動員でした。
神岡鉄道⑦  2006(H18).11.3

漆山~神岡鉱山前

赤いトラスの第二高原川橋梁です。
ここは有名撮影地で、大勢の人が国道端に車を停めて撮影していました。

デジカメの記録では11:05撮影でした。
神岡鉄道⑧  2006(H18).11.3

漆山~神岡鉱山前

国道から神岡鉄道を俯瞰できる、絶景ポイントです。
神岡鉄道随一のお立ち台でした。
ここは一番大勢の人が国道端に並んで撮影していました。(20人くらいだったかな?)

デジカメの記録では11:51撮影でした。
神岡鉄道⑨  2006(H18).11.3

漆山~神岡鉱山前

上の写真⑧の続きです。
高原川の水の色がとても綺麗でした。

貨物列車が走っている頃にここで撮ればよかったと思っても後の祭り・・・

神岡鉄道の収入の8割近くを占めていた貨物輸送は、この2年前(平成16年10月)に終了し、それにより1日100人程度の乗客しかなかった神岡鉄道は必然的に廃止されたわけです。
神岡鉄道⑩  2006(H18).11.3

漆山~神岡鉱山前

次の列車(猪谷行き・後追い)も同じ場所で待ちました。

デジカメの記録では12:31撮影でした。
神岡鉄道⑪  2006(H18).11.3

漆山~神岡鉱山前

上の写真⑩の続きです。
ズームの最大望遠(200mm)で撮りました。

Photoshop Elementsで山の部分の彩度をアップし、紅葉を綺麗に色づかせました。
(マウスカーソルを画面上に置くと元画像に切り替わります)
神岡鉄道⑫

奥飛騨温泉口 2006(H18).11.3

終点の奥飛騨温泉口へ列車が到着しました。
駅には「長い間 ありがとうございました」の横断幕が張られていました。

デジカメの記録では13:26撮影でした。


私もこの折返し列車に乗り、神岡鉄道の名残の乗車をしました。
車内はかなり混雑していました。
神岡鉄道⑬

 猪谷 2006(H18).11.3

猪谷に到着しました。
猪谷駅にも「長い間 ありがとうございました」の横断幕が張られ、「さようなら神岡鉄道」の看板もありました。

デジカメの記録では14:04撮影でした。

猪谷駅でこの写真を撮ったあと、またこの列車に乗り折り返しました。


なお、高山線の猪谷駅以南(写真向こう側・猪谷~角川)は、2004/H16年の台風以来不通になっていました。(2007/H19年復旧)
神岡鉄道⑭

奥飛騨温泉口 2006(H18).11.3

奥飛騨温泉口を出発していく列車です。猪谷から奥飛騨温泉口まで1往復乗車し、この列車を見送ったあと、神岡鉄道に別れを告げました。

デジカメの記録では14:52撮影でした。

猪谷~奥飛騨温泉口の所要時間は約30分ですから、撮影時間を辿ると、終点で10分ほどで折り返すピストン輸送をしていたことになります。


この写真を撮ったあと、また200km走って自宅まで戻りました。途中高山でリッチに飛騨牛ステーキの夕食を食べましたが・・・
神岡鉄道⑮  2006(H18).11.26

神岡鉱山前~飛騨神岡

廃止直前に、もう一度神岡鉄道を訪問しました。

富山へ家族と車で一泊旅行の予定があり(予定を作り!?)、折角ですから神岡鉄道へ寄り道しました(してもらいました!?)。
あいにくの曇天でしたが、バックに神岡鉱業所がぼんやり入り、良い感じでした。
この日は、KM101「おくひだ1号」が奥飛騨温泉口方に連結された2両編成でした。
上の写真⑥の逆方向の少し高い所から見ています。
神岡鉄道⑯  2006(H18).11.26

神岡鉱山前~飛騨神岡

上の写真⑮の続きです。
まもなくトンネルに入り、トンネルを出たところが飛騨神岡駅(国鉄時代は飛騨船津駅)です。
神岡鉄道⑰ 神岡鉱山前 2006(H18).11.26

神岡鉱山前駅の構内です。KMDD13形(元国鉄DD13)がブルーシートを被って置いてありました。奥飛騨温泉口方向を見ています。
神岡鉄道⑱ 神岡鉱山前 2006(H18).11.26

左の写真の反対側で、神岡鉱山側です。ここから右奥の鉱山の方へ専用線が延びていましたが、2004/平成16年に貨物輸送を終えていました。
神岡鉄道⑲ 神岡鉱業所 2006(H18).11.26

白い煙を出して稼働中の神岡鉱業所です。神岡鉱山前の駅付近から撮りました。
神岡鉄道⑳ 神岡鉱山への専用線 2006(H18).11.26

神岡鉱山前駅から、国道41号を跨いで専用線が延びていましたが、貨物輸送は2年前に終えていて列車が走ることはありませんでした。

神岡鉄道(21) 2006(H18).11.26

漆山~神岡鉱山前

カーブしたコンクリート橋の第一高原川橋梁です。
背景の山がとても良い感じでした。


この鉄橋は、上の写真④Nと同じ鉄橋です。見る方向により全く別の風景になりますね!
神岡鉄道(22) 2006(H18).11.26

漆山~神岡鉱山前

上の写真(21)の続きで、ズームアップしました。

これが私が撮った神岡鉄道の最後の写真となりました。

この写真の5日後に神岡鉄道は廃止されました。
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参考図書: 「新・消えた轍6中部-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.5.30発行
       「軽便追想」 高井薫平著 ネコ・パブリッシング 1997(H9).4.30発行
       「軽便探訪」 新井清彦著 機芸出版社 2003(H15).6.10発行