津島軽便堂写真館

志布志線  1987(昭和62)年に廃止された志布志線。1970(昭和45)年の記録


↑国土地理院1/20万-宮崎S46.7.30発行に、主要駅と撮影最寄駅などを追記
志布志線は、左図赤線のように九州南部・西都城~志布志間38.6kmのローカル線でした。
志布志駅は志布志線、日南線、古江線(後の大隅線)の3路線が集まる交通の要衝で機関区(志布志線管理所)がありました。

1970(昭和45)年の夏休みに、先輩のrailbusさんに引率されて2週間の九州SL撮影旅行をし、その途中に志布志線と古江線(当時の終点は海潟、後に延伸され大隅線と改称)を訪問しました。

志布志線は1987(S62).3.28に廃止されました。接続する大隅線も1987(S62).3.14に廃止され、現在は日南線のみが残っています。
↓志布志線① 伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2

トンネルに「縄瀬」という札がありますので、伊崎田駅のすぐ北にある縄瀬隧道を出る、都城に向かうC58貨物列車です。(志布志線は日南線と直通運転をしていたためか、都城へ向かう列車が下りでした)
志布志線②

伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2

上の写真の続きです。貨物列車が通り過ぎたところを撮りました。
先輩に引率され、伊崎田駅で降りて後ろを付いて歩きました。
写っているのは同行者です。5人くらいが固まって撮りました。
右上に腕木信号機の一部が写っています。伊崎田駅の場内信号機と思われます。
志布志線③

伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2

志布志に向かうC58牽引の上り貨物列車です。
志布志線④ Nさん撮影

伊崎田~大隅松山 1970(S45).8.2

同上 C58 424です。

Nさんの記録によれば、都城9:16→伊崎田10:09着-貨物列車1往復撮影-伊崎田11:48→志布志12:08着です。
志布志線⑤

 志布志 1970(S45).8.2

志布志駅です。
先程のC58 424が向きを変えて停まっていました。
「万博は招く」の看板が!1970年♪世界の国からこんにちは♪の大阪万博
当時の時刻表で調べると、志布志から大阪万博へ行く場合の最適列車は、
①志布志8:54→都城10:01/11:46→(都城始発京都行き急行「日南1号」)→大阪6:57・大阪地下鉄梅田から23分で万国博中央口へ
②志布志11:50→都城12:57/13:38→(西鹿児島発東京行き急行「高千穂」)→大阪7:53・大阪地下鉄梅田から23分で万国博中央口へ
志布志線⑥

 志布志 1970(S45).8.2

志布志線、日南線、古江線(後の大隅線)が接続していた志布志駅です。広い構内でした。
機関区(志布志線管理所)は手前(西)側にありました。
志布志線⑦ Nさん撮影

 志布志 1970(S45).8.2

志布志線管理所に停泊するC11 189です。

当時の機関車配置表を調べると、志布志線管理所には、
C58-3両、C11-7両が配置され、
C58は志布志線4往復の貨物列車、
C11は日南線、古江線の貨物列車・客車列車を牽引しました。
志布志線⑧ Nさん撮影

 志布志 1970(S45).8.2

機関庫の中のC58 426です。
志布志線⑨

 志布志 1970(S45).8.2

機関庫の前のC11 146です。
志布志線⑩

 志布志 1970(S45).8.2

志布志を出発した志布志線の貨物列車です。機関庫の横を通ります。
志布志線⑪

 志布志 1970(S45).8.2

上の写真⑩の続きです。

貨物列車が走っている線路が志布志線、手前の線路が古江線で、しばらく並行してこの先で別れます。


この写真を撮った後、古江線を乗り潰すため、志布志13:59→急行「南風2号」→鹿屋14:37/15:05→海潟15:58に乗車しました。
海潟からはバスで袴腰へ、袴腰港から桜島フェリーで鹿児島へ渡りました。
志布志線⑫ Nさん撮影
古江線 海潟 1970(S45).8.2

古江線の終点・海潟駅です。
1972.9.9に海潟~国分が延伸し全通、大隅線と改称しましたが、1987.3.14に全線廃止されました。
↓交通公社時刻表1970.8月号より
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参考図書: 国鉄監修 交通公社の「時刻表」 1970(昭和45)年8月号 日本交通公社発行
     「’70 国鉄車両配置表」鉄道ファン編集部 1970(昭和45)年7月 交友社発行