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志布志線②
伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2
上の写真の続きです。貨物列車が通り過ぎたところを撮りました。
先輩に引率され、伊崎田駅で降りて後ろを付いて歩きました。
写っているのは同行者です。5人くらいが固まって撮りました。
右上に腕木信号機の一部が写っています。伊崎田駅の場内信号機と思われます。 |
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志布志線③
伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2
志布志に向かうC58牽引の上り貨物列車です。 |
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志布志線④ Nさん撮影
伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2
同上 C58 424です。
Nさんの記録によれば、都城9:16→伊崎田10:09着-貨物列車1往復撮影-伊崎田11:48→志布志12:08着です。 |
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志布志線⑤
志布志 1970(S45).8.2
志布志駅です。
先程のC58 424が向きを変えて停まっていました。
「万博は招く」の看板が!1970年♪世界の国からこんにちは♪の大阪万博
当時の時刻表で調べると、志布志から大阪万博へ行く場合の最適列車は、
①志布志8:54→都城10:01/11:46→(都城始発京都行き急行「日南1号」)→大阪6:57・大阪地下鉄梅田から23分で万国博中央口へ
②志布志11:50→都城12:57/13:38→(西鹿児島発東京行き急行「高千穂」)→大阪7:53・大阪地下鉄梅田から23分で万国博中央口へ |
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志布志線⑥
志布志 1970(S45).8.2
志布志線、日南線、古江線(後の大隅線)が接続していた志布志駅です。広い構内でした。
機関区(志布志線管理所)は手前(西)側にありました。 |
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志布志線⑦ Nさん撮影
志布志 1970(S45).8.2
志布志線管理所に停泊するC11 189です。
当時の機関車配置表を調べると、志布志線管理所には、
C58-3両、C11-7両が配置され、
C58は志布志線4往復の貨物列車、
C11は日南線、古江線の貨物列車・客車列車を牽引しました。 |
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志布志線⑧ Nさん撮影
志布志 1970(S45).8.2
機関庫の中のC58 426です。 |
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志布志線⑨
志布志 1970(S45).8.2
機関庫の前のC11 146です。 |
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志布志線⑩
志布志 1970(S45).8.2
志布志を出発した志布志線の貨物列車です。機関庫の横を通ります。 |
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志布志線⑪
志布志 1970(S45).8.2
上の写真⑩の続きです。
貨物列車が走っている線路が志布志線、手前の線路が古江線で、しばらく並行してこの先で別れます。
この写真を撮った後、古江線を乗り潰すため、志布志13:59→急行「南風2号」→鹿屋14:37/15:05→海潟15:58に乗車しました。
海潟からはバスで袴腰へ、袴腰港から桜島フェリーで鹿児島へ渡りました。 |
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志布志線⑫ Nさん撮影
古江線 海潟 1970(S45).8.2
古江線の終点・海潟駅です。
1972.9.9に海潟~国分が延伸し全通、大隅線と改称しましたが、1987.3.14に全線廃止されました。
↓交通公社時刻表1970.8月号より |
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2025(R7).7.3up |