阪神軌道線     金魚鉢で有名な阪神の路面電車:国道線、甲子園線、北大阪線の写真です

阪神軌道線の地図
上の地図は、国土地理院発行1/20万「京都及大阪」S43.3.30発行より

左の図は、「世界の鉄道'73」朝日新聞社S47.10.14発行より

大阪万博が開催された1970(昭和45)年には、大阪に阪神の路面電車が走っていました。
 国道線:野田〜西灘25.1km(上図青線
 甲子園線:上甲子園〜浜甲子園2.8km(上図緑線
 北大阪線:野田〜天神橋筋6丁目4.3km(上図水色線) が残っていました。

1974(昭和49)年に、阪神国道線の上甲子園〜西灘が廃止になり、1975(昭和50)年5月には、阪神の路面電車は全線廃止となりました。

私が最初に阪神の路面電車を見たのは、親に連れられて大阪万博を見物に行った1970(昭和45)年の夏でした。
浜甲子園の近くに泊まりましたので、翌朝、宿の近くで撮りました。
阪神@ 浜甲子園付近 1970(S45).7

阪神の路面電車を代表するスタイルの電車です。
屋根のすぐ下まである大きな側窓が特徴で、「金魚鉢」という愛称が付けられていました。

阪神A

浜甲子園付近 1970(S45).7

上の@の続きで、「金魚鉢」の後ろ姿です。
 
阪神B   Nさん撮影

浜甲子園 1973(S48).8.21

終点の浜甲子園に停車中の「金魚鉢」です。

上の写真@Aの3年後に、Nさんと一緒に阪神の軌道線を訪れました。

前日にポール時代の嵐電を撮り、芦屋ユースホステルに宿泊した次の日です。
 阪神C

浜甲子園 1973(S48).8.21

終点側から見た浜甲子園のホームです。
ホーム上に可愛らしい切符売り場がありました。
右には団地が並んでいます。

昔は、写真手前側の浜甲子園〜中津浜まで路線がありましたが、戦争末期の1945(昭和20)年に運転休止となり、復活することなく、1973(昭和48)年、正式に廃止となりました。
阪神D   Nさん撮影

甲子園 1973(S48).8.21

蔦の絡まる甲子園球場の横を走る「金魚鉢」電車です。

この日は、高校野球開催中でした。

Nさんはこのあとも撮影を継続しましたが、私は一度甲子園球場に入ってみたくなり、無料の外野席で、甲子園名物「かち割り」氷をかじりながら夏の甲子園大会を眺めていました。


知ってる人は知っている。
♪鉄腕強打 幾千度び 鍛えてここに甲子園・・・♪
 阪神タイガースの歌「六甲おろし」3番ですね!

「燃えよドラゴンズ」の次に好きな歌です!!
 阪神E   Nさん撮影

上甲子園 1973(S48).8.21

甲子園線の北側の終点:上甲子園付近です。両渡り分岐がありました。
ここで、国道線と接続していました。
阪神F   Nさん撮影

上甲子園 1973(S48).8.21

国道線の上甲子園付近です。
上甲子園を出発した電車が、西灘に向かいます。
阪神G

 西灘  1973(S48).4.30

阪神国道線の終点、西灘に停車中の電車です。
阪神本線のガード下から撮りました。

昔は、ここから900m先の東神戸まで路線がありましたが、1969(昭和44)年に廃止になりました。
阪神H

 西灘  1973(S48).4.30

西灘折返しの路面電車が出発する前に、ガード上の本線を赤胴の特急電車が通過しました。
 
阪神I   Nさん撮影

 西灘  1973(S48).8.21

西灘を出発した電車です。

上のHと同じ場所から撮っています。
阪神J

西灘〜大石川 1973(S48).4.30

西灘を出発した野田行きが走り去ります。

上のHIと同じ場所から逆方向を見た写真です。
阪神K   Nさん撮影

中淀江〜野里 1973(S48).8.21

国道2号線の淀川大橋を渡ります。

西灘から野田まで25.1kmを延々と1時間半くらいかけて走ったきた32号も、あと5分くらいで終点の野田に到着します。
 
阪神L

 野田  1972(S47).8.4

高架になった本線の野田駅の横に、路面電車の駅がありました。
野田からは、国道線と北大阪線が出ていて、路面電車のターミナルでした。

路面電車のホームから留置線側(梅田方)を見た写真です。
阪神M   Nさん撮影

 野田  1973(S48).8.21

北大阪線のホームに停車中の天神橋筋6丁目(天六)行きの電車です。

上のLの逆方向を見た写真です。
左に国道線のホームがあり、更にその左に高架の本線ホームがありました。
阪神N   Nさん撮影

野田〜海老江 1973(S48).8.21

野田へ向かってくる電車です。
センターポールの区間でした。
 
阪神O   Nさん撮影

 中津 1973(S48).8.21

阪急との接続駅、中津です。
阪急電車とのコラボが見られました。

阪急と並行して、国鉄貨物線の上を越します。

この北大阪線は、それなりにお客さんが乗っていたのですが、車庫が国道線沿線の浜田車庫にあったため、お客の少なかった国道線と運命を共にし、1975(昭和50)年に廃止となりました。
(甲子園線も、全く同じ理由により同時に廃止となりました)
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参考図書
  「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行