この地図は
 国土地理院 1:200,000
 「旭川」S41.2.28発行より

三井芦別炭鉱の鉄道

芦別付近の地図 芦別付近には、いろんな炭鉱がありました。その中で、最後まで残ったのが三井芦別炭鉱です。

三井芦別炭鉱は1992(平成4)年に閉山になりました。
国鉄の芦別駅から、炭鉱のあった頼城(らいじょう)まで鉄道が走っていました。「三井芦別鉄道」です(左図青線)。
Wikipediaで調べると、1972(昭和47)年までは旅客輸送を行っていて、後に貨物専用になり、1989(平成元)年に廃線になりました。

私が芦別を訪問したのは1977(昭和52)年8月5日でした。
既に三井芦別鉄道は旅客輸送をやめていたため、バスに乗って炭鉱のある頼城へ行きました。
バスを降りると炭鉱があったので、早速事務所へ行き、見学をお願いしましたが、残念ながら断られ、門の外の線路脇だけ撮影許可をもらい撮りました。
門の外にもナローの坑外軌道がありました。
三井芦別炭鉱@

 頼城  1977(S52).8.5

坑外軌道のトロッコを撮っていたら、三井芦別鉄道の貨物列車が動き始めましたので撮りました。

石炭満載の貨物列車が頼城を出発し、芦別に向かいます。
国鉄と同じ軌間1067mmの立派な運炭鉄道でした。トロッコ軌道はこの写真の右側にありました。


このときの旅行は、白黒写真が主ですが、カラーでも少し撮りました。
三井芦別炭鉱A

 頼城  1977(S52).8.5

貨物列車の出発前です。
上の写真@の少し前に、少し右側の方を向いて撮りました。

右の方に、芦別立坑の櫓が写っています。
 
三井芦別炭鉱B 頼城  1977(S52).8.5
 ディーゼル機関車DD501号です。
 三井芦別炭鉱C 頼城  1977(S52).8.5
 上の@の写真の貨物列車が通り過ぎたところです。

三井芦別炭鉱D

坑外軌道  1977(S52).8.5

三井芦別炭鉱にあった坑外軌道です。

「全国鉱山鉄道」岡本憲之著・2001.9JTBキャンブックス発行によりますと、
三井石炭鉱業・芦別鉱業所
 ・軌間:610mm
 ・距離:坑内・坑外 距離不明
となっています。

坑木の貯木場に、坑内用のような背の低い機関車が活躍していました。

このあたりが、坑外軌道の一番北の端で、写真の右側に、三井芦別鉄道頼城駅があり、背面に炭鉱がありました。(北を向いて撮りました)
三井芦別炭鉱E

坑外軌道  1977(S52).8.5

上の写真Dより炭鉱に近い側です。
同じ方向(北向き)を撮りました。
三井芦別炭鉱F

坑外軌道  1977(S52).8.5

上の写真DとEの真ん中辺りで、北を向いて撮りました。
 
三井芦別炭鉱G

坑外軌道  1977(S52).8.5

炭鉱の方向を見ています。
機関車の左奥に写っているアーチが炭鉱の入口でしょうか。
何が書いてあるか拡大して読むと、
「更に前進輝く芦別」と書いてありました。

上の写真D〜Fの逆方向(南)を向いています。
見比べると、Eの反対側から撮った写真ですね。
三井芦別炭鉱H

坑外軌道  1977(S52).8.5

芦別炭鉱のランドマーク「立坑櫓」が真ん中に写っています。


上の写真Aにも立坑櫓が写っていますので、見比べると、この写真の左側に三井芦別鉄道の頼城駅があったことが分かります。
三井芦別炭鉱I

坑外軌道  1977(S52).8.5

坑外軌道で入換が始まりました。

貨車を推進して向こう側(北)へ走っていきます。
三井芦別炭鉱J

坑外軌道  1977(S52).8.5

坑木の貯木場の真ん中あたりです。
坑木が山積みされています。

 
三井芦別炭鉱K

坑外軌道  1977(S52).8.5

上の写真Jのちょっと先(北)の風景です。
踏切?がありました。

ここから更に奥へ進むと、上のカラー写真Dの風景になります。
三井芦別炭鉱L

坑外軌道  1977(S52).8.5

運材列車が炭鉱の方へ向かって走っていきます。

上の写真Kの逆方向を見た写真です。

これが三井芦別炭鉱(の近く)で撮った最後の写真となりました。

門の中の写真が撮れなくてチョット残念でしたが、とりあえずトロッコの活躍は撮ることが出来ました。


このあとバスで芦別に戻りました。
歌志内  1977(S52).8.5

芦別から、たぶん路線バスを赤平で乗り継いで、歌志内駅へ着いたと思います。一番上の地図をご覧いただければ、芦別と歌志内は10キロ程度の距離です。

この頃は、歌志内にもまだ炭鉱があり、石炭列車も運転されていました。後方に写っている山はズリ山でしょうか?
「全国鉱山鉄道」によれば、歌志内の奥の空知炭鉱にもトロッコ軌道があったのですが、当時はそんな知識もなく行きませんでした。

斜陽化していた炭鉱地帯のローカル線に乗ると、栄枯盛衰の歴史を感じることが出来ました。この歌志内線もその一つでしたが1988(S63)年に廃止されました。
炭鉱の無くなった歌志内市は、今では人口5千人を切り、日本一人口の少ない市として有名?です

この歌志内で撮った写真を最後に北海道を離れました。実は、このときが初めての北海道旅行で、青函連絡船に揺られ、はるばる行った割には・・・
この翌日DD51重連の急行ニセコ1号に乗り、函館から連絡船に揺られ、青森に着いたら「ねぶた祭」に遭遇し、夜行列車を待つ間に見て歩き感動したことが一番記憶に残っています。
  
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参考図書:「全国鉱山鉄道」 岡本憲之著 2001.9JTBキャンブックス発行