岩手開発鉄道 昭和48年、旅客列車が走っていた頃
岩手開発鉄道は、東日本大震災(H23.3.11)で大きな被害を受けましたが、約8ヶ月後に運転を再開し、石灰石を輸送しています。 現在は貨物輸送専業ですが、1992(平成4)年3月までは旅客輸送も行っていました。 三陸海岸沿いにあり、訪問するにはかなり手間暇掛かりますが、Nさんは1973(昭和48)年に訪れ、盛~岩手石橋を完乗しました。そのときの写真をご覧ください。 ←国土地理院発行1/20万「一関」S44.12.28より、岩手開発鉄道の駅名を青字で記入 |
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↓岩手開発① 猪川~長安寺 1973(S48).4.2 Nさん撮影 川沿いを走るキハ202号です。まもなく右のトンネルに入ります。 |
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交通公社時刻表1973年4月号より | |
岩手開発②③ Nさん撮影 猪川~長安寺 1973(S48).4.2 上の写真①の続きです。 トンネルを抜けた車両は田圃の中を走り去り、盛に向かいます。 昭和48年の春休み、Nさんと一緒に東北私鉄めぐりをしました。旅行の最後に山形交通の高畠で別れて、Nさんは岩手開発鉄道を訪問しました。(私は岩手開発より、高畠線で電気機関車+貨車+電車の混合列車を撮ることを選択しました) Nさんは、前日に陸前高田のユースホステルに泊まり、8:41に盛へ到着しました。 上の時刻表のとおり、盛を出発する旅客列車は13:11までありません。盛駅から約3km歩いて、日頃市9:52→盛10:05の午前の最終列車を待って撮りました。 この当時、大船渡線は盛駅が終点でしたが、そこから国鉄盛線が綾里駅までは開通していました。 1984(昭和59)年に三陸鉄道南リアス線として、盛~釜石間(36.6km)が転換・開業しました。 |
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岩手開発④ Nさん撮影 猪川~長安寺 1973(S48).4.2 岩手石橋から赤崎に向かう石灰石輸送列車です。 DD53形が牽引し、間もなくトンネルに入ります。 |
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岩手開発⑤ Nさん撮影 猪川~長安寺 1973(S48).4.2 上と同じ貨物列車の後ろに、DD43形機関車が付いていました。 |
岩手開発⑥ Nさん撮影 猪川~長安寺 1973(S48).4.2 モーターカーが走りました。この写真を撮ったあと、盛へ戻りました。 |
岩手開発⑦ 盛 1973(S48).4.2 Nさん撮影 このキハ202号は、岩手開発鉄道が唯一新造した旅客用車両です。1968(昭和43)年製で、この車両の導入前に、201号がいたので続番で202号となりました。 なお、201号は、神中鉄道キハ35→播丹鉄道キハ200→国鉄キハ40359→岩手開発キハ201の経歴 |
参考図書:「世界の鉄道'76」 1975(S50).10月14日 朝日新聞社発行
「私鉄車両めぐり特輯[第1輯]」岩手開発鉄道 1977(S52).7月 鉄道図書刊行会発行