津島軽便堂写真館

美祢線  石灰石のピストン輸送で賑わっていた頃の美祢線

山口県の美祢線(厚狭~長門市46.0km)は、2023(令和5)年6月30日の豪雨で橋梁が流されるなどの被害が発生し全線不通になりました。それ以来長期間バス代行輸送を行っていましたが、最近(2025年7月)、鉄道での復旧を断念してバス高速輸送システム(BRT)に代替し、鉄道は廃止になると報じられました。
美祢駅近くに、宇部興産伊佐セメント工場があり、昔は美祢~厚狭~宇部港へ石灰石輸送の専用貨物列車がピストン運転されました。
鉄道ファンNo.117(1971/S46.1月号)の美祢線撮影ガイドを見ると「SL列車は、普通貨物14本、石灰石専用のピストン輸送64本、客車2本、大嶺線(南大嶺から分岐)の混合列車18本が走行し、D51がピストン列車、C58が普通貨物・客車・混合列車に使用」と記載されていました。美祢に向かう列車はSLの逆向きで運転されていました。列車本数を確保するため、鴨ノ庄、松ヶ瀬の信号場もありました。↓
美祢線のダイヤ↑1970(S45).10.1現在↑
鉄道ファンNo.117(1971/S46.1月号)より

上のダイヤの10年後の「1980年貨物時刻表」の美祢→宇部港のピストン列車時刻表です。0:25~23:27まで深夜を含め1日中33本の専用列車(返空列車を含めると66本)がフルに運転されていたことが分かります。当時、宇部港と美祢は貨物取扱量が日本で1位と2位でした。

美祢線南部 厚狭~美祢の地図です。
国土地理院1/20万「山口」S45.2発行より
美祢線の厚狭~美祢間の駅と、南大嶺から分岐していた大嶺支線の駅を追記しました。、
美祢線① Nさん撮影

厚狭機関区 1971(S46).3.8

美祢線の車両基地・厚狭機関区です。
1970年の機関車配置表によれば、厚狭機関区にはC12-5両、C58-4両、D51-20両が配置されていました。この他に宇部港駐泊所にC58-5両が配置でした。
機関庫の手前にはD51が、奥の機関庫の中にはC58がいます(次の写真)
美祢線② Nさん撮影

厚狭機関区 1971(S46).3.8

機関庫の中のC58です。
C58 338のデフにはJNRマークが付いていました。
美祢線③ Nさん撮影

厚狭機関区 1971(S46).3.8

C12とD51です。
美祢線④ 厚保~湯ノ峠 1971(S46).3.8 Nさん撮影

長門市に向かう普通列車の後ろ姿です。湘南顔のキハユニを連結していました。厚保駅で下車し、少し南へ歩いて撮ったと思います。
美祢線⑤ 厚保~湯ノ峠 1971(S46).3.8 Nさん撮影

D51が牽引する石灰石ピストン輸送列車です。
美祢線⑥ Nさん撮影

厚保~湯ノ峠 1971(S46).3.8

C58が牽引する普通貨物列車です。
美祢線⑦ Nさん撮影

厚保~湯ノ峠 1971(S46).3.8

バック運転の普通貨物列車です。

美祢に向かう下り貨物列車は、機関車が逆向き運転でした。
美祢線⑧ Nさん撮影

厚保~湯ノ峠 1971(S46).3.8

美祢から宇部港に向かう石灰石ピストン輸送列車です。
美祢線⑨ Nさん撮影

 南大嶺 1971(S46).3.8

大嶺支線の分岐駅・南大嶺駅に停車中の大嶺行き混合列車です。
C58のバック運転です。
美祢線⑩

松ヶ瀬信号場 1980(S55).3

厚狭から美祢に向かう途中、急行「あきよし」と列車交換しました。
湯ノ峠~厚保間にあった松ヶ瀬信号場と思われます。

1980年の春、秋芳洞を観光するため、美祢線に乗り、美祢に向かいました。
当時は美祢駅から秋芳洞に向かう国鉄バスが1時間に1~2本走っていて、美祢線は秋芳洞観光の周遊ルートになっていました。
美祢線⑪

 南大嶺 1980(S55).3

南大嶺で石灰石ピストン輸送列車と交換しました。

1973年2月に、SLによるピストン輸送は無煙化され、DD51が引き継ぎました。
美祢線⑫

 美祢 1980(S55).3

美祢駅で下車したら、石灰石輸送の返空列車が停車していました。
美祢駅の500m北側(写真の背面)にヤードがあり、そこから宇部興産伊佐セメント工場へ専用線が出ていました。


美祢~宇部港の石灰石ピストン輸送列車は、宇部興産が自社の専用自動車道(→宇部伊佐専用道路)を開通させ、トラック輸送に移行させたので順次減少し、1998(H10)年に全廃されました。
美祢線⑬

大嶺(おおみね) 1980(S55).3

南大嶺から分岐していた大嶺支線(南大嶺~大嶺2.8km)終点の大嶺駅です。
広い構内にキハ30形の単行が停車しています。

秋芳洞観光の後、美祢に戻り、大嶺支線を乗りました。
美祢線⑭

 大嶺 1980(S55).3

大嶺駅の全景です。

調べると、大嶺炭鉱の無煙炭を輸送するために、1905(明治38)年に山陽鉄道により厚狭~大嶺間が開業。その後、国有化され、途中の南大嶺から美祢・重安・長門市方面へ線路が延伸されて、厚狭~長門市間が美祢線となり、南大嶺~大嶺間は大嶺支線と呼ばれました。
美祢線⑮

 大嶺 1980(S55).3

大嶺駅の奥の方です。
大嶺での折返し時間が1時間弱あったので線路をたどって奥の方へ歩きました。

大嶺駅は大嶺炭鉱の最寄駅で、昔は石炭(無煙炭)の積み出しで賑わいました。Wikiで調べると、1971年に炭鉱が閉山となったようですが、石炭積込用と思われるホッパーが残っていました。
美祢線⑯ Nさん撮影

 大嶺 1997(H9).2.22

廃止直前の大嶺駅です。
貨物側線は全て撤去され、線路1本だけの終着駅で、キハ23形が運行されていました。

大嶺支線と大嶺駅は1997(H9).4.1に廃止されました。
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参考図書:国鉄監修 時刻表1970(S45)年8月号 日本交通公社発行
     「鉄道ファン No.117」 1971(昭和46)年1月臨時増刊 交友社
     「’70 国鉄車両配置表」鉄道ファン編集部 1970(昭和45)年7月 交友社発行
     「’80 貨物時刻表」社団法人 鉄道貨物協会 1980(昭和55)年10月発行