津島軽便堂写真館

信楽線のC58    C58牽引貨物列車が33‰の連続急勾配を上っていました

国鉄信楽線(貴生川~信楽)は、特定地方交通線の第1次廃止対象路線となりました。
国鉄分割民営化により一旦JR西日本の路線となり、約3ヶ月後の1987(昭和62)年7月13日に廃止され、第三セクターの信楽高原鐵道に引き継がれました。
蒸気機関車が走っていた頃の信楽線の写真をご覧ください。
←左地図は国土地理院1/20万「名古屋」S41.8.30発行より
↓信楽線① 信楽 1972(S47).11.5

信楽駅を出発した貨物列車です。汽車は出ていく煙は残る・・・
信楽線②

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

信楽に向かうC58貨物列車です。
背景が、まさに日本の原風景という感じで私のお気に入り写真です。

撮影地は左上地図の地点です。

私の初めての信楽線訪問でした。
どういう訳かこのときの記録が残っていました。
1971(昭和46)年12月11日に一人で弥富7:49発の331Dに乗り、亀山で200円の駅弁を買い、急行「平安」に乗り換え、貴生川へ到着しました。
弥富から信楽までの運賃が400円でした。貴生川で途中下車して、タクシーで300円払ってこの場所へ来ました。タクシーに乗るなんて貧乏学生には大奮発でした。
予め地図で探しこの場所で撮ろうと計画を組み、蒸機機関車を撮るためには歩いていては間に合わず、やむを得ずタクシーに乗ったと思います。
信楽線③

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

信楽から戻ってくる貨物列車です。
稲刈りの終わった棚田と、C58の逆向き運転を俯瞰しました。
下り勾配のため、煙がないのが寂しいです・・・

上の写真②を撮ってから、この写真を撮るまで時間がありましたので、「展望台」という標識につられて山に登りました。その展望台(左上地図の地点)からの眺めです。

今の地図で調べると「庚申山広徳寺」の展望台のようです。当時ここにお寺があったかどうか、全く覚えていません。
信楽線④

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

貴生川から信楽に向かう普通列車です。気動車の単行でした。
小さくてわかりにくいですが、キハ53形と思われます。貴生川から雲井に向かい33‰の急勾配が延々と続く厳しい峠道を上っています。


展望台で、上の写真③の貨物列車を撮ったあと、その付近で次の普通列車を待ちました。
信楽線⑤

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

上の写真④の続きです。
カメラを少し上に向けると、こんな風景でした。


写真上端にご注目ください。
中央やや左の田圃の中にカーブした線路が見えます。それが近江鉄道線で、手前側で草津線と合流します。その右の方が貴生川駅の集落と思われます。
信楽線⑥

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

④⑤の続きです。
普通列車が近づいてきました。
築堤の上を走っています。
ここは、上の写真②と同じ築堤です。
信楽線⑦

貴生川~雲井 1971(S46).12.11

④⑤⑥の続きです。
上の写真③と同じ場所です。
気動車の方がよく目立ちますね。
信楽線⑧ 1971(S46).12.11

 草津線 貴生川~甲南

③~⑦を撮った展望台から、草津線も遠望できました。
柘植に向かうD51の貨物列車です。
信楽線⑨ Nさん撮影

貴生川~雲井 1972(S47).11.5

築堤を走る信楽行きのC58貨物列車です。
上の写真②と同じ場所です。



この日は、大学鉄研仲間と8人くらいで車に分乗して、関西線の加太越えのSLを撮りに出掛け、そのついでに信楽線まで足を伸ばしました。
私は1年前にここで撮っていましたので、先導役で皆を案内しました。
信楽線⑩ Nさん撮影

 信楽 1972(S47).11.5

信楽駅の入換風景です。

上の写真⑨を撮ったあと、車で移動し信楽に着くと、C58が貨車の入換をしていました。
信楽線⑪

 信楽 1972(S47).11.5

入換中のC58を流し撮りしました。
C58 66号でした。
信楽線⑫ Nさん撮影

 信楽 1972(S47).11.5

C58 66号は赤いナンバープレートでした。
入換が終わり、出発準備の整ったC58です。

Nさんは、この写真を撮ったあと沿線で走行写真を撮るため、急いで車で出発しました。
私は、この場に残りました。
信楽線⑬ 信楽 1972(S47).11.5

貨物列車の出発時間が近づき、機関士と機関助士が機関車に向かいます。
信楽線⑭ 信楽 1972(S47).11.5

まずは、機関士が機関車に乗り込みます。
信楽線⑮ 信楽 1972(S47).11.5

続いて、機関助士が機関車に乗り込みます。
信楽線⑯ 信楽 1972(S47).11.5

出発前のひととき、機関助士と駅長が談笑しています。このあと駅長の出発合図を受け、貨物列車は出発しました。煙を残して→上①の写真

信楽線⑰ Nさん撮影

貴生川~雲井 1972(S47).11.5

バック運転で勾配に挑むC58 66号です。
まもなく峠で、そのあとは貴生川まで連続下り勾配になります。

国鉄時代の信楽線の最後の写真です。


信楽線を1日1往復走っていた貨物列車は、1973(昭和48)年10月に無煙化されました。
信楽線⑱

信楽高原鐵道
玉桂寺前~信楽 1988(S63).11.5

信楽線は、1987(昭和62)年7月13日から、第三セクターの「信楽高原鐵道」として再出発しました。

信楽高原鐵道となった翌年、久しぶりに信楽線を訪問しました。
上の写真⑨~⑰のちょうど16年後です。

第三セクター転換の際に新造されたSKR200形の気動車が走っていました。
信楽線⑲

信楽高原鐵道
玉桂寺前~信楽 1993(H5).10.11

上の写真⑱と同じSKR200形です。

1991(平成3)年5月14日に、JR乗り入れ列車と正面衝突の大事故が起き、半年ほど運休した後、車両の塗装変更が行われ運行再開されました。
津島軽便堂Topページへ戻る  2013(H25).8.30up